カーリングに思う

たまたま今週の月曜日の記事「ダイ・ハードな銀」で、1976年NHK杯戦、有吉道夫八段-青野照市五段戦のことを取り上げたが、昨日行われたNHK杯将棋トーナメントの予選で有吉九段が3連勝し、本戦出場を決めた。

まだまだ現役 将棋の有吉九段、3連勝でNHK杯本戦へ(朝日新聞)

全くの偶然ではあるが、同じNHK杯での活躍ということで何か嬉しい感じがする。

有吉九段は引退が決まった後、棋王戦予選(対 平藤眞吾六段)に続いて4連勝したことになる。

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バンクーバーオリンピック、カーリング日本女子代表のチーム青森が話題となっている。

4年前のトリノオリンピックの時に比べて、マスコミでの扱いが格段に大きくなっている。とても良いことだと思う。

私は、2006年将棋ペンクラブ会報春号の「編集スタッフからひとこと」欄に次のように書いていた。

『カーリング娘の大ファンになりました。あの、けなげさと懸命さには心を打たれます。…しかし、若い女性をみて「けなげ」と感じるようになっては、私も立派に中年道を突っ走っているのでしょうか。少しだけ悔しい』

2006年の一時期、私がカーリング観戦に夢中になったのは確かだが、今回個人的にショックだったのは、カーリングのルールをほとんど覚えていなかったということ。特に点数の計算方法など。

一時ファンになったとしても、にわかファンの心は移ろいやすいものだと、我が身を振り返りつくづく思った。

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それで考えるのは将棋のこと。

1996年に、羽生善治七冠誕生とNHK「ふたりっ子」の大ヒット、そして、民放テレビ番組でも将棋が取り上げられるようになって、1996年は将棋界にとって非常な追い風の年だった。

そのタイミングで、業界的にも普及のための努力や新しい試みなどが精力的に行われていた。

しかし、将棋人口が決して増えたわけではなく、将棋道場が閉鎖するペースは変わらなかった。

同じ年に、初心者をターゲットとした「将棋マガジン」が廃刊になり、1997年前半には、近代将棋の経営が思わしくなくなり、経営権が変わった。

もちろん、この時期から将棋ファンになり将棋を指すようになった人がいることも確かだが、全体の流れを変えるほどの人数ではない。

私のカーリングのごとく、一時は夢中になってもファンの心は移ろいやすい。

カーリングは、ルールを知らなくともテレビを見ているうちに分かってくるが、将棋はそうもいかないから、もっと条件は良くない。

どんなにテレビで露出が増えても、それだけでは将棋人口の増加には結びつかないことになる。

将棋を継続的に趣味とする人を増やすことを「狭義の普及」と考えた場合、最も大事なのは、将棋に興味を持った人に対して、その気持を継続し将棋を趣味として続けてもらうための受け皿だ。

そういう意味では、亡くなった新井田基信さん、「杜の都加部道場」の加部康晴さん、「棋友館」の小田切秀人さんに代表されるような方々が、日本中に300人いれば、理想的な狭義の普及環境になるのかもしれない。

地道で継続的な普及活動、それが一番強いし効果的だと思う。

テレビでカーリングを見ながら、そのようなことを考えた。

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2002年ソルトレイクシティオリンピック時のチーム青森のメンバーがモデルとなった映画。

 

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谷川浩司九段、十七世名人獲得の一局

昨日の内藤國雄九段に続いて神戸組。今日は、谷川浩司九段らしさが非常によく出ている一局を。

1997年名人戦第6局、羽生善治名人(先)-谷川浩司竜王戦。

谷川浩司九段が十七世名人の資格を獲得した一局になる。

この対局は、プロが驚く強手が4回出現する。

将棋世界および近代将棋の1997年8月号より。

photo (8)

