5月3日(火)
5:00 起床。
今日は大阪で将棋ペンクラブ関西交流会が行われる日。
毎年、東京の幹事が1名関西交流会へ出張することになっているが、今年は私が行くことになった。(私しか連休中暇な幹事がいなかった)
せっかくの機会なので、4日に行われる森一門祝賀会にも参加することに決めている。
5:10
ちなみに将棋ペンクラブ事務局から支給される出張費は、新幹線の往復費用と関西交流会参加費(2,000円)という日帰り仕様。
泊まるも何もあとは自腹の自由行動というわけなので、かえって気が楽だ。
5:30
朝風呂に入る。
6:00
ホテルは出張することが決まった3月中旬に5月3日の一泊分だけ予約している。
最近は外国人観光客の急増を背景に、東京や大阪のホテルの宿泊料金が値上がりしていると聞いてはいたが、たしかに以前の料金を知っていると泊まる気がしなくなるようなシングル料金。
いろいろと調べてみると、東横インが大阪に複数あって昭和の頃のビジネスホテルの料金であることが分かった。
東横インが低料金であることは以前から知ってはいたが、安かろう悪かろうでも困るので、予約を入れる前に、なぜ安い料金が可能なのかを調べてみた。
その結果、低料金が企業努力と仕組みの工夫によるものと知り、安心して予約を入れることにした。
予約は全店Webからできるので便利。5月3日は混んではいたが、淀屋橋の一部屋を確保することができた。「喫煙デラックス」という恐ろしげな名前の部屋で税込みで8,100円。
5月4日は、森一門祝賀会の常連の方から、朝まで飲むことが多いと聞いていたので、朝まで飲んでその足で新幹線に乗って帰る手もあるかなと、ホテルの手配はしていない。念のため、東横イン淀屋橋駅南で4日に空き室があることは確認している。
6:30
新幹線の指定席は取っていない。適当な時刻に家を出て適当な新幹線の自由席に乗る手なりの旅行。大阪へ行くだけなのに頭の中で「遠くへ行きたい」の曲が鳴り響く。
6:50
家を出る。
7:30
東京駅に到着。
7:40
のぞみ新大阪行き自由席の富士山側窓側の席に座ることに成功。
この頃には、新大阪から梅田へ向かう途中の夜の新淀川大橋から見た夜景の映像と「悲しい色やね」の曲が頭の中に猛烈に流れ始めている。
8:40
草刈正雄さんのブログのマネをして、ブログに「富士山と俺」という写真と「行きの富士山」という写真を載せようと考えていたのだが、私がやっても誰も喜ばないしやめようかな、と思っている最中に眠ってしまい、、、
10:10
気がついたら京都。
10:23
新大阪に到着。
自宅を出て以来タバコを吸っていなかったので、タバコを吸えそうな喫茶店を捜す。が、見つからない。
苦しくなりながら、これは早くどこかへ行かないと、と思い大阪駅へ向かうことにする。
10:35
大阪駅環状線ホーム。
交流会は天満、関西将棋会館は福島、どちらも大阪駅から環状線で一駅。
福島で昼食を食べて天満へ向かうという手もあるので、環状線の内回り、外回り、早く来た方に乗ることにした。
で、早く来た方に乗ったら、大阪駅→天満駅のコースの電車。
10:40
天満駅に到着。
天満で降りるのは初めて。交流会の会場へは開場30分前の12:00頃に行こうと考えていたので時間に余裕がある。
昼食の店を探しがてら、付近を散策することにした。
駅から少し出ると天神橋筋商店街。かなりディープなオーラが漂ってくる、東京の亀戸と同じような肌触りの街。
昭和色豊かな喫茶店がすぐに見つかった。
4時間振りのタバコを吸って一息ついてメニューを見る。
ノータイムで「わらじナポリタンセット」に決めた。
わらじナポリタンは、トンカツが乗ったナポリタン。これにサラダと飲み物がついて800円。
トイレに入ると、壁に懐かしい外国スター(ビック・モローのサンダース軍曹、ロバート・ボーンのナポレオン・ソロ、モンキーズなど)の写真が貼られている。
右下にはなぜか、スマイリー小原の若い頃の写真があって、唯一の日本人。
奥が深いとしか言いようがない。
東京に戻ってから調べてみると、この店は「モーデン」という喫茶店で「アド街ック天国」にも出たことがあるとのことで、名物は私が頼んだ「わらじナポリタン」。
ぜひ、また行ってみたい店だ。
