将棋世界1992年2月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 東京」より。
今月の取材日は12月10日、火曜日。私自身の対局日でもあった。
(中略)
大広間は3つの部屋で形成されているが、一部屋で2局、後は1局ずつの贅沢な配置だった。
上席の2局の内の1局が鈴木-木下浩戦だった。
夏にも全日プロで顔を合わせていて、この欄でも紹介させて頂いた。
あの時は勢いのない手を指してズルズルと土俵を割ってしまった。
1年間の公式戦で同じ相手に2回負けるのも辛いが、内容のない将棋の方がもっと辛いので、その事だけは肝に銘じて盤に向かった。
そして、早くも1図の局面で12分の長考になった。たった2手指しただけの平凡な1図で何を考えていると思われるだろうが、私にとっては棋士生命を(それ程でもないが)懸けた長考だった。
1図から▲2五歩△3三角▲7六歩とすれば苦労しなくてすむが、気合が悪いのではないか、等色々悩み意を決して単に▲7六歩と突いた。
するとノータイムで△5四歩(2図)と指してきた。ひょっとしたらこうは指してこないかもしれないという淡い期待も裏切られた。
またまた平凡な▲2五歩に13分の長考になった。
全体の消費時間から見れば長考と言うのもおかしいが、この辺では長考の部類になると思う。
「後悔先に立たず」と言うが、何を好き好んで相手の得意に入っていくのか自分でも判らない。
判らないが、昨日の電話の事は思い出していた。
「テレビで小野君にヒドい目に遭ったよ。(中略)研究をまず教えてもらうという姿勢なんだ」と甲府が生んで日本が育てた大哲学者からのものだった。
3手指すのにこれだけ考えるのだから疲れる。
△5二飛(3図)は予想通りの局面。
ここでの先手の最善手は判らないが、▲4八銀△5五歩▲6八玉△3三角(4図)の局面は後手が得をしていると思う。
専門的になってしまうが、4手目「△5四歩」の戦型は横歩と取られるか、少なくても2筋の歩交換を許す事になる。
その2つのリスクを背負わないで4図に組める得は大きい。
3図から▲2四歩は△同歩▲同飛に△8八角成▲同銀△3三角▲2八飛△2六歩(A図)で先手が困る。
定跡書には▲7七桂で受かると書いてあるが、これは桂が負担になって悪そうだ。
もっとも、4図を不満と見て郷田君は敢然とA図に挑戦し▲7七桂とハネた。
一時間を超す長考で、悪いと知りながら指すあたり、会津の白虎隊を思わせる突撃だったが、やはり散ってしまった。
美剣士郷田の気持ちもよく判る。4図にするくらいなら先人の苦労はどうなるのか。塚田-木村の名人戦をはじめ数々の名局が浮かんでくる。
名もなき町民の私にも意地はあったが、結局4図で手を打った。
そもそも△5二飛がコペルニクス的転回の一手である。400年の歴史に名を残す一手ともいえる。
ただ、「5五の位は天王山」と言われた昔に比べそれ程ショックではないのかもしれない。
(中略)
私の対局は手抜きには手抜きという将棋で、大乱戦になっていた。
(中略)
偶然の勝ち筋発見で何とか勝つことができた。
「緩めてもらったので食事でもどうですか」と木下君を誘って近くの店に入った。
付き合いがなかったので、「お酒は飲むの」と訊くと「身体に悪いと思うので最近はやめています」との答えだった。
森けい二先生の流れをくむのか、若いのにしっかりしているなと思ったが、今日くらいはと言うのでビールを二人で何本か飲んだ。
「最近はあまり食べられなくて」と言うので心配になったが、最後はご飯を注文したので安心した。しかも、大盛りだった。
ファミコンの三国志を寝ないでやると訊いたときは真部先生の流れをくむのかと思い直したが、「全部制覇するには5日かかります」と訊いては徹マンの鬼、野本虎次先生の直系ではないかと思った。
ともかく、話に脈絡がないが面白いが、この柔軟な発想が偉大な新人の源なのだろう。
(以下略)
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ゴキゲン中飛車と同じ出だし、当時は「5筋位取り中飛車」と呼ばれていた。
当時の、この見慣れぬ戦型に対する悩ましさ、戸惑いが率直に書かれている。
この対局の前に、郷田真隆四段(当時)が木下浩一五段(当時)の5筋位取り中飛車に敗れている。
→郷田真隆四段(当時)「悔しくって、家に帰ってから一晩中、盤とにらめっこ」
「美剣士郷田の気持ちもよく判る。4図にするくらいなら先人の苦労はどうなるのか。塚田-木村の名人戦をはじめ数々の名局が浮かんでくる」
の言葉が非常に印象的だ。
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戦前の横歩取りは、3図の△5二飛のところで△5五歩と指していた。
木村義雄十四世名人、塚田正夫名誉十段、加藤治郎名誉九段などが繰り広げた横歩取りの名勝負。
4年以上前のブログの記事では、昭和13年の升田幸三五段-大野源一六段戦を紹介している。
横歩取りの出だしから、後に振り飛車名人と称されるようになる大野六段が中飛車→石田流と変化した非常にユニークな手順。
「4図にするくらいなら先人の苦労はどうなるのか」ということを更に強く感じさせる一局だ。