羽生善治六冠(当時)婚約記事

将棋マガジン1995年10月号より、「羽生善治六冠王・畠田理恵さん婚約!!」より。

記者会見。将棋マガジン1995年10月号より。

 記者会見に羽生は、薄いブルーのダブルスーツを着て現れた。婚約記念品として、畠田さんから贈られたものだ。

「皆さんお察しの通り・・・・・・」と前日に婚約したことを発表した。数分後に、真っ白なスーツに身を包んだ畠田さんが到着。仲良く並んでの記者会見となった。

 日頃から、結婚はまだまだ先と言っていた羽生、まず最初に突っ込まれた。

羽生「自分のいい加減さが分かりました(笑)。恋愛のことは、いくらウソを言ってもいいという言葉があったので、それを採用しました」

 なれそめは、昨年9月に「はつらつ」(保健同人社)という雑誌で対談したこと。その一ヵ月後、畠田さんの舞台(芸術座・向島物語)を森下卓八段と見に行ったことを明らかにした。

羽生「森下さんには本当に感謝しています」

 舞台の後に羽生が電話して、水族館、庭園の散歩、ドライブなどでデートを重ねた。

 お互いの魅かれたところは?

羽生「明るくて、自分の中にしっかりとしたものを持っているところ」

畠田「尊敬できるところがたくさんあって、この人なら一生ついて行けると思いました」

 プロポーズは4月、駒沢公園でしたと言う。気になる羽生のプロポーズの言葉は?

羽生「忘れました(笑)」

 と照れて口を濁したが、後で矛先は畠田さんに向けられた。羽生に許可を求めるような視線を送ってから、

畠田「お互いの仕事が落ち着いたら結婚しようと言われました。二人とも落ち着くことのない仕事ですから、最初は意味が分かりませんでした(笑)」

 畠田さんは予想より早いプロポーズだと感じていたし、羽生自身も、「知り合ってあっという間なので、驚いている」と語った。

 それだけ魅かれ合うお似合いのカップルだったということだ。

 畠田さんは将棋や将棋界のことをどれくらい知っているのであろうか。

畠田「全然詳しくありません。ただ、祖父がすごく将棋が好きだったんです」

羽生「いろいろ話をしながら説明しているところです」

 名前を知っている棋士は、大山、中原、米長といったところ。島八段の「将棋界が分かる本」で勉強中だそうだ。

 二人で将棋を指すことなんかあるのだろうか?

畠田「対談の時に駒の動かし方を教えていただきました」

 すかさず畠田さんの将棋について質問が飛ぶ。

羽生「筋はいいと思います(笑)」

と答えて、一同爆笑となった。

(中略)

 勝負師の妻になることについても、

畠田「棋士というのは浮き沈みがあって激しい職業ですが、覚悟はあります」

 とキッパリ。今年いっぱいで仕事をやめ、専業主婦になる予定だ。

羽生「楽しくて、温かい家庭を築きたい」

畠田「厳しい仕事なので、心の安らぎのある家庭にしたいですね」

 時折、顔を見合わせるアツアツムードの記者会見が終わった後は、将棋会館のまで写真撮影が行われた。

(中略)

 今春、最後の関門が突破できなくて七冠の夢は断たれた。しかし、夢への飽くなき挑戦を続けている羽生はツヨーイ味方を得た。

 結婚式が予定される来春、この夢はどうなっているのだろうか!

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何度読んでもほのぼのとさせられる記事だ。

翌年の2月14日に七冠制覇が達成される。

結婚式は1996年3月28日。

羽生七冠フィーバーが本格的に始まる。

その反面、1996年のバレンタインデーに日本将棋連盟に届いた羽生六冠宛のチョコレートは、1995年のバレンタインデーに比べると数十分の一になってしまったという。