羽生善治新竜王「竜王になって大変なことになりました。重さに耐えられるかどうか…」

将棋世界1990年2月号、「第2期竜王戦決着す!!スター誕生!羽生新竜王」より。

将棋マガジン1990年3月号グラビアより。撮影は中野英伴さん。

「地位の重さについていけるか、心配です」

 4勝3敗1持将棋という熱闘の末、竜王位というビッグタイトルを手中にした羽生六段。終局のほんの数分後に読売新聞の山田記者の「竜王位を獲得して」の質問に、慎重に言葉を選びながら語る羽生。

 画期的な終盤戦公開対局で始まったシリーズは、全国各地を転戦し。ついに第8局、東京決戦へと舞台を移すことになった。

 相掛かりで始まった大一番、2日目に入りペースをつかんだ羽生は、目の前の「竜王位」というプレッシャーに負けることなく129手までで島を押し切り、激動の1989年棋界の最後をしめくくった。

 これまでの活躍に加え、ビッグな勲章を得た羽生。1990年の将棋界はますますおもしろくなるだろう。

将棋世界同じ号、翌日の読売新聞朝刊紙面。

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羽生善治新竜王が誕生した1989年12月27日(水)。

48日前の11月9日にベルリンの壁が崩壊、2日後の12月29日に日経平均株価が史上最高値の38,957円44銭を記録している。

対局場は東京都港区芝の東京グランドホテル。

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将棋世界1990年3月号、先崎学四段(当時)の「今月のハイライトシーン」より。

 奇妙な光景だった。

 竜王戦最終局、世紀の決戦が終わった後のことだ。数時間前まで控え室として使われていた薄暗い部屋に、モノポリーの場が立った。なんと両対局者揃って―

 島さんは、疲労の色こそ隠せないものの、普段通り明るくふるまった。研究会で負けた後のように、実に屈託なく笑ったが、決して自嘲から生まれた笑顔ではなかった。

「よし、こんな無茶なモノポリーに負けてたまるか。島朗、絶対に7を出します。7、7、7(必死に念じる)エイッ」

 だが大きく舞い上がった2つのサイコロは3と5、足すと8だ。

「痛ッ―ひどいね、ここで8を出すかなあいくら?800ドル?ひどいなあ。泣きっ面にハチとはこのことだ。今日一日なにもいいことなかった」

 最後の一言が物悲しい。

 部屋には一種不思議な緊張感が流れていた。皆、嶋さんに気を遣い、口数も少なく、島さんが一人で喋っていた。ぼくは、自分が場違いな所にいるのではないかという気がして、早く一人になりたかったがそうもいかない。島さんが羽生の前で笑顔を作れるのが信じられなかった。たとえ、それが島流のパフォーマンスだとわかっていても―。

 勿論対局中はこの笑顔は見られなかった。部屋には凄惨な雰囲気が漂っていた。

 ぼくは控え室のモニターで一部始終を見ていたが、終盤形勢に大差がついてからの両者の表情、しぐさは見ていて飽きなかった。

 羽生は半身のかまえになり、闘志をムキ出しにして、盤上に覆いかぶさっていた。彼も人の子、勝ちを意識したのだろう、顔色は土色で、身も心も震えていた。駒はマス目にきちんと入らなかった。

 それに比べ、島さんは何やら観念しているようだった。やたらに席を立つのが印象に残った。必敗の局面で島さんは、気を静めるように立ち上がり、部屋の片隅で茫然と天井を見上げ、大きく息を吐いた。しばし時が流れたあと、そばの窓の外に目をやった。立ちすくみ、うつむいたままみじろぎもしない。丁度羽生と背中合わせの格好である。目を閉じて瞑想していたが、口元は動いている。何やら呟いているようだった。

 その姿は、盤上の逆転を念じる姿ではなかった。しばらくして羽生が着手すると、立ったまま小さく何度かうなずいた。諦めたのだろう、島さんはその後すぐ投げた。

 次の日、島さんが近々結婚するという。中村さんの家で仲間内に発表し、一同を唖然とさせた。中村さんの前に、いきなりン十万入りの封筒を差し出した。どちらが先に結婚するかで賭けていたのだ。

 その場の雰囲気は凍り、中村さんはその日一日、目がうつろだった。島さんはケラケラ笑っていた。

(以下略)

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終局後の打ち上げでの羽生新竜王。近代将棋1990年3月号、撮影は炬口勝弘さん。
打ち上げ終了後のモノポリー。近代将棋1990年3月号、撮影は炬口勝弘さん。
自室に引き上げた直後の羽生新竜王。近代将棋1990年3月号、撮影は炬口勝弘さん。

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この日から、将棋界の新しい歴史が始まった。