1回目

この図面は、雑誌などで何度か取り上げられているかもしれない。谷川竜王が△8六銀と、銀を只捨てしてきた局面。

ここから▲同銀△8八歩。

ここで△8八歩を▲同金とすると、△6六歩▲同銀△6五歩▲7七銀右△8六飛▲同銀△8八角成【変化1図】となって、攻撃が成立する。

photo_2 (3)

これではまずいので、△8八歩以降、▲7七桂△8六飛▲8七歩△8四飛▲8八金△6六歩▲同銀と進む。

photo_3 (2)

決して谷川竜王が有利になったわけではないが、言い分は通した形。

2回目

photo_4 (3)

その後の羽生名人の指し回しが手厚く、谷川竜王の辛抱が続く。

▲4五角と飛車金両取りに打たれた絶体絶命の局面、ここで勝負手△3九角が指される。

以下、▲3八飛△7五角成▲同歩△6四飛▲6五歩。

3回目

photo_5 (1)

角を切って両取りを防いだものの、▲6五歩で再度の危機。

△同桂は、▲同桂△同飛▲3四桂で後手が持ちこたえられない。

そこで指された妙手が△5四金

以下、▲6四歩△4五金▲同銀△2七角▲2八飛△4五角成。

photo_6 (1)

こうなってみると、谷川竜王が形勢を一気に挽回した形になっている。

4回目

 

▲5五金と馬に当ててきた局面。ここで出た凄い手が△6七銀

▲同玉と取ると、△6六銀と打たれ

(1)▲7六玉は、

△6七銀打▲8六玉△5五馬▲同歩△7七銀不成で詰み。【変化2図】

(2)▲5八玉は

△5七銀打▲4九玉△5五銀▲同歩△2七馬で詰み。【変化3図】

photo_8 (1)

photo_9

2つのケースとも、絵に描いたような寄せになってしまう。

本譜は第6図以下、▲8九玉△2三馬と進み、124手で谷川竜王が勝った。

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この一局については、将棋世界では、谷川浩司竜王・名人による自戦解説10ページ、近代将棋は特別取材班による4ページの解説が掲載された。

谷川浩司竜王・名人による自戦解説は非常に奥深く、場面場面での心境や読みが克明に記されている。その反面、自戦解説なので、アマチュアが驚き喜ぶような絶妙手であっても、自分で指した手なので控えめな言葉で表現されている。

一方の近代将棋は、「誰もが驚いた△8六銀。絶体絶命と見えた局面を打開した△3九角。飛車取りに打たれた歩を無視した△5四金の切り返し。敵玉の一瞬のスキをとらえた△6七銀。これが谷川将棋だ、という強打を随所に見せて谷川は名人位を奪還した」と、読者に驚きの場所を案内してくれている。

棋力が高くない場合には近代将棋の記事のほうが有り難いし、棋力が高い人にとっては将棋世界の記事のほうが有り難い。

それぞれの誌面の特徴が出ているわけで、両方読めば3倍楽しめる、という良い事例だったのかもしれない。

内藤國雄九段「ベンハー」

内藤國雄九段が19歳の時に観て大きな感銘を受けた映画「ベンハー」。

「この映画の感動をだれかに伝えたい。詰将棋で再現できないだろうか」  

こう思い立って二週間で構想はできたが、その後試行錯誤が続き、作品が完成したのは、それから40数年経った2000年のことだった。

「ベンハー」は1959年制作のアメリカ映画で、次のようなあらすじ。

「ユダヤの都エルサレム。豪族の息子ベン・ハーは、ローマ軍の新将校としてやってきた幼友達メッサラと再会。だが、今やふたりの間は対立関係にあり、ベン・ハーは反逆罪に問われ、奴隷として軍船に送り込まれてしまう。やがて海賊軍隊との激戦の中、ローマ艦隊司令官アリウスの命を救ったベン・ハーは、ローマ屈指の剣闘士に成長。生き別れた母と妹の仇を討つため、宿敵メッサラとの対決、大戦車競争に挑む (Amazonより)」

