将棋世界1983年6月号、故・能智映さんの連載エッセイ「棋士の楽しみ プロレス」より。
中原誠棋聖の棋聖就位式の日だった。おめでたいお祝いの席が終わったあと、大山康晴十五世名人、佐瀬勇次八段らと車に同乗するチャンスがあり、「将棋会館」へ向かっていた。こんなときも大山はよく話す。が、その話のほとんどは仕事の話。いわば将棋普及などにかかわる話が多い。このときも秘書課の職員を相手になんやかやと相談をはじめた。それが意外とおもしろい方向に進んでいったのに私もにっこりした。
5月8日に第1回大会が開かれる「国際将棋選手権大会」のことだ。参加者は第1回ということもあって日本在留の外国人が多く、この時点で7カ国、38選手の申し込みがあったと聞いた。
(中略)
大山はまじめな顔でいう。
「囲碁の林海峯九段や趙治勲棋聖もなかなか強いらしいね。日本棋院におねがいして出てもらおうじゃないの」
せっかく開くのなら、にぎやかにしたいというのだろう。こうした発想が、いかにも大山らしくておもしろい。続いて言い出した話はもっとトッピで、車中のみんなは吹き出してしまった。
「そうそう、日本の選手団も作んなきゃあいけないねえ。なるべく有名な人がいい。そのほうがファンに受けるからね。でも、あまり強すぎては、外国の人たちに失礼だし、萩本欽一さんや、いかりや長介さんあたりはどうだろう」
”テレビぎらい”で知られている大山からこんなタレントの名がとび出してくるのも奇妙だった。だが、またそれに続く人物の名が奇想天外だった。
「そうだ、国際大会だから、やっぱり外国にも名の知れた人がいい。プロレスラーのジャイアント馬場も将棋をやるはずだと聞いている。(秘書に)君、早速当たってみてくれないか」
あの馬場選手と将棋―あまり結びつかないようだが、「会館」に着いて記者仲間らに聞いて回ってみると「けっこう指すよ。アマ二段ぐらいはあるんじゃあないか」ということだった。
(中略)
連盟秘書課に問いただしてみると、「まだ段位はさし上げてない」という。それでもプロレスをよく知るスポーツ記者にたずねてみると「あの人の風貌と同じように、よく考える将棋ですよ。あのピーポーピーポーの楽器かのCMで見られるように、けっこうマメだから、ひょっとしたら将棋大会に顔を出してくれるかも知れませんよ」と。そうはいっても、その国際大会の日は日曜日だから少々むずかしいか?
(中略)
大山が全日本プロレスの馬場なら、関西の内藤國雄王位は、もっぱら新日本プロレスのアントニオ猪木だ。将棋界には、これほどの熱狂的なプロレスファンはほかにいない。
内藤が「猪木選手にもらったボクシングのグローブで深夜、サンドバッグをたたいている」という話や、力道山が死んだとき、気落ちして『負けなくてもいい将棋を三番続けて負けてしまった』と悔やんでいた」話は2年ほど前に、この欄で書いた。
ともかく好きだ。内藤はいま王位に就いているので、そんなことはないが、わたくしの社(新聞三社連合)の主催している王位戦には、内藤の「関西地区の新聞にも王位戦の観戦記を載せてください」という希望(発案)で、11年前から神戸新聞社も主催社の一つになった。だから―、といっては失礼に当たるか。とにかく内藤は自分自身が対局者でない限り、神戸近郊の一局では立会人を引き受けてくれる。
だが、それが夕刻になってくると、プロレスの立会人になってしまうことがある。「あと30分」「あと15分」とかいって対局室にはまったく行こうとしない。控え室でプロレスのテレビとにらめっこだ。「タイガー・ジェット・シン、たいしたことないね。ブッチャーも猪木にかないっこないよ」などと一人でぶつぶついっている。主催社のだれもが「しゃーないわ」といいながら、対局室と控え室を往復しているのを何度か見た覚えがある。
内藤が10年ぶりに王位を奪回したのは昨年だった。その第3局は初めて帯広市で行われることになっていた。しかし、大阪-帯広の直通便はない。悪いと思いながらも、内藤には東京(羽田)を中継して帯広に行ってもらうことになった。
読書家で知られる中原王位(当時)は、わたしとの取材に約束があって、いろいろとしゃべっていた。―いつの間にか、すぐ前にいた内藤が消えている。彼らしい気の遣いようもあるだろう。ただひたすらに本を読んでいる。
わたしも新聞記者だけに、いろいろと興味がある。「それ、なに?」と聞いた。内藤は「よく聞いてくれました」とばかり、にこっとした。
