将棋世界1979年4月号、船記者の第28期王将戦第5局〔加藤一二三棋王-中原誠王将〕観戦記「加藤新王将誕生」より。
東京の隣でありながら埼玉県で大勝負の行われるのはこれが二度目だという。浦和市で行われた名人戦が最初、今度の王将戦が二度目というわけである。しかし、浦和はほとんど東京である。その点、秩父は処女地という感じがひしひしとする。地元の歓迎も大変なものだった。王将戦のような大きな対局が秩父へくるなんて信じられないという声を各所で聞いた。
池袋から西武線で1時間20分と少し、レッドアロー号は快適で、秩父をそれほど遠く感じさせない。しかし、飯能をすぎて山峡にかかるとやがて正丸峠の大トンネル。この線が開通するまでの秩父の不便さが思われた。
中原王将も加藤九段も秩父は初めて。着いて一様に感心していたのは「こんなに近いところで、こんなに素朴で空気の良いいい環境があるとは―」ということだった。
しかし、本局は中原王将のカド番、タイトルが動くかもしれない一番で対局者の心中の緊張は並々ならぬものがあったに違いない。
(中略)
中原△5二飛と中飛車作戦。中原の振飛車は中飛車が多い。予想通りだ。互いに玉を囲って加藤の▲3六歩。急戦ぶくみで次の▲4六歩は加藤の対振飛車戦法の一つで、その研究は深いと言われている。加藤は▲3八飛と寄って3筋、4筋に攻撃のねらいをつける。
2図以下の指し手
△5四歩▲3五歩△同歩▲同飛△3四歩▲3六飛△6四歩▲3七桂△1四歩▲9六歩△1五歩▲5五歩(3図)中原の△5四歩は反撃をにらんで当然の一手。加藤は飛先の歩を切って▲3六飛にがんばる。次に▲3七桂であくまで急戦をねらっている。
△1五歩は攻めを催促した手という控え室の判断だった。その意味は、この手で△5一飛とか△7四歩もあるが、そうすると加藤は▲1六歩と突く手が残る。そうさせない△1五歩で、加藤に何かやらせようというのである。と言って加藤側としても▲6六歩と角道を止めるわけにもいかないから、さあどうやってくるか分からないにしても、そんなにうまい攻めがあるはずがない。勘ぐれば、ざっとこんなことである。
秘剣一閃!加藤▲5五歩。この手が本局を棋史に残した。新手である。この手は中原も予期していなかった。なぜなら敵飛のにらんでいる筋の歩を逆に突き捨てるのが常識外れだからだ。
しかし指されてみてプロもびっくりした。この5五歩には①角を交換せずに桂をさばける②5筋に歩の叩きを残した、の2つの利点がある。しかも本局の推移は加藤の構想通りとなっていくのである。
加藤は対振飛車の本を沢山出しているが、5五歩にはふれていない。「思いつきで指した手」というが、それを信じない人もいる。今後、この手をめぐって論争が起こるだろう。
5五歩に対する有効な対策がないとすれば、菱矢倉に対する中飛車は成立しなくなるのではないか。
(中略)
3図以下の指し手
△5五同歩▲4五歩△同歩▲同桂△2二角▲4六銀△4四歩▲3三歩(4図)中原は1時間を越す長考ののち△5五同歩と取った。この手は封じ手だった。翌2月8日も快晴で、雪を残した秩父連山が美しい。
加藤は▲4五歩とこちらも突き捨て△同歩に▲同桂と気合い鋭く攻めた。△2二角で△4四角は▲4六銀で悪い。次に▲5三歩から▲5五銀出がある。△2二角は当然だった。加藤は▲4六銀としてこの銀がさばけるので、攻めが切れない。△4四歩には▲3三歩と切り返す。
ハラハラするシーンだ。
4図以下の指し手
△3三同桂▲同桂成△同金▲5五銀△3五歩▲2六飛△3四金▲5四歩(5図)加藤の▲3三歩に△4二金とするのは、▲5三歩△5一飛▲5五銀△4五歩▲4四歩がある。で△3三同桂▲同桂成となった。桂をさばいた加藤は▲5五銀と好調に進出していく。快調そのものである。
中原は△3五歩と反撃に出たが、加藤は▲同飛と取ると△3四金が飛あたりになるので▲2六飛と避ける。そして△3四金に▲5四歩と打って押さえ込みにかかった。これで中原の反撃もままならない。この歩を△同銀と取るのは▲同銀△同飛▲4三銀がある。
5図以下の指し手
△3六歩▲2四歩△同歩▲2三歩△3三角▲3六飛△3五歩▲6六飛(6図)本局の立ち会いは坂口允彦九段、解説は北村昌男八段、記録は鈴木輝彦四段だった。二日目には観戦記の神田山陽師匠、地元の招待を受けた花村元司九段も現れ、満員の大盤解説会場をわかせた。
