将棋世界1993年8月号、内藤國雄九段の連載エッセイ「棋士と寿命と大山さん」より。
深夜まで戦って敗れた日は、帰るときに履く靴がぐさぐさで、自分の靴ではないように感じられることがある。靴の中まで冷えきるような寒い夜は、とくにやりきれなく思ったものである。
対局消耗のせいだろうが、そればかりでもないようだ。同じ時間戦っても勝ったときはそう感じないのである。
人間は死んだ瞬間にいくらか体重が軽くなるもので、それは去っていった魂の重みだという人がいる。もしそうだとすれば負けたときは魂をする減らしているのかもしれない。
将棋というものは優勢でも最後の最後まで息を抜かない。悪い将棋も親指一本で残して打っちゃってやる―こういう気持ちをなくすと黒星ばかりが並ぶことになる。勝負にあっさりし出したら勝率は確実に下る。勝つためには精魂を傾けなければならないのである。
強靭な大山さんでさえそのために生命を早めたという気がする。最期の順位戦は初めから本気であった。勿論、本気でない年などなかったろうが、特に燃えていたのではないか。
或いは、後がないという予感があってそれが煽ったのかもしれない。
「本気を出せば、まだまだ誰にも負けないということを見せておいてやろう」という気持ち。いや「名人位を置き土産に」という気持ちすら抱いていたかもしれない。過去いくどかA級から落ちそうになってからみせた踏ん張りのすごさで、本気を出した時の強さは実証済みである。
しかしこれが文字通り体力を、そして生命を燃え尽くさせてしまったという気がする。
疾患を抱えてのこういう無理がなければ、大山さんはもっと長生きされたのではないか。
終盤の二枚腰で定評のある名人が「棋士の終盤」では充分その力を発揮されたものの「人生の終盤」では意外にあっさり投了されたのは残念というよりない。
棋士の寿命について、以前から感じることがある。それは関西(西日本)には現役のまま亡くなる人が多いということ。大野、灘、本間、熊谷、北村秀……。
一方関東の方では適当な時期に引退し長生きされている棋士が多い。今、存命の長老は殆んどが関東の方である。
現役を退かないというのは、なにか関西人の体質のようなものと関係があるのかもしれない。
一生現役で通せる職業というものは、早くに引退を要求される職業からみるとうらやましいものかもしれないが、将棋の場合、適当なところで引退したほうが、「良き晩年」のためにはいいのではないかという気がする。
関西方の棋士でも、あまり丈夫でなかった升田、高島御両名は一応寿命を全うされている。
寿命については一般に、綺麗なもの、美しいものを扱う職業は長生きし、汚いものを扱う職業は短命だといわれている。たとえば音楽の指揮者、高僧(宗教家)、画家などは長生きのトップにあげられる。これらは綺麗なものを扱う(追求する)職業であるということに異存はないだろう。一方、逆のものを扱う職業の方は、具体的にどれとあげにくい面があるが、一つだけあげると外科医。本当かどうか、メスを持つお医者さんは非常に短命であるという。そういえば、汚いというと語弊があるけれども、手術の場面は普通の人には正視に耐えないものだ。私の周辺に動物の解剖がたまらないと、折角入った一流大学の医学部を止めてしまった人もいる。手術や解剖は人命を救うために止むを得ない処置なのだが、それが短命につながるとすれば気の毒な職業である。ついでに言うと、精神科医も短命だという。人の心の裏は余程醜いということなのだろうか。その辺のところは私にはわからないが不思議な気がしないでもない。
棋士の場合はどうか。手で触れるもの、見えるものは美しく仕上げられた木の盤と駒で、これは綺麗なものと言えるだろう。しかしそれは外観だけで内側は汚いとまでは思わないが、激しく炎が燃え盛っている世界である。
むきになってやれば命をすりへらす。高齢には過酷で、体に疾患をかかえていたりすると確実に命を縮めることになる。もっとも、気楽に楽しむという境地でやれれば、そう心配は不要だけれどもそれを許すほどに甘い世界ではない(これは職業としての場合)。
ところで、人は死が近づくと、将棋が急に弱くなるという。私はいくつかその実例を見てきたが、大山さんにはそういうところが最期までなかった。やはり別格の人、一種の超人であったと言うべきであろう。
―じっと顎をひいて無口の正座を続ける在りし日の大山さんの姿が浮かんでくる。対するは、絶えず体を動かしぶつぶつ呟く升田さん。そして升田さんが一息吸ってぽいと投げ捨てる煙草が、たちまち綺麗な花びらを灰皿にえがいていく。しかし体をやや前傾にした姿勢の大山さんは全く動かない。
静の大山に動の升田。その時、升田さんは三冠王で絶頂の記事であった。場所は有馬温泉。私は三段で記録係をしていたが、両名の対局姿はまるで名優の舞台をみているようであった。
それはまさに「絵になって」いて、ともすれば退屈を感じがちな長時間の対局が、全く飽きるところがなかった。
最近、谷川・羽生戦について「完全に升田大山レベルを抜いた」とある若手が言ったということだが、それは若気の至りから生まれた発言である。若手のレベルが著しく上がったことは事実で、多くの若手は力をつけ四段で早くもトップの座をおびやかしたり、タイトルを取ったりする。驚くばかりの成長ぶりを見せている。その層の厚さに感心する。しかし各時代にそびえ立った巨木にはまだ到達していない。いまその若い樹木のなかで、一頭地を抜いている二つの樹も、真の巨木になるかどうか、これからの課題である―と私は考える。
最後に、誰にも言っていない大山さんの思い出を一つ。ある棋戦の打ち上げの席でのことである。部屋に早く入りすぎて一人ぽつねんと座っていた私。その私のところへ大山さんがのこのこやってきて横に座った。それだけでも意外なことなのに、さらに意外なことを言われた。
「お金というものは女房と税務署に知れると、もうお金じゃないよね内藤さん」
なにか身近な人には言えない事情があったのかもしれない……と考えたのは後のこと。このとき私は突然思いもかけない妙手を放たれた感じでとっさに応手が分からず、目をぱちくりするばかりであった。
人間大山を感じさせた一瞬であったが、イメージが合わないせいか心の片隅に追いやられて思い出すこともなかった。
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打ち上げの前の出来事なので、「お金というものは女房と税務署に知れると、もうお金じゃないよね内藤さん」は、さすがに大山康晴十五世名人といえども盤外戦術ではないと思われる。
しかし、大山十五世名人のことなので、中・長期的視点に立った盤外戦術である可能性も否定はできず、そう思わせるところが大山十五世名人の大山十五世名人たるところなのかもしれない。