この映画の圧巻なシーンが後半の大戦車競争。

「満員のスタジアムは熱気に満ち、アリーナでは馬に引かれた戦車数台が砂ぼこりを舞い上げながら激しくぶつかり合う。戦車が次々と大破する中、残ったのは二台。ユダヤの豪族の息子、ベン・ハーと、幼なじみだが宿敵となったメッサラ。車輪をぶつけ合い、火花を散らす激闘の末、ベン・ハーが勝ち残り、客席から大歓声がわき起こる。  イエス・キリストが生きていた当時のローマ帝国時代を描いたスペクタクル史劇「ベン・ハー」。(神戸新聞より)」

内藤九段の詰将棋作品「ベンハー」は111手詰めの長編で、当初の斜めへの玉の移動は、キリストがゴルゴダの丘を上がる様子、後半は戦車競争のシーンと同様、玉が八十一升の盤上を縦横無尽に駆け回ってから詰め上がる。

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2002年1月20日、近代将棋主催で『内藤國雄九段と「ベン・ハー」を観る夕べ』が催された。

場所はルテアトル銀座。1960年、テアトル東京時代の同じ場所で「ベンハー」が上映され、この時は日本映画史上初の天覧上映になったという。

開場は12時30分。100人以上が参加をしていたと思う。

はじめに内藤九段から、大盤を使った詰将棋「ベンハー」の解説があった。

ジェットコースターがスタートする前のように、斜め上に玉が上がっていき、その後は玉が盤上を何回転もするようなイメージだったと記憶している。とても華麗な感じがした。

解説のあと、映画が上映された。

映画は212分の大作で、途中に休憩が入る。

私は映画の前半を覚えていないので、休憩後ではなく、解説が終わった後のことだと思う。

当時の将棋ペンクラブの幹事だった週刊誌のアンカーのSさんから私に「3時間半も続けて映画を観ると疲れるし、映画の見せ場は後半だから、これから軽く飲みに行こう」という提案があった。Sさんは一度「ベンハー」を観ているということだった。

私は飲みに誘われるとまず断らないタイプなので、「あぁ、映画が…」と思いながらも喜んで提案を受けることにした。

銀座で土曜日の午後早くから開いている飲み屋はそうそうないので、銀座1丁目の「つばめグリル」へ行く。

「つばめグリル」の名物は、ハンバーグとビーフシチューをアルミホイルで包み焼きにした絶妙な一品「つばめ風ハンブルグステーキ」であるが、飲みが主体なので、ビールに合うパテやアイスバイン(塩漬け豚骨付き脛肉を茹でたもの)をつまみにした。

結構飲んだが、映画館に戻ってみると、映画はこれから中盤にさしかかるところ。

やや酔っ払っていたので、話の展開次第では眠ってしまうかなと心配したのだが、映画の内容に引き込まれて、終わるまで眠ることはなかった。

とてもいい映画だった。

特に終盤の戦車競争は、内藤九段の詰将棋「ベンハー」のイメージそのものだった。

あらためて詰将棋「ベンハー」の素晴らしさを実感できたと思った。

→神戸新聞の記事「40年来の夢実現

→「ベン・ハー」をはじめとして「玉方実戦初形」「攻方実戦初形」などが収録されている内藤國雄九段の詰将棋作品集『図式百番』

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→映画「ベンハー」

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ダイ・ハードな銀

身動きの取れない必至状態の銀が、24手もの間同じ場所に居座り続けて大活躍をする話。最後にこの銀は生還する。

近代将棋2001年2月号、青野照市九段「実戦青野塾 心に残る先輩の言葉」より。

1976年NHK杯戦、有吉道夫八段(先)-青野照市五段戦。

(太字が青野九段の文章)

