昨日からの続き。
将棋世界1992年2月号、「若手棋士に聞く ボクが初段になるまで 郷田真隆四段の巻」より。
―新聞の観戦記の切り抜きを読んでどんなことがためになりましたか。
「ためになった、というよりも、はっきり言って分かんないことだらけで・・・。いろいろな局面で、プロの棋士が指した手がありますよね。それを見てもどうしてそう指すのかが分からないんです。ボクなら絶対こう指すっていう手があるのに、プロ棋士はそう指さない。それに指し手だけじゃなくて観戦記の下に付いているその手に使った考慮時間を見ても、どうしてここでそんなに考えるのか分からないんですよね。なにをそんなに考えることがあるんだろう、ボクならノータイムでこう指すのに、なんて調子で・・・(笑)」
―分からないことは、おとうさんに聞いたりしたんでしょうか?
「うーん、聞いたことあるかも知れませんが、大体は自分で考えていたというか、結局分かるわけないんですが、ある程度は自分で悩んで見て、自分の弱さに改めて気付いたりして・・・。ああ、早く分からないことが分かるようになりたいな、なんて思ったりしたものでした」
(中略)
―分からないことだらけで良くへこたれませんでしたね。
「そういう気持ちはなぜか持たなかったんですね。分からないことを早く知りたいという気持ちが沸き上がってきて、今振り返って見ると、初心の頃はあきらめるとかいやになっちゃうというようなことはあまり感じたことなかったみたいですね」
―ライバルはいましたか?
「覚えてからしばらくは父がライバルというか目標でしたが、小学校3年の時に大友先生(現在の師匠)の将棋道場に連れて行ってもらって、そこで後で一緒に研修会や奨励会を目指すことになったライバル達と出会いました」
―道場での段級は?
「初めて行った時2級と言われました」
―そのころは三段のおとうさんにだんだん勝てるようになっていたんですから、2級というのはちょっと辛かったんじゃないでしょうか。
「そうは思いませんでしたけど、そういえば初段や二段の人にはなかなか負けなかったかな・・・」
―ライバル達との関係は?
「ボクの他に小学生が3、4人いて、みんなボクより2、3歳年上でした。棋力の方は大体いい勝負だったと思います。ボクは、今でもそうなんですけど、敬語を使うのがどうも嫌いで、言葉使いでも気持ちの上でも、みんなと同年感覚でつき合っていました。それをみんなも認めてくれて、かえって歓迎してくれたみたいなところがありました」
―得意戦法は何でしたか?
「初めのうちは、さっき言った鎖鎌銀とか相掛かりの激しい将棋ばかり指してました。初段の頃になると振り飛車も指すようになって”風車”なんかもやるようになるんですが、どうも棋風というのは争えないというか、今思うと物凄い指し方をしてましたね」
―それはどんな指し方なんでしょうか?
「風車というのは、ツノ銀中飛車に新工夫を加えた駒組みで、3図がその基本型です。
後手の陣形は、ツノ銀中飛車に対して流行っていた△7二飛戦法です。先手の形は、本来、全面的な守備力が自慢で、辛抱に辛抱を重ねて相手の攻めを受け切って勝つことを目指すものです。ところが、ボクは、ここから、先手の指し手だけを進めると、▲3七桂~▲2六歩~▲2五歩~▲2九飛と、2筋の歩を伸ばしてそこに飛車を転回して後手の玉頭攻めを狙ったのです。その間に後手は当然左翼から攻め込んで来ますが、そこで手に入った歩を利用して2筋に継ぎ歩攻めをするとかの逆襲に出るんです」
―大変に雄大な構想ですね。その作戦の成功率はどうでしたか?
「今考えると、後手の△8六歩▲同歩△8五歩の攻めはかなり早くて、手数のかかるボクの指し方は、間に合うわけないんですが、相手が不慣れで受け方にミスが出たりしてこちらの攻めがツボにはまって勝ってしまう、というのが一つのパターンでした。とにかく受けはほとんど考えずに指していたんですね。それにしても、受けの代表的な形と言える風車戦法をやっても、攻めることばかり考えてたのには、我ながらよくやったなと思います(笑)。今ならとてもこんな無茶はできないでしょう。でも、奨励会の入会試験の時にもこの戦法でけっこう勝ち星をかせいだんですよ」
―奨励会の入会試験といえば、アマ四・五段のレベルと言われています。そこで通用したということは、かなり有力な戦法だと思われますが―。
「いえ、やはり無理筋であることには変わりありませんよ(笑)」
―道場にはよく通いましたか?
「それはもう、一度連れて行ってもらってからは毎日のように通いました。道場が家から5分くらいと近いこともありましたし、早く強くなりたいという気持ちでしたから」
―初段になったのはいつですか?
「道場に行きだしてまもなくだったと思います。初段になったのだから嬉しかったには違いありませんが、正直なところ初段をあまり意識しなかったというか、そのころの思いはとにかくもっともっと強くなりたいというものでしたから、特に自分が初段になったということで特別な思い出はないんです」
―ウーン。将棋ファンの一大目標といえる初段が、一つの通過点的なものだったとは、驚きです。初段になったその頃プロになろうと思っていましたか。
「道場に行く前はほとんど考えたことはなかったですね。行ってすぐの頃もそういうことはあまり頭になかったですね。ただ、道場に行くようになって、大友先生に会ってプロ棋士が身近に感じられるようになったりしたことは、ボクの気持ちを決める大きな原因になっていたと思います。しばらくしてボクがもう少し強くなった頃。道場の仲間が、プロになるには研修会とか奨励会があるとかの話をしているのを聞いたりしている内に、ある時、突然、よしボクはプロ棋士になろう、と決めちゃったんです」
―プロになろうと決心した理由を教えて下さい。
「それが、分かんないんですよ。どうして決めちゃったのか。今、思うと、きっとプロになればもっと強くなれるんじゃないか、なんて考えたのかも知れませんね。一度思っちゃうと止まらないのがボクの性格ですから、すぐに両親に、ボクはプロの棋士になります、と説得というか宣言して、後はどんどん前に進んでいっちゃったんです」
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風車は、伊藤果七段が居飛穴への対抗策として考え出した戦法。
決して囲いが固いわけではないが、陣形的にスキがなく、相手からの攻めに対して柔軟に対応できるのが特徴。
自らは戦いを起こさず、下段の飛車を左右にクルクル転回させながらひたすら手待ちをして、相手からの無理攻めを誘う指し方だ。もちろん千日手も大歓迎。
そういう意味では守備200%の戦法だ。
そのような風車の陣形に組んで、猛攻を仕掛ける郷田真隆少年。
零下60度の極寒の地から熱い火柱を上げるような戦い方。
「巨人の星」の星飛雄馬が大リーグ養成ギブスを装着しながら剛速球を投げる訓練をしているような指し方。
郷田真隆九段の踏み込みが良く力強い攻めは、風車という攻め好きな人にとっては大リーグ養成ギブスのような悪条件の戦法で鍛えたことによって、生まれたのかもしれない。
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一度思っちゃうと止まらない性格、素晴らしいことだと思う。
私も若い頃はそうだった。
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明日は、どうにも止まらない、という話。