昨日の記事「棋士室の検討風景」に、神崎健二七段からコメントをいただいた。
投稿 後輩に悪影響(?)を与えていた某六段
ふと通りかかって、タマの目の昔話、楽しく読ませていただきました。 現在も、後輩たちはとてもまじめな勉強の合間に関西弁での、つっこんたりぼけたりの見事な攻防が楽しく繰り広げられています。
昨日の記事では
福崎「誰の影響やねん?」
平藤「神崎(六段)さんかぁ?」
A二段「はぁ(タジタジ)」
の部分での登場だったが、記事中ではかなりのキーパーソンである。
もしかすると、神崎七段の口癖は「ほっといても」なのかもしれない。
それにしても、直接コメントをいただくのは、恐縮するとともに、非常に嬉しいことだ。
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あれは1998年のことだったと思う。
将棋ペンクラブ関西交流会の二次会の居酒屋でのこと。
東京から行った湯川恵子さんと当時の関西幹事だった女性強豪のTさんが対局をしようということになった。
二次会から参加された神埼六段(当時)が「この勝負面白そうですね」と言って棋譜読み上げ係りを務めることになった。
記録係は同じく二次会から参加の本間博五段(当時)。
私は近くで見ていて、こんな豪華なことがあっていいのか、と驚いたものだった。
その後も大阪へ行くことがあったが、いつも感じたことは、盤を離れれば関西棋界が良い意味で家族的なこと。
その伝統は今も続いている。
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将棋マガジン1996年4月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。
神崎六段「この間、東京で某女流棋士二人とお酒、飲んだら、二人共、強いのなんのって、僕もうフラフラになりましたよ」
タマ「対局の後ですか?」
神崎「エエ、銀河戦だったんですけど、鹿野さん、誰かわかります?」
タマ「大庭、船戸、ですね」
杉本五段「ヘエー、そんなに強いんですか」
神崎「エエッ、ひどいなぁ、そんなにすぐわかる程、有名なんですか」
タマ「有名じゃないけど、私は二人とは、結構つき合いあるんで・・・」
神崎「いや、対局が夕方終わって、二人共、のんびりしてたんで、”ちょっと食事でもどうですか”って誘ったんですよ。でOKしたんで、すんごい気を遣って、”それで、どうせなら一杯飲める所にしませんか”って言うたんですよ。そしたら、二人共、ビールは好きじゃないって、誰かみたいな事言うんで(それは、タマやがな)日本酒飲める居酒屋さんに行って、三人で六合位飲んだんかな?」
タマ「クスクス」
神崎「もう、こっちがフラフラになって、そろそろ帰りたいな、と思ってるのに、二人はケロッとして、なんか、もの足りなそうなんですよ」
タマ「じゃ、その日は泊まったんですか?」
神崎「いやあ、なんとか東京駅までたどり着いて、新幹線に乗りましたよ」
タマ「そりゃあ、二人共、もの足りんかったと思いましたよ。でも神崎さん、ごっつい気を遣ったんですねぇ」
神崎「そりゃあ、二児の父ともなると、いろいろ気も遣いますよ」
タマ「偉い。さすがパパ!! でも今回は、無駄な気遣いでしたよ。放っといても飲みに行こうかっていう二人だったんですから・・・」
神崎「いやあ、勉強になりました」
―後日、大庭女流にこの話をしたら、案の定ニコニコ笑って、”ウン、大阪の先生だから二人共、飲めるんですか?って聞かれても、おつき合い程度ですって、ブリっ子してたかもしんない”と白状してました。
おつき合い程度とは便利な言い回しをしたもんだコト・・・
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三人で六合は、多いか少ないか議論が分かれるところだと思うが、多く飲む人から見ればまだまだ序盤なので、大変だったと思う。
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