いろいろな先輩の言葉の中で、加藤治郎名誉九段の言葉は、私の将棋にも直接影響する言葉であった。

加藤先生の口ぐせは「早く劣等感に気がつけ」というものだった。

劣等感に気がつくというのは、自分の欠点を知る、自分が人より劣っている部分を自覚する、ということと私は受け取っていたのだが、それが早ければ早いほど良い、ということである。

私は奨励会に入会して一、二年たったころから、自分の将棋がどうも鈍重だなと思うようになった。先輩に真部八段、菊池七段のような、早見えで筋の良い棋士がいたこともあったが、どうしても駒の損得にこだわるクセが、なかなか抜けなかったからである。

このクセというか感覚は、四段になり、新人王戦優勝や勝率第1位を取ったあとでも、まだ残っていたように思う。

それを痛切に感じたのが、昭和51年10月のNHK杯戦、対有吉道夫八段(当時)戦である。

(中略)

テレビ将棋で負けても、「あれは時間の短い将棋だったから」と、本人もファンも妙に納得してしまうことがある。しかし私は、早指し戦こそその棋士の個性、棋風、そして才能までが、見えてしまうと思うのである。

(中略)

ところがここで、私は悪魔に魅入られたかのような手を指してしまう。それが△7六歩から△7五歩と打ち、銀を出させてからの△7三銀で、銀バサミで先手の銀を取ろうという手だった。前述の、駒得をしたくなるクセが、また出てしまったのである。

1 (4)

△7三銀と引いた上図では、確かに先手の銀は銀バサミにあって、行き場所がない。

しかし、いまの筋の良い若手棋士なら、こんな銀が死ぬわけはないとして、おそらく銀を殺そうという順は1秒か2秒で捨ててしまうだろう。

つまりテレビ棋戦で時間がなかったからというのは、言い訳にならない。

以下、▲3四歩△4四銀▲4六歩△同歩▲同銀△6四歩。

▲3四歩に△同金と取れないのも銀を取りに行ったからで、△同金は▲5四銀で、逆にこの銀に働かれてしまう。

△4四銀に▲4六歩の合わせ。このときすぐに△6四歩と突けないのが、私の誤算だった。△6四歩には、▲4五歩△5三銀▲5四歩△6二銀左▲7四歩△8四銀となるが、ここで▲4六角と出られると、△6五歩に▲5五角の王手飛車となってしまうのである。(下図)

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そこで仕方なく、△4六同歩と取って△6四歩と銀取りに突いたのだが、

2 (4)

ここから▲4五歩△5三銀▲5四歩△6二銀左▲4四歩△同金▲4五銀。

▲4五歩~▲5四歩で、ひどいゆがみ形にされたあと、▲4四歩から▲4五銀とぶつけられては、手にされてしまったというレベルではなく、完全に勝負あったという将棋になってしまった。

3 (2)

上図は、後手が唯一銀を取れる可能性のある局面だった。すなわち△4五同金▲同桂△6五歩という手はあるが、▲1三歩が好手で、△同歩に▲3三金と打ち込まれると、

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後手が桂で取った瞬間に▲1三香成と成られる形だけにたちまち寄ってしまうのだ。

たとえ銀が取れても、玉が寄ってしまっては銀を取ったとはいえない。銀を取るために引いた6二の銀が、いかにひどいかがおわかりと思う。

先手が▲7四歩が利くのに、最後の一歩を打たずに温存しているのは、この▲1三歩のような手を含みにしているからで、このあたりが有吉八段の老獪さでもある。

二つ上の図以降、△4三歩▲7四歩△8四銀▲4四銀△同歩▲4一金。

△4三歩と打つときには、ずいぶん辛かったことだけが、断片的に私の頭に残っている。

後手の△4三歩に、ここで初めて▲7四歩をきかす。銀を殺すために、すべてのゆがみ形を受け入れたのだからここで銀を交換するわけにはいかない。

4 (2)

