島朗六段(当時)の観戦記

島朗九段の観戦記には独特な世界がある。

心理描写や情景などが対局者の一人称的に語られるところが特徴のひとつで、物語を読んでいるような気持ちになることができる。

今日は、1986年の島朗六段(当時)が23歳の時の観戦記を。

近代将棋1997年6月号付録、「初めての棋戦優勝シリーズ 羽生善治四段初優勝編」、島朗六段(当時)の1986年の第10回若獅子戦(達正光四段-中田宏樹四段戦)の観戦記「WINTER ROAD」より。

 その朝、中田宏樹がジョギングをしなかったことに、深い理由があった訳ではない。

 対局は午後からだった。しかし、昨夜からの大雨が路面を叩く音を、彼はベッドの中から聞くことができた。けさは走るのをよそうと、彼は思った。

 都心のターミナル駅から四十分ほどの私鉄沿線に、中田は住んでいる。そこから歩いて五分ほどの新興住宅地にある自宅を、彼はふだんより早目に出かけた。

 対局というのは、毎日ある訳ではない。その数少ない日は、絶対遅刻してはならないんだ。だから、慎重に早く出かけよう。

 彼の判断は、ベストだった。沿線は大雨による事故で不通となっていた。遠回りして四本の電車を乗り継ぎ、時間は通常の二倍を要したが、定刻に十分な余裕があった。

 オープニングとしては悪くない設定だ。

 今日は十分に力を出せそうだと、中田はそんな気がした。

(中略)

 先手番を持った時、スペシャリストとオールラウンドの二種類に分けるとしたら、と達正光は思う。おれは典型的な後者タイプに属するだろう。その時の気分を大事にしたい。

 振飛車も得意だよ。初段くらいまでは振飛車党だった。今でも時々指している。タテ歩取りもいいね。でも、今日は矢倉しかない。そう決めたんだ。

(中略)

  中田をよく知る若手棋士は、彼をこう評してもいる。

「欲のない男ですね。よく将棋指しになったと思いますよ。将棋はけっこう淡白なところがあるんじゃないかな」

 中田の信条、それは”無理をしないこと”だ。運命を、従順に受け入れたい。

 自然な生活をして、自分なりに努力を重ねれば、と彼は思う。流れゆくところに、落ち着くはずだ。それでいいじゃないか。

(中略)

 中田は第6図から、間髪を入れずに収束に入る。読み切りだ。中盤から、加速の勝利であった。

(中略)

 白い車が、駐車場を滑るように出てゆく。

 スカイラインは二度左折して、幹線道路に合流した。信号停止で達正光は窓を開いて、冬の外気を大きく吸いこんだ。

 今日の将棋はどうも、と彼は思った。だるい手が多かった。全体的に力をため過ぎた傾向があったようだ。

 ターミナル周辺を抜けると、交通量はぐっと減った。少し、相手の終盤力を過信してしまったのかも知れない。

 熱いコーヒーが飲みたいと、彼は思った。

 ハイウェーの手前に、フローリングの喫茶店があったことを、思い出した。

 ゆっくりと時間をかけて、一杯のコーヒーを飲み、キャメルに火をつけた。一瞬、彼は眼を閉じた。眼を開けたとき、今日という日がなくなればいいのにと思った。

 店を出た時、彼はかなりな冷静さを取り戻していた。今日の負けは、たいしたことない。

 今度やれば、きっと勝てるさ。

 カセットを、レジーナからシンディへ替えた。ハイウェーの入口に、さしかかった。

 ロング・ナイトの始まりだ。

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プロローグとエピローグは片岡義男を思わせるような情景描写だ。

レジーナは、エリス・レジーナのことだと思われる。ブラジルの女性歌手でボサノバ系。

シンディは、シンディ・ローパー。アメリカのポップス歌手。

シンディ・ローパーは、3月11日の東日本大震災の直後、日本でのコンサートツアーのために来日。他の海外ミュージシャンが日本での公演を中止して帰国ないし、来日をキャンセルし、レコード会社からも帰国するように勧めら­れていた中、予定通りコンサートを行い、更に会場でチャリティのための募金を呼び掛けた。

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NHK将棋講座2011年10月号、NHK杯戦・1回戦 島朗九段-甲斐智美女流王位戦の観戦記、小暮克洋さんの「味のある勝利」の最後の結びが、「ありがたい棋士人生であるとつくづく思う。」と、小暮さんの言葉による島九段の一人称で締めてある。

これは、まさに島流。

小暮さんによる、遊び心のある絶妙な技だと感じた。

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