局面は加藤ペースで、じりじり迫っていく。
(中略)
△3五歩と追われて好便に▲6六飛、こんどは6筋に強烈な攻撃力が加わった。
6図以下の指し手
△4五金▲5三歩成△同飛▲6四銀△5一飛▲3四歩△4二角▲9七角(7図)中原の△4五金に、加藤は▲5三歩成と捨てて飛を引き付けておいて▲6四銀と先手をとり▲3四歩が好手だった。△同銀なら▲5四歩△同飛▲6三銀不成△5一飛▲6二銀不成でよい。それで△4二角。加藤▲9七角。駒が躍動している。
7図以下の指し手
△6五歩▲同飛△5四銀▲5二歩△同金▲4五飛△同歩▲5三歩△6二金▲2二歩成△5七歩▲5九金引(8図)(中略)
8図以下の指し手
△9五歩▲3二と△9六歩▲7五角△5三角▲同銀成△同飛▲6四角打(9図)中原は△9五歩の反撃にすべてを託した。加藤▲3二と。中原の△9五歩のとき、うっかり▲8六角とすると△7四桂と一本利かされて、むずかしくなる。逆転とはいえなくても、まぎれては加藤としては大変だ。
▲6四角打で決まった。この手は控え室の研究で結論が出ていた。加藤が▲6四角打といけば勝負は終わり、加藤新王将誕生!というわけである。
いつもと違って、充分時間を残している加藤は7分慎重に読んで▲6四角打とした。こんなところを間違うわけがない。
(中略)
加藤の駒が右から左から、なだれを打って中原陣に殺到していく。
ここへきては中原王将もあきらめざるを得ない。お茶をすすったあと▲6二金を見て「負けました」と深く一礼した。
(中略)
1勝後の4連敗。棋界のナンバーワン中原誠のこのスコアの敗戦を誰が予想しただろうか。
投了直後、中原は記者の質問に答えて「2、3局も惜しかったが、4局をトン死で失ったのが痛かった」と答えている。確かに、勝った、と思った将棋を失ったことは精神的にも大きかっただろう。
加藤はどうか。敗者を前にしてあまり多くを語らなかったが、翌朝、部屋を訪れた記者に語った言葉が印象的だった。
中原さんに連敗しているときは、相手のすぐれた点は認めても、それほど関心がなかった。ここ数年、勝ち越すようになって、どこが変わったかと言えば、関心を持つようになったことだろう。
この言葉にあえて解説を加える必要はないだろう。
それにしても思い出すのは、昨年の最優秀棋士選考会での田辺忠幸氏(棋王戦配信の共同通信記者)の言葉だ。
加藤さんは強い。棋王戦の盤側で対中原3連勝を見て痛感したという。
筆者もこれまで王将戦で加藤九段の挑戦には何度かお伴をした。申し訳ないが、こんなに強いとは思わなかった。
4度目の挑戦で念願を果たし、加藤新王将の誕生、新手5五歩をめぐる今後の棋界の研究、中原名人の立ち直り如何……多くの話題を今後に提供して、第28期王将戦は終わりを告げた。
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定跡書で▲5五歩(3図)の仕掛けを初めて見たときはビックリした。
四間飛車に対して▲4五歩、三間飛車に▲3五歩と突くことはあっても、中飛車に▲5五歩は見たことがなかった。
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▲6四角打(9図)で、後手は▲7四桂からの詰めろと▲5三角成からの二枚替えを同時に受けることができない。
加藤一二三九段の圧勝譜だ。
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埼玉県でのタイトル戦・決勝戦は、将棋棋士の食事とおやつに掲載されている対局場情報を見ると、今世紀に入ってからは2015年の王将戦、2005年の朝日オープンのみ。言われてみると、意外と少ない。
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この翌年の王将戦では57歳の時の大山康晴十五世名人が挑戦者となり、4勝2敗で王将位を奪取してしまうのだから、本当に凄い。(その後、大山十五世名人は王将位を2期連続防衛)
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加藤一二三九段が名人戦で中原誠名人を破り、初の名人位に就くのは、これから3年後の1982年のこと。