しかし△8四銀に金を取って▲4一金が決め手ともいうべき一手で、後手陣は目も当てられない形となってきた。

すなわちこの金は、角を殺しているだけでなく、△6五歩の銀取りには▲4二金△同金▲6四角の飛車金両取りをみているからだ。

以下、4三銀△4二金▲同金△6四銀▲5四銀△2四歩。

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やむを得ず、△4三銀と私は自陣を補強したものの、▲4二金から▲6四銀と銀を生還されては、後手にいい所が一つもなくなってしまった。

たとえていえば、ワナのつもりで敵の軍勢を城の中に誘い込み、包囲して全滅させるつもりが、強力な敵の援軍が予想以上に早く到着し、結局城中の敵と呼応され、逆に崩壊をまねいたようなものである。

以下、△同歩▲同角△3三歩▲6八角△2六歩▲1二香成△同香▲1三歩△2七歩成▲1二歩成△3二玉▲2二と△同玉▲2三歩まで有吉八段の勝ち。

▲2三歩と打たれて私は投げた。飛車を成られてしまってはいくら粘っても勝ちが出るわけがない。

負けはしたが、この将棋は私にとって転機の将棋となった。加藤先生のいう劣等感、すなわち駒得にこだわって大局に遅れがちの自分の将棋を、明らかに自覚したからである。

その後は極力、大局観で指そうと努めてきたつもりではあるが、人は持って生まれた感覚、感性はあまり変わらないものだとも最近思うようになってきた。

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このような一局は、本当にテレビ向きだと思う。

絶体絶命の中、獅子奮迅の活躍をした銀が輝いている。

青野九段の文章も面白い。

中井広恵女流六段による棋士の食事の話(後編)

昨日に続いて、中井広恵女流六段による棋士の食事の話。

近代将棋1997年4月号、中井広恵女流六段の「棋士たちのトレンディドラマ」より。

(太字が中井広恵女流六段の文章)

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食欲が落ちないといえば、加藤一二三九段も凄い。対局の時は、必ずといっていいほど、うな重を食べてらっしゃる。

面白いのは、一応メニューをご覧になって少考されるのだが、頼むのはやはり『うな重』なのだ。

札幌の将棋まつりでご一緒した時、加藤先生は三日続けて、昼、夜とお寿司をお食べになっていた。

「飽きないですか?」

とお聞きしたら、

「やっぱり北海道へ来たら、お寿司を食べなきゃね」

と、あのニコニコの笑顔。

長時間の将棋でもずっと正座を崩さない体力は、この食欲で、養われているのだろう。

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やはり、好きでなければ同じ食べ物は続かない。

とはいえ、私は毛蟹が大好きだが、札幌へ行って3日間、昼、夜と毛蟹は食べられないと思う。ジンギスカン然り。

しかし、カレーライスなら3日間×昼・夜いけるかもしれない。

北海道色の強いの寿司ネタといえば、ボタン海老、イクラ、毛蟹、タラバ蟹、ウニ、数の子、真タチ(マダラ)、ヤリイカ、ホッキ貝、さけ、ソイ、などになるのだろうか。

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森内八段もよく食べる。我が家へ遊びに来ると、いつも御櫃がカラになる。

特に焼肉が大好きで、これは仲の良い島八段の影響だろうか。

一緒にフランス料理を食べに行った時、

「こういうお上品なお店は苦手です。一遍に料理が出てくるのがいいですね」

と言うので、主人が、

「森ちゃんは『安い・早い・量が多い』がいいんだろ?」

とからかう。

最近、

「僕もグルメになりました」

と笑わせてくれる森内八段だ。

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森内俊之九段は、タイトル戦で肉系の昼食が他の棋士に比べ多いのが特徴だ。

焼肉が好きなプロ棋士としては、森下卓九段(読売新聞のインタビュー)、泉正樹七段などもいる。

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ところで今日は、NTTル・パルク杯第2期天河戦三番勝負第1局、中井広恵天河-石橋幸緒女流四段戦が行われる。

中継