三浦弘行棋聖誕生前夜

三浦弘行八段が当時の羽生善治七冠に勝って棋聖位を獲得したのが1996年のこと。

今日は、三浦弘行八段のお母様にスポットを当ててみたい。

1996年刊行の田中寅彦九段「羽生必敗の法則」の前書きより。

 三浦は、今は棋界随一の勉強家と言ってもよい。武者野(勝巳七段)が3年ほど前、最初に地元群馬の後輩・三浦の家に行ったとき、母親から、

「先生、将棋界の人は、皆こんなに勉強しなきゃいけないものなのでしょうか?」

と質問を受けたそうだ。聞けば、三浦は毎日10時間、将棋盤の前に座っているという。まるで高僧を目指した修行僧のような生活である。そこで武者野は、

「それを10年間続ければ、必ずタイトルが取れます」

と答え(「自分でやれないくせに」と私は思ったが)、それから三浦は、なんと毎日12時間に勉強時間を増やしたという。正しいことを言うのは簡単だが、それを実行するのは至難の技である。現に武者野は、10人くらいの将来有望な若手に同じようなことを言ったそうだが、実行できたのは三浦だけなのだ。

信じる者は救われる。というのも、羽生に勝った三浦はそれこそどこにでもいるような素直な好青年で、努力家であるからだ。三浦の母親から昨年の棋聖戦のトーナメントの際に、

「羽生さんは世間に将棋を広めた偉い人で、企業で言えば、会社の重役。新人社員のうちの子なんか勝つなんておこがましい」

と言われた武者野は、そばでその言葉を恨めしそうに聞いていた三浦を前に、

「でも、お母さん。トーナメントとタイトル戦あわせて、あと6勝2敗で史上空前の天才よりも上になれるんですよ。勝負に生きるもの、自分が勝とうと思わなきゃ、生きていられません」

と言ったという。昨年度は負けたものの、努力を続けた今年は見事に三浦は羽生を破った。三浦の母親は武者野に、

「ウチの息子、タイトルを取れました。何とお礼を言ってよいやら」

と感謝の電話を入れてきたそうである。

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三浦弘行八段のお母様の父親は、故・福田赳夫首相と従兄弟。

学生時代は福田赳夫青年と一緒の下宿で暮らし、晩年は福田赳夫氏の主治医だった。

三浦弘行八段のお母様は、ざっくばらんで面白いタイプのようだ。

三浦棋聖就位式のお祝いには萩本欽一さんが駆けつけた。

当時の近代将棋のグラビアには、萩本欽一さんのお祝いのあいさつの際、お母様が壇上に呼ばれ、萩本欽一さんからインタビューをされた時の写真が載っている。

お母様はその時、「あたし、欽チャンの大ファン」と満面の笑みで語っている。

楽しいお母様だ。

棋聖戦第3局対局場「古今伝授の間」

棋聖戦第3局は、熊本市の「古今伝授の間」で行われる。→中継

1600年、京都御苑の八条宮邸内に建てられた八条宮家初代・智仁親王の学問所にて、細川家の初代・幽斎が智仁親王に古今和歌集の奥儀を伝授した。

その後、この学問所は政情不安であった京都御苑から、当時八条宮家の領地であった長岡京市に移され、明治維新の際には、桂宮家(旧・八条宮家)より、「古今伝授之間」はゆかりのある細川家へと下賜された。

そして、大正元年(1912年)、水前寺公園内に当時の材をそのまま使用して、「古今伝授の間」が移築、復元。

現在では熊本県の重要文化財に指定されている。

〔昼食として考えられるメニュー〕

前夜祭および大盤解説会は、水前寺公園内にある「旅亭 松屋本館」で行われる。

昼食は、「旅亭 松屋本館」から届けられると予想されるが、「旅亭 松屋本館」では朝食と夕食のみの提供なので、昼食は、隣接する「アネッソマツヤ 華」のメニューとなる可能性が高い。

華の昼食向きメニューは次の通り。

華御膳 890円

(小鉢、選べるメイン、サラダ、刺身、茶碗蒸し、ご飯、香物、味噌汁)

選べるメインは、あら炊き、天ぷら、ヒレカツ、出し巻き玉子のうち一品。

お刺身御膳 1,580円

華御膳に刺身5品が加わる。

肥後御膳 1,100円

〔昼食予想〕

上記のメニューから、両対局者とも、華御膳を基本とした幕の内弁当、あるいは松花堂弁当となることが予想される。