中原誠十六世名人「ピンクレディーって可愛いですね」

将棋世界1986年2月号、東公平さんの「ご縁の深い名棋士 晴天平歩 中原誠名人」より。

 初めて私が観戦記を書いたのは近代将棋社主催のアマプロ対抗戦であった。中原2級対吉田直躬アマ四段で、勝敗は忘れたけれど、中原2級が兄弟子の芹沢さん(当時六段だったと記憶)に叱られた場面だけが頭にこびりついて残っている。▲3三歩と金の頭をたたける形で中原2級は▲3四歩と垂らした。次に▲3三歩成とすれば後手の吉田さんは取る一手だが▲3三歩と打ったのでは金に逃げられるかもしれない、と2級の少年は考えていた。兄弟子は教えた。

「中原君。その▲3四歩ってのは何だい。将棋に無い手だぞ」

 芹沢さんといえば、昭和44年度の昇級争いを思い出す。あっちこっちに書かれているが、改めて手短かに書いてみる。

 B級1組の順位戦最終局。昇級二人のうち一人が内藤八段(12勝1敗)で最終局は関係なしである。米長七段は大阪で大野八段と戦う。米長自身はすでにA級入り不可能だったが、芹沢八段に「僕は必ず大野先生を負かします。頑張って下さい」と言った。

 かくしてドラマの幕が開いた。

 芹沢八段対中原七段。大野は米長に勝てば自力でA級復帰。大野が負けると芹沢対中原の勝者がA級入りだ。なぜ同門の対局が最終局になっていたのか、などいろんな話があるが割愛して、最後の場面に移る。

 私は電話で「大野敗れる」を聞いた。東京でまだ戦っている二人には知らせないことになっていた。なぜなら、棋譜が届くまで確認できないからだ。誤報や聞き間違いだったらどうするか、という訳だ。

 ところが、対局室に戻った私の様子を見て芹沢八段は「ははん。大阪は米長の勝ちだな」と知ったそうだ。着手に乱れが生じ、敗れた芹沢は投了して「中原君、昇級だね。そうだろ(と私に)。おめでとう」といった。

「僕は全然気がつきませんでしたね。少し不利だったし、将棋以外の事を考える余裕もなかったし。鈍感な所で得してるのかも知れないですね」

 昇級できなくて元々(他力依存だから)で来年上がればいい。中原七段は割り切って対局に臨んでいたという。

 鈍感で得をしている。全く同じ言葉を加藤一二三さんから聞いた事があるが、中原さんは「あの滝を止めてほしい」などとはいわない人で、両名人を比較すれば明らかに中原さんの方が図太い。

(中略)

 東京・渋谷駅に近い線路沿いに「高柳道場」がある。中原名人の第二の故郷は渋谷だ。対局やインタビューのあと、必ずといっていいほど「食事をしませんか」と名人に声をかけられ、よく渋谷へ行った。今でもよく誘って頂くが、私が払ったのは深夜の青山の一軒だけで、あとはごちそうになりっ放し。ある時、渋谷駅前のみすぼらしい平屋(バラックといえば年配の方には分かりいい)である「玉久」という飲み屋に案内された。ここで軽く一杯やって食事をしてから、近くの「有馬記念」という名のバーへ行くのが当時の中原好みのコースだったらしい。

「玉久」はゴザなんか敷いた床に小さな座ぶとんを並べ、もちろん相席で、こんな所に将棋名人が入って来るとは客のだれもが思っていないはず。

 隣り合わせたご婦人二人に「あら、こちらさんハンサムね」と声をかけられた名人、にこにこして何か返事をしている。

「お勤めかしら」

「僕ですか?商売を当ててみて下さい」

「そうね」としげしげと名人の顔を見た中年の女性はこういった。

「わかったわ。証券会社にお勤めでしょ」

「あれ、よく分かりますねえ」と乗っちゃった中原名人は「こっちの人は分かりますか」と私を指す。

「うーん、分かんないわあ」

 そんなにややこしい顔なんだろうか。

(中略)

 名人位を奪回した今、最もやってみたい相手はだれですかと訊いてみた。

「加藤一二三さん。本来なら名人戦で戦いたかったんですよ」

 加藤に奪われた名人位が、谷川経由で帰って来たのを残念としている。自分がすぐ挑戦者になって出て行きたかったのだ。

「王将、十段、名人と取られて、取り返したのは十段だけですから」

 米長現十段にぜひここを読んで頂きたい。何というだろうか。

(中略)

「ピンクレディーって可愛いですね」

 対局中に中原名人が私にいった。何年前だったか思い出せぬ。結婚の直後だったように思う。「どっちの子が?」「両方とも」

(以下略)

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「自分からタイトルを奪った相手に勝ってタイトルを奪還する」ことを最善の奪還の姿とする中原誠十六世名人。

さすがにスケールが違う。

1月に行われた将棋ペンクラブ会報の新春対談(中原誠十六世名人-木村晋介会長)で、中原十六世名人が、「米長さんと初めて戦ったのが昭和49年のことだから…」という話をした。

私は、(あれっ、中原-米長戦の初対局はもっと前なのに…)と思ったのだが、すぐに初タイトル戦のことだと気付き、やはりスケールの大きさに心の中で感嘆したものだった。

目の前にいるのは永世名人なんだ。あらためて、そのことを強く感じた。

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渋谷の「玉久」は、加藤治郎名誉九段、原田泰夫九段なども通った酒場。(場所は109の隣)

以前はバラック建てのような建物の店だったが、現在では玉久ビルとなり、ビルの中に店がある。

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ピンクレディーの話。

現在に置き換えて言えば、羽生善治名人が対局中に観戦記者の小暮克洋さんに「ももいろクローバーZって可愛いですね」と話しかけるようなもので、

小暮さん「どの娘が?」

羽生名人「みんな」

という信じられないような流れとなる。

序盤から細心の神経を使わなければならない現代の対局室からは考えられないような展開なわけで、古き良き時代の対局室での中原十六世名人と東公平さんの会話は、遠い夢の世界のような感じがする。