「ブッチャーが書いた”プロレスを十倍おもしろく見る本”や」と得意気だ。しかし、続けていう。「これは、あまりおもろうないね」。―それでもずうっと読み続けていたように覚えている。中原も「けたけた」と声を出して笑っていた。やっぱり勝負師は勝負師を好むのだろうか。でもこうした友情もいい。
また連盟に電話して聞いてみる。「たしか猪木さんは五段の免状を持っているはずですよ。内藤先生が手渡されたように聞いています。有名人のことだから、まあ名誉五段というわけですけれど―」
(中略)
馬場と猪木の両巨頭が出た。しかし、もっとすごいプロレスラーがひと昔前にいた。若い人でも名前だけは知っているだろう。力道山である。
(中略)
そんな”神さま”のような力道山と親交のあった棋士がいると聞いた。調べてみると、やはり”男性的”な剱持松二七段だった。これを見落としてはいけない。すぐに新宿の「釼持将棋教室」を訪ねて話を聞いた。
釼持は「ずいぶん古い話だよ」と笑った。
「22歳で四段のころがはじまりですよ」という。すると昭和31年、力道山大全盛のころだ。
そのころ釼持は三菱電機の常務・大久保氏や社長の片山仁八郎氏らの将棋の指導を週に1回(金曜)行っていた。核心に触れる前、その大久保氏のことをちょっとだけ紹介させてもらおう。
大変な将棋好き、10年ほど前「ちょうどこちらに来ていたんでね」と札幌での王位戦を観戦しに見えたこともあった。それだけに将棋の普及にもずいぶん力を入れてくださった。かや、18期に入ったテレビ東京の初期のスポンサーも大久保氏の力で三菱電機が受け持っていたはずだ。(同じように三菱電機はプロレスにも力を入れ、毎週金曜の晩の「プロレスアワー」のスポンサーもしていた。だから当然、特別の指定席を持っている)大久保氏は将棋の稽古の終わったあと、釼持に聞いた。
「君、プロレスは好きかね?」
釼持はすぐに「ええ、それは」と答える。以来、毎週、三菱電機では”重役会-将棋会-プロレス-酒席”というスケジュールが繰り返されたらしい。なんとも妙な組み合わせだ。釼持は懐かしげにいう。
「リングサイドに三つ席を持っていたんだ。一つは大久保さん、一つはわたしの席だった。あと一つにはいろんな人がきたよ。仲間では来なかった人のほうが少ないといいたいぐらいだ」
その”いろんな人”の名をあげていく。
「坂口(允彦)先生、加藤博二先生、荒巻(三之)先生、山川(次彦)先生、広津(久雄)先生、芹沢(博文)、北村昌男、桜井(昇)、佐藤大五郎君ら、みな見に来ていたし、連盟の職員にもずいぶん券を配ったよ」
(中略)
釼持の話をもう少しだけ続けて聞こう。
「力道山は将棋好きだったが、わたしと指したことはないね。でも、遠藤幸吉、九州山、吉村道明、大坪清隆さんなんかとは何回も指したよ。なかでは大坪さんが抜群に強かった。四段ぐらいはあったよ」
わたしたち中年には、なんとも懐かしい名前がならんだ。その将棋の強い大坪選手について釼持は「最近、訃報が届いたんだよ」という。それについては知っている。たしか人命救助しようとして亡くなったというニュースを読んだような気がする。
そうしたあと、釼持は呑んで遊んだ。
「渋谷の”リキパレス”の下だった。力道山とは毎週呑んだよ。流血戦でヒタイに大出血してもどうということはない。ひょいひょいと赤チンをつけ、血を流させたヤツといっしょに仲良く呑んでるんだ。しかし、あれだけの身体だ。呑む量はケタ違いだったよ」
(中略)
どんな有名人でも、趣味のこととなると盲目になるようだ。あの”われらの英雄”力道山が釼持にほんのちょっとだけ頭をさげておねだりしたという。
「なんとか、将棋の免状をいただけませんかねえ」
恐らく、力道山の生涯で、頭をさげた人は、この釼持だけだったかも知れない。
将棋連盟は打たれてすぐ響いた。即「三段」である。
「たしか、その免状授与は山川先生がやったはずですよ。昭和34、5年の将棋世界に、そのときの写真が載っているはずですが」と釼持。
やがて、内藤が三番続けて負ける日がやってくる。わたしも記憶がある。赤坂の「ホテルニュージャパン」の地下のクラブ「ニュー・ラテンクォーター」だったと思う。力道山が暴力団員に刺されて死んだ。釼持はがく然としたらしい。
「ほんとうにびっくりした。師匠の荒巻先生に連絡して、すぐにお通夜にとんでいったよ」
