将棋世界1992年8月号、鹿野圭生女流1級(当時)の第60期棋聖戦第1局〔谷川浩司棋聖-郷田真隆四段〕観戦記「郷田真隆、初陣を飾る」より。
おととしの秋、第57期棋聖戦の挑戦者決定戦で森下に敗れた直後、初めて郷田と顔を合わす機会を得た。
”なんて、顔色の悪い子なんだろう”
それが第一印象だった。打ち上げの席では、なるべく、自分の存在を気づかれぬように、誰とも視線を合さぬように、ただ黙ってチビチビ酒を飲んでいた。
翌年の夏、第58期棋聖戦の挑戦者決定戦では南に敗れ、この後の打ち上げの席でも郷田は、土気色の顔をして、チビチビと酒を飲んでいた。
たまたま、2回続けて大事な一番を負けた直後の郷田を見ていたため、顔色の悪いおとなしい子だ、という印象を私は持っていたのだが、対局以外の日の郷田に会って、驚いた。”明るい”のだ。顔色こそ、あまり良いとは言えないが、決しておとなしくはない。思った事をハッキリと言う、爽やかな男の子だった。
(中略)
五番勝負は、まだ始まったばかりだが挑戦者が四冠王に先勝し、がぜんおもしろくなった。2局目以降も好勝負を期待して、ペンを置く事にしよう。
追記
打ち上げの席での郷田の顔色は、相変わらず、あまり良くなかった。但し、いつもより少々饒舌だった。
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この時期の郷田真隆九段は、将棋に勝ったときも、負けたときも、普段も、顔色が良くなかったということになる。
土気色の時は別としても、肌色よりも白い感じだったのだろうか。
”顔色の良い美男子”や”血色の良い美男子”というのはあまり聞かないが、”顔色があまり良くない美男子”だと美男子のイメージにピッタリな感じがする。また、美男子を色男に変えると、更にその感じが強くなる。
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顔色というと思い出すのが松崎しげるさん。
あれは20年ほど前の秋の昼下がりのこと。
中央線快速の最前部車両に乗っていると、ものすごく色の黒い人がいること気づいた。
アフリカの人よりも黒い感じの、炭のような黒さだった。
その人はマイクを持っていて自分で何かを話している。小さなテレビカメラを持っている人もいる。
よく見てみると、顔色の黒い人は松崎しげるさんだった。
テレビ番組の撮影で、松崎しげるさんはレポーター役のようだった。
あの色の黒さは、本当に見事だった。
松崎しげるさんは、その後も色の黒さに磨きをかけ、自己紹介では「歩くメラニン色素」と言っているという。
サクラクレパスでは、「まつざきしげるいろ」の水彩絵の具も作られているようだ。