師匠の想い

NHK将棋講座2006年5月号、故・池崎和記さんの「棋界ほっとニュース」より。

 第38回三段リーグが終了し、2人のプロ棋士が誕生した。

 森信雄六段門下の糸谷哲郎四段(広島県出身)と、米長邦雄永世棋聖門下の中村太地四段(東京都出身)。ともに17歳という若さである。

 三段リーグは年に2回ある。半年がかりの長丁場で、ふだんは東西の将棋会館に分かれて1日に2局ずつ指すが、最終日(第17回戦と第18回戦)だけは東京の将棋会館で一斉に行われる。

 その最終日を迎えたとき、昇段圏内に入っていたのは次の3人だった。

  稲葉陽三段=13勝3敗

  糸谷哲郎三段=12勝4敗

  中村太地三段=11勝5敗

 稲葉と糸谷が自力で中村は他力である。トップの稲葉は2局のうち1番勝てばよく、たとえ連敗しても中村が1番でも落とせば、その瞬間に稲葉の昇段が決まる。

 稲葉にとってはかなり有利な状況だったが、勝負は最後までわからないもので、結果は稲葉連敗、糸谷連勝、中村連勝-。

 前回次点で順位1位の糸谷は1回目の勝利ですんなりと昇段が決まったが、稲葉と中村は最後の星で立場が入れ代わってしまった。同星ながら順位は中村のほうが上なので、稲葉は3番手になって昇段できなかった。順位がものを言うのは順位戦だけではない。三段リーグもまたそうで、だからこういう残酷なドラマが生まれる。

 その日、僕は関西将棋会館で竜王戦2組の井上慶太八段-橋本崇載六段戦を取材していた。棋王戦の有吉道夫九段-山本真也五段戦や竜王戦5組の神吉宏充六段-安用寺孝功五段戦などもあって、5階対局室の雰囲気はいつもと変わりはなかったが、有吉九段と井上八段の心中は穏やかではなかったろう。

 有吉には年齢制限を迎えた26歳の弟子がいる。井上は昇段争いをしている稲葉の師匠である。

(中略)

 年齢制限に関していえば、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる、というのが現在の規定。

 ただし、最後のリーグで勝ち越せば、次回のリーグに参加することができ、以下、同じ条件で満29歳のリーグ終了時までは在籍を延長できる。この場合の「勝ち越せば」というのは、具体的には10勝8敗以上の星を残すことで、9勝9敗ではダメ。

 有吉門下の津山慎吾三段(26)は9勝7敗で最終日を迎えた。残り2局のうち1局でも勝てば勝ち越しが確定するが、連敗すると退会である。僕は津山君を昔からよく知っているのでなんとか残ってほしいと願っていたが、残念ながら2局とも負けてしまった。

(中略)

 夕方、対局を終えた有吉が控室に入ってきて、居合わせた奨励会員に聞いた。

「津山君、どうだった?」

「負けました・・・・・・」

 つらい報告である。

 一瞬の沈黙があり、70歳の大ベテランは「勝つと思ってたけど」と力なくつぶやいた。僕は何も言えなかった。

 井上-橋本戦は、午後9時半ごろ決着して井上八段が勝った。

 感想戦が終わり、橋本五段が部屋を出ていくと、井上は僕に「稲葉君、あきませんでしたね」と言った。

「知ってたんですか」

「ええ・・・・・・」

 たぶん夕食休憩のときに職員か奨励会員に最終戦の結果を聞いたのだろう。

「私の教え方が悪かったんですかね」。僕が返事に困っていると、「投げて帰ろうかと思った」とポツリ。対橋本戦のことを言っているのだが、これには驚いた。

 中盤で苦しくなった局面はあったけれど、模様が少し悪くなった程度のことで、悲観するような将棋では全然ない。それでも投了を考えたというのだから、対局中もずっと弟子のことで心を痛めていたのだろう。

 この日のもうひとつのエピソードを書いておこう。

 夜、村田顕弘三段と宮本広志三段が控室にやってきた。三段リーグが終わって、そのまま新幹線で帰ってきたのだ。

 当然のことながら稲葉君の話が出て、だれかが「残念だったね」と言ったら、村田君は「僕のせいです」と答えた。

 村田は1勝1敗(トータルでは11勝7敗の好成績)だったが、実は最終局で中村太地三段に負けていたのだ。もし勝っていれば中村の昇段はなく、稲葉が四段になっていたのである。だが村田に責任はない。チャンスをつぶしたのは稲葉自身なのだから・・・・・・。

(以下略)

—–

井上八段、有吉九段の気持ちとともに、池崎さんの思いも伝わってくる。

酒を飲みながら読んだら、涙が出てしまうと思う。

—–

稲葉陽三段はこの2年後の2008年4月に、村田顕弘三段は2007年10月に、四段になっている。

宮本広志三段は、10月に行われた加古川青流戦で決勝に進出し、船江恒平四段に1勝2敗で惜しくも敗れている。→中継

また、稲葉陽三段の最終局の相手は金井恒太三段で、2007年4月に四段になっている。