山崎隆之四段(当時)「僕はこう答えた奴が嫌いだ。事実しか答えてないロボットみたいだ」

将棋世界1998年5月号、山崎隆之四段(当時)の四段昇段の記「大事なもの」より。

 四段に上がってから取材の時に何度かこう聞かれた。

「将棋を覚えたのはいつ頃ですか」

”5歳の頃です” うん確かに6歳になる前だったと思う。

「だれに教えてもらいましたか」

”父です” たまたま父が詰将棋をしていて僕も一緒になってやったけど解けなくてわんわん泣いた時、父は僕に将棋を教えてくれた。

「奨励会はどれくらい」

”5年半です”

「最近では早いよね」

”そうですか”

 僕はこう答えた奴が嫌いだ。事実しか答えてないロボットみたいだ。

「どんな棋士を目指していますか」

”いろんな先生がいますが自分は自分なので人と違った棋士になりたい”

 この質問は自分らしく答えたつもりだ。でも少し作って答えたのかもしれない。いつの頃からか人に嫌われるのが怖くなり、人と話す時自分の本心で話すことが少なくなった。

 どんな棋士も目指していない。ただ相手も全力でこっちも全力で将棋を指した時の、よく言い表せないけど何か熱い感じが好きだ。

 だから、プロの世界に来たのだと思う。

 図は奥山三段との将棋で△4三金と寄られ、ここから二転三転の将棋になった。

山崎

 両者1分将棋で緊張感があり熱くなった。最後の辺りで勝ったと思ったが僕が負けた。負けたのは悔しかったけどけっこう楽しかった。

 こうやって楽しむ事が出来るのも迷惑をかけたけどずっと見守ってくれた親や師匠や将棋センターの人達、指してくれたオッチャン達、そして励ましたり応援してくれた人達のおかげです。

 本当にありがとうございました。

 これからも大切にしたいと思います。

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面白くて楽しみな若手有望株棋士の誕生。

山崎隆之八段の魅力が十二分に溢れている文章だ。

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同じタイミングで、兄弟子の村山聖八段(当時)が順位戦B級1組からA級に復帰しており、村山聖八段が「昇級者喜びの声」を書いている。

しかし、村山聖八段は新年度に入ってから休場となる(同年の8月8日に逝去)ので、タイミング的には山崎隆之四段が村山聖八段を引き継いで指すような形となっている。

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今日から電王戦〔 山崎隆之叡王 vs PONANZA〕が始まる。

きっと、山崎隆之叡王らしい素晴らしいドラマが生まれると思う。

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”行方二世”と呼ばれた山崎隆之四段(当時)