祭壇の前にヒザまずいて驚いたという。なんと「将棋三段」の免状が遺影の横にきちんと飾られていたというのだ。―いい話ではないか。
(中略)
古い話が長くなった。こんどは若さぴちぴちの新七段、田中寅彦七段に登場してもらうことにしよう。よく知られているように、田中の令夫人はタレントの日下ひろみさんだ。
この原稿の取材をしようと田中家に電話を入れたら、ひろみ夫人が出てきた。例によって明るい声だった。
「実は寅ちゃんにプロレスのことを聞こうと思っているんですが―」といったら「クックックッ」と笑って、「あっ、プロレスですか?”棋士の楽しみ”の取材なんでしょう」との返事。そしてご主人に代わってネタを提供してくれる。
「そのプロレス狂で、わたくしはほんとうに迷惑しているんです。いつも心ここにあらず。食事をしていても、ハシが変な方向にいって、やっとおかずをつまんだな、と思ってもボロボロこぼすんですよ。それだけならいいんですが、誠(長男・2歳0ヵ月)にまで見せようとして、ヒザの上にだっこして一生懸命なんです。この間はね―」
そこまでいったとき、「ぼくに電話だろ」との声が聞こえて田中本人が出てきた。どうもバツが悪そうだ。「いやーね」といって話を継いでくれる。
「ひろみはね、ぼくの失敗談を暴露しようと思っているんですよ。”女のうらみ”はこわいですね。一度だけなんですけどね」
そういって、自ら誠君をだっこしていて大失敗をしでかした話を披露してくれた。その話に電話口で吹き出してしまったが、我が家も夕食の最中、不審がる女房、子供たちにはそれを話す気にならなかった。ちょっぴりかわいい、下のほうの逸話。それをいま目の裏で再現してみよう。
―土曜日だから恐らく、田中は早い夕食を家族といっしょにとっていたと思う。食事が終わって、誠君をだき上げた。「ジャンボ鶴田とタイガー・ジェット・シンの白熱した戦いだった」と田中はいう。「こんなおもしろいショウは息子にも見せなくては、と『ほらほら!』といいながら、見せていて熱中してしまったんです。そしたら、なんとブジュブジュのウンコをやってしまったんですよ」
あとでまた電話を代わって出てきたひろみ夫人。「座布団がべとべとで、すごく臭いんです」―たしかに怒るだけのことはある。でも、わたしだって、何度かそんな経験がある。なにもプロレスのせいではないのだ。
「でも」と田中はいう。「実はぼく、女子プロレスのほうが好きなんです。5、6年前だったですか、田丸さん(昇七段)の家でごちそうになったとき、初めて女子プロレスを見たんです。これはぼくの想像なんで、確かめて欲しいんですけど、もしかしたら奥さんの治恵さん(谷川女流二段)が好きなんじゃあないんですか?それからぼくはプロレスファンになっちゃったんです」
そういってから、少し電話の声が途切れた。ちょっと小用にでも立ったひろみ夫人が、また電話の近くにもどってきたのだろうか。それでも、もう勢いか、思い切ってしゃべり出した。
「ちょっと、これは無理でしょうかね。能智さんはマスコミの人。うまくコネをたぐって、女子プロレスの放送のゲストにぼくを使ってもらえませんかねえ。最近のゲストは、みなドン臭い。技を知らないし、次にどんな技が出てくるのかも解説してくれない」
こうなると、いっぱしのプロレス評論家だ。だが田中、もっとすごいプロレス狂を紹介してくれた。
同じ高柳敏夫八段門下の大島映二四段だ。これは本人に聞いたことではないが、人から人へと伝わってきたことのほうが、ストーリーがオーバーでおもしろいと直感して、取材したことのウラは取らなかった。「将棋世界」の新編集長となった竹内君は同年輩だけに大島と仲がいい。その人の”真実の証言”だ。
「大島さんは、大のプロレスファン。自分の家が汚いアパートなのに、プロレスのために大金を払ってビデオデッキを買ったんです。若手棋士や連盟の職員が集まると、次々とプロレスのビデオをかけるんです。それが、いわゆるハイライトなんですよ」
それは田中らの若い棋士たちからも聞いている。
「彼は、もしかしたらSMの趣味があるのかも知れませんね。”いい役”のベビーフェイスなどにはあまり興味がなく、”悪役”が好きなんです。テリー・ファンクが、アブドーラ・ザ・ブッチャーにフォークで滅多突きされるシーンなど、しびれて『たまらない、たまらない!』と絶叫して、自分の座っているイスをドスンドスンとわたしたちにぶっつけてくるんです」
