加藤一二三八段(当時)が書いた観戦記

加藤一二三九段が18歳の時に書いた観戦記が素晴らしい。

近代将棋2001年5月号、永井英明さんの近代将棋創刊50周年記念連載「泣き笑い半生記」より。

 昭和32年は升田名人が誕生、三冠王に輝いた年でした。

 33年名人位防衛。

 その翌年34年から、復活した大山名人の天下が長期にわたって続くことになります。

 33年の第17期名人戦は史上まれに見る苛烈な戦いでした。

 このとき、本誌の名人戦観戦記を弱冠18歳の加藤一二三八段にお願いしました。

 これが、すばらしかった。

 天才は見る目が違います。私は原稿を手にしたときの感動がいまでも忘れることができません。

 書き出しの部分だけ、少しご紹介させていただきましょう。

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(前略)

 △3七桂成の局面といえば、読者はすぐ下図を想像されるだろう。言うまでもない今期名人戦第1局の中盤図である。あるいは終盤図であるかもしれない。

加藤一二三観戦記升田

 △3七桂成で勝負は決まった。まことに素晴らしい一手であった! かつてこれほど効果のある手を3七の地点に、桂馬をもってあらわした棋士が他にあっただろうか? おそろしいものは将棋である。

 大山九段は升田名人の△5五角成に4六銀打ちで良しとみた。▲4六銀打ちは極めて常識的な手といえる。ボクも▲4六銀打ちで良いと思った。

 ところが・・・△3七桂成が大山九段の心をおそった。ボクには△3七桂成を感じた大山九段の心のざわめきが聞こえるようだ。(中略)

 ところが、いまや神に近づきつつある升田名人が相手である。ようしゃはない神の狂いなき計算によって、△3七桂成は指された。われわれは、将棋のキビシサをあらためて認識する大山九段の姿を見るに至る。(以下略)

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△3七桂成は2五にいた桂が成ったもの。

▲5五銀と馬を取ると、△7七歩▲同桂(または▲同金寄)△2四飛で、先手は飛車の侵入を防ぐことができず後手の必勝形となる。

この一局は、「升田の名局」の一つとされている。

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加藤一二三八段(当時)が書いた迫真の観戦記。

棋士だからこそ描ける(あるいは、棋士にしか描けない)、迫力と説得力のある表現だ。

後の加藤一二三九段が書く文章とは全く違った雰囲気で、非常に興味深い。

なお、”神”という言葉が二箇所に出てくるが、この頃はまだ加藤一二三八段はカトリックの洗礼を受けてはいない。