新しい手合い係に、大変可愛い娘が入りました(後編)

一昨日・昨日の続き。

湯川博士さんの「なぜか将棋人生」より、「こんなサービスしています」。

手合い係の若い女性の真実などに迫る。

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戻ってみると、受付はおじさんに替わっている。

再開一局目は三段の人なので向こう先番。成績を見ると大したことない。

ふつう五連勝すると、成績のいい人をあててくるものだが、ここいらへんも大らかだ。

この人はここの主人らしく、回りの人とにぎやかにしゃべりながらやってくる。

三段なら勝てるだろうと油断したのがいけない。

ヒラメ戦法から、いいようにかき回されてやられた。

すると席主さんが、「ハイこれ」と渡してくれたのが、コーラ券。

壁を見ると、「五連勝・コーラ券、七連勝・回数券一枚」とある。

そしてその隣には、十六対局以上の方にコーラサービスとある。

店の汚い割になかなかきめの細かいサービスをしていると感心する。

手合いがつくまで、テレビでプロレスを見る。

見せの入りは九分くらい。席主に声をかける。

「いつもこのくらいですか」

「いや、今日は少ないですね。プロ野球がありますからネ。皆さん家に帰って野球見るんでしょうネ。野球のない日はいっぱいで、立ってる人がいるくらいですけど」

「野球は良くないですか」

「シーズンオフと始まってからでは全然違いますね。今一日平均九十人くらいですかね。前はもっと多かったですけど」

「エッ、九十人ですか」

定員六十人の道場で平日九十人入れば、これは大成功といえよう。でも席主は不満そうで、

「ウチで最高は、一日二百人入りましたヨ。もう立ち見もギッシリでね。指せない人が多いんでその後少なくなったくらいです」

筆者は仕事柄、あちこちの道場経営者を知っているが、最近は皆さん不景気な話ばかり。

ここと目と鼻の先にあった、秋葉原将棋会館がついこの間閉店している。こっちは駅の改札口隣のビルで、新築、エレベータ付きだった。席主も熱心にやっていたようだったが、数年でギブアップ。昼間は全然アウトの状態だったようだ。

ここの違いをぜひ聞いてみたいもの。

しかし席主は一人で四十人から五十人の客をさばき、コーヒーを入れコーラをつぎ、インスタントラーメンまで煮るという忙しさなので、閉店まで遠慮することにした。

手空きの若い人と雑談。

―もうここは長いの。

「学生時代からずっと来てます」

―安いからいいの。

「というより、いつでも相手がいますでしょ。それに客同士が気のおけない人ばかりで、なんとなく安心できるんですね。みんな名前しか知りませんけど、気がおけないというか。それで足がここへ向いちゃうんですね。向かいの道場にも行ったンですけど、相手がいないんで、やめました」

この青年は「将棋ジャーナル」をずっと読んでいる人で、四段位。日大将棋部OBとかで、「将棋ジャーナル」編集部の横田氏や宮原康一さん(東京都名人)など、OBで強い人の話などをする。

将棋の強い人は、まったく見知らぬ人でも、有名強豪の名前を何人か出せば、たいてい知っている人にぶち当たるもの。

そうしてその有名人の噂話などが格好の話のタネになって、何時間でも尽きない。

だいたい面白いもので、四段以上の人は、プロの話よりもアマ強豪の話が多いし、聞きたがる。

初段や二段くらいの人は、プロ棋士の話に目を輝かす人が多い。

筆者は商売上プロアマの裏話には困らないので、こういう場ではかなり有利である。

気が付くと、三、四人の輪ができて、時間も閉店に近い。互いに名前も知らずに、よくも長話をしているものである。

帰り際に、席主さんに声をかけると、駅の近くの「天狗」という安い飲み屋があるから、そこにいて下さい、と心得たもの。

天狗」は確かに安い。牛肉の串焼きが三百五十円とか越前ガニが三百八十円とか。とにかく四百円以上のものが少ないのだ。

酒屋の立飲みに近い感覚である。

なにしろ今日は、一日四百円の遊びに来ているのであるから、高い店は似合わない。しかも、安くて楽しくなくてはいけない。低価格でお客の高回転というのが、今はやっているスタイルなのだ。