それは、まだ大人っぽくていい。しかし、観戦記者の信濃桂氏から聞いた話で腹をかかえてしまった。なんとも子供っぽいのである。
二人はいっしょに新日本プロレスを見にいったらしい。猪木やタイガーマスクが勝った。ハルク・ホーガンも大健闘だ。いわば、加藤一二三名人以下、中原、大山、米長が大活躍したと思えばいい。
すっかり興奮、感激した大島、考えられないことをしでかすのである。信濃氏の証言もまた真実に近い。
「あの人は恥ずかしさがないのですかねえ。サインを求めて右往左往する子供たちといっしょに猪木に向かって突進し、『ぼくにもサインして!』などといっているんですよ。もういっしょにプロレスを見に行く気にはありませんね」
その大島に最近会った。わたしがプロレスに関する取材をしていることを知っていたらしい。―何かしゃべりたそうな気がしたが、本人の話を聞いてもらうと、せっかく書くものが薄められてしまって、つまらなくなってしまう。だから意地悪く知らん顔をしていた。するとまじめな顔で聞いてきた。
「あのターガーマスクっていうのは、日本人なんですか?」
それなら、私も知っている。同じ高柳門下の伊藤果五段から教えてもらったことがある。伊藤は青山の夜の帝王。新日本プロレスの連中と仲がいい。
「あたり前じゃないですか。日本語で解説しているのを、大島君は聞いたことないのかな?」
わたしの子供(小学6年)だって「あのタイガーマスクは日本人だ」といっているのに―
(以下略)
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現在の将棋界で気合の入ったプロレスファンといえば、郷田真隆王将と澤田真吾六段。
この記事の前年の12月、郷田真隆王将は奨励会入りをしているが、この時点で、郷田少年のプロレス観戦歴は既に4~5年となっている。
そう考えると、郷田王将のプロレス歴は筋金入りだ。
郷田王将は、4月5日、東京・両国国技館で行われた新日本プロレスの試合を観戦、アマ三段以上の棋力を持ち昨年の将棋世界で郷田九段(当時)と対談した田口隆祐選手を激励している。
→郷田新王将はプロレスファン 新日両国大会観戦で大喜び(スポニチ)
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澤田真吾六段の師匠の森信雄七段も、昨年プロレスを観戦している。
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剱持松二九段と力道山のことについては、以前も取り上げたことがある。剱持松二九段の将棋界への貢献は非常に大きかった。
釼持七段(当時)が四段はあったと言っている大坪清隆選手は飛車角というリングネームだった。
とてもジーンとくる話。→プロレスラー「飛車角」
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現在、囲碁・将棋チャンネルで活躍をされている田中誠さんの幼かった頃の逸話も面白い。田中寅彦七段(当時)が直接電話に出ていれば女子プロレスの話だけだったものが、奥様が最初に電話に出たので田中誠さんに起こった出来事が明らかになってしまった形だ。
プロレスが直接的に悪いということではないが、田中寅彦七段がプロレス中継に夢中になっていなければ未然に防げたかもしれないわけで、プロレスの因果関係の判定が難しいところだ。
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4月14日(火)に東京・下北沢の小劇場B1で19時から、最強頭脳戦「将棋の王将」が行われる。
将棋に魅せられた芸人たちが登場し、将棋の魅力を語るトークや、初心者でもわかるルール説明・詰将棋など笑いながら学べる将棋講座、出演者同士の対局などが予定されている。入場料は2,000円。
出演者同士の対局は、初代チャンピオン「竜王芸人」を決める大会のほか、将棋初心者の芸人同士による「最弱頭脳戦」もある。
出演は以下の通り。
MC:ポテト少年団菊地
囲碁将棋(文田・根建)、ザブングル加藤、スパローズ大和、ひので池田、ランパンプス寺内、LLR福田。
ゲストは佐藤紳哉六段、小林顕作(宇宙レコード/コンドルズ)、そして田口隆祐選手。
全く新しい形のライブ。非常に楽しみだ。
→最強頭脳戦「将棋の王将」(株式会社 SLUSH-PILE.)