石田流キラーといえば中原誠十六世名人。
今日は、実戦では現れなかったものの、中原誠十六世名人が描いていた究極の石田流潰しの構想をお目にかけたい。
1972年の名人戦第1局、大山康晴名人(先)-中原誠十段戦。
将棋世界1972年6月号、中原誠十段の自戦記「うれしい初戦の勝利」より。
「 」内が中原誠十段の文章。
ここまで、▲7六歩△8四歩▲7八飛△6二銀▲6八銀△4二玉▲7五歩△6四歩▲6六歩△8五歩。
中原十段は、先手を石田流に誘導する指し方。
「▲7五歩△6四歩で、風変わりな序盤戦となった。私が△3四歩となかなか突かないのはある局面を想定していたからである」
「私は△8五歩で、次の応手を打診した。▲7六飛の石田流を予想していた」
「漠然とではあるが、下図のような局面が浮んでいた。角道をあけず、場合によっては引角の構想ではどうか、と考えたりしていた 」
大山名人は△8五歩に対し4分の考慮で▲7七角としたので、別の将棋になった。
私は昔からの石田流党だが、この局面を見たとき、絶望感に襲われてしまった。
石田流は金縛り状態で、攻めて来られて潰されるのを待つのみ。
最凶かつあまりにも強力な棒金戦法だ。
現在の対棒金対策であればこのような展開にはならないが、▲7七桂と跳ねる石田流本組みが大好きな私にとっては、最も怖れる局面なのである。
絶対に誰も真似をしてほしくないものだ。