日大OBの青年達と飲んでいる内に、席主がやってきた。

来るなり、ハイこれと粗品(歯ブラシ)を進呈された。

あのおばさんが忘れていたようだ。

この席主は名前を、中沢さんといい、会社を二つやっている事業家。

―道場の始めは。

「十三年前ですが、好きなので将棋の道場をやってみようと思ったんです。はじめはうまくいったら、山手線各駅にチェーン店をつくろうと思っていましたが、やり始めてみると、あまりたいした商売じゃないので、ここだけにしておきました。ここは場所がいいのと、家賃が安い(九万円)のが取り柄ですね。六階ですけど、お客さんは常連ばかりでそれほど気にしていないみたいネ」

―ところで受付嬢はおばさんでしたが、広告の娘はどうしたんです。

「あれ、私の女房ですよ」

(あー、余計なこと言わなくてよかった)

「あの娘達は、アルバイトで一時入ったんだけど、やめちゃったの。広告の方は私がズボラで、直すのも面倒なんで、そのままにしてるんです。エエ、そんなこと言ってくるお客さんはいませんもの、あそこの道場は」

―あの広告で来る人はけっこういるんですか。

「いや、新規のお客さんはほとんど少ないですね、一回か二回来ても来なくなっちゃいます」

―じゃあ広告はもったいない…

「まあずっと続いてるんで、やめるのも面倒だし。ウチの広告は割と面白いでしょ」

―壁に道場対抗戦で優勝(1975年)した額がありましたけど、強い人が来てたんですか。

「あのプロになった大野八一雄さんと大多田裕さんがしょっちゅう来てくれていました。それからアマA級順位戦なんかもここでやってたことがあるんですよ。そのころアマ順位戦の棋譜を載せたものをつくろうなんて話が出てましてネ。今のジャーナルの原型でしょうか。関さんも見えたことありますよ」

―四百円という値段でよくやってますね。海外旅行なんかはホントに合うんですか。

「四百円ってそんなに安いですか。将棋の雑誌見ないんで他を知らないんですけど。海外旅行は前は二ヵ月に一回、今は三ヵ月に一回当たります。二等が五寸盤で三等は景品二名、四等はウチの無料券五枚が二名。だけど海外旅行の方は、今まで行った人なし。全部現金に替えていますネ」

―イスがちょっと破れてましたけど修理しないんですか。

「修理代聞いたら高いんですよ。新品買った方がいいみたいなので、そのうち買おうかと。

なにしろ私はズボラでしてね。毎日ウチにいて株をやって、たまに会社に顔を出して、夕方から道場に来てるんですけど、あんまり細かいことは好きじゃないんですね。でも新しく何か考えるのは好きでして、前は家庭教師センターをやろうと思っていたら、人にやられちゃいまして。今度は、独身の人で、相手がいなくて困っている人が案外多いみたいだから、結婚紹介所をやろうかなんて考えているんですよ」

聞く所によると、中沢さんの先祖は大きな呉服屋さんで、お父さんがそこの息子だったが、道楽事が好きで、将棋もプロ修行したほどの腕前(奨励会二段)。

中沢さんには商人の血と、人を楽しませ、自分も楽しむ遊び心がうまく同居しているのだろうか。

道場経営のプロ、金田秀信さん(新宿将棋センター)が言ってた、「道場は一に場所、二に人、三に情熱」の条件にも合っている。

筆者が感心したのは、先着十名に宝くじと、十六対局者にコーラ。

まず先着十名。十人いると手合いが組めるが、客が数人だと帰っちゃう。新規の経営者は皆これでギブアップしている。故に先着十名を大切にするという点が凄い。次の十六対局にコーラというのも客が多い方がいいという理由。そしてコーヒーサービスの理由はこうだ。

「喫茶店でコーヒー飲むと三百円はしますよね。だからお客さんは席料がもうかったような気がするんじゃないですか。それから十六局も指すと喉が渇くと思うんですよネ。要は、お客さんが喜べばネ」

客商売の本質を突く言葉である。

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1985年当時に比べ、将棋道場は更に減っている。

ネット将棋と対面将棋は全く別の意味合いがある。

将棋道場が賑やかになるような時代に戻ってほしいと思うのだが…