自戦記→天神橋筋商店街にある「喫茶モーデン」の『わらじナポリタン』!(苺の友の関西食べあるき♪)
12:00
将棋ペンクラブ関西交流会の会場である大阪市北区民センターに到着。関西テレビ本社の隣というロケーション。
関西交流会は将棋指導員で将棋ペンクラブ幹事の伊藤いろはさんが取り仕切ってくださっている。
会場は和室。とても落ち着いた雰囲気で将棋盤・駒も3組備え付けられている。
12:20
関東交流会にも何度も来られていて関西交流会の常連でもあるSさんが来場。北区民センターに喫煙所はないので、向かいのコンビニの灰皿の前で雑談。
12:40
森信雄七段が来場。
森信雄七段とお会いするのは、森七段が『逃れ将棋』で将棋ペンクラブ大賞技術部門大賞を受賞された一昨年の将棋ペンクラブ大賞贈呈式以来。
その間、FacebookやTwitterやブログを通しての交流はあったが、落ち着いてご挨拶するのは今回が初めて。
大阪に来て良かったと、あらためて思う。
13:00
鹿野圭生女流二段、船戸陽子女流二段がそれぞれ来場。
来場のお客様は、将棋ペンクラブ会員、会員ではない方も含め10名ほど。
13:00
はじめに全員の自己紹介。
そして、森信雄七段が3面、鹿野圭生女流二段2面、船戸陽子女流二段2面の指導対局が始まる。
参加者数全員がすべての棋士に指導対局を受けることができるという夢のような状況。
空きができたところで、私も指導対局をお願いすることにした。
まずは鹿野圭生女流二段。
今回の大阪遠征では、二枚落ち下手の勉強をしようと決めていた。
もともと私は指導対局をほとんど受けたことがなく、二枚落ち下手は一度も指したことがなかった。
角落ちや飛車落ちで教えてもらったとしても、定跡無視の平手感覚の振り飛車を指して味の悪い負け方をしそうな予感があったので、勉強のためにも銀多伝を体感してみたかった。
二枚落ちの定跡では二歩突っ切りもあり、私が大好きな石田流を左右反対にしたような攻め形であるが、これは紛れが多く、とても勝てそうな感じがしない。石田流を数多く指しているからこそ、そう思う。
ということで、初めての銀多伝。
どうにか勝つことができた。
・・・と、ここまで書いて気付いたことだが、今度の将棋ペンクラブ会報に大阪交流会の模様を書くのは、まだ指名はされていないが、きっと私ではないのか。
ここに細かく書いてしまうと会報に書くことがなくなってしまう。
ということで、ここからは駆け足で。
その後、森信雄七段、船戸陽子女流二段に指導対局をしていただいた。
指導対局が非常に充実していて、棋書などの賞品も全員に当たるという会なので、もっと参加者が増えれば言うことなし、と思った。
18:00
近所のしゃぶしゃぶ店で2次会。
2次会では森信雄七段といろいろとお話をさせていただくことができた。
森信雄七段の話を聞いたり、こちらから話したりしているうちに、数十年来の知己と一緒にいるような心安らかさ、心地よさが私の中に生まれてきた。
これは森信雄七段自身も感じていないことだと思うが、森信雄七段には余人には決して真似のできないそのような生まれ持ったオーラがあるのではないか。
村山聖九段に始まる数多くの森門下の弟子も、そのような森信雄七段に自然に惹かれていったのだと思う。
19:00
私の向かい側が森信雄七段で左隣りが鹿野圭生女流二段。
鹿野圭生女流二段とお会いするのは初めてだが、イメージ通りの「大阪の姉御」という雰囲気で嬉しくなった。
森信雄七段と鹿野圭生女流二段の間で村山聖九段の昔話などが語られる。
鹿野圭生女流二段が1990年代に将棋マガジンで連載していた「タマの目」は本当に面白く、このブログでも数多く取り上げている。
村山聖九段のことだけでも、
など。
「『聖の青春』が封切られたら、当時の関西将棋界を振り返るということで「タマの目」の朗読会をやってくださいよ」と私が鹿野圭生女流二段にお願いすると、「朗読なんて恥ずかしい、そんなのありえへん、ありえへん」。
「神崎健二七段と一緒に、というのはどうですか」と食い下がると、「神崎先生ばっかりしゃべって、私がしゃべろうと思ってもしゃべれなくなる」。
19:10
「タマの目」の森信雄七段ネタにも傑作がある。
この件の話題でも盛り上がる。
20:15
この辺で時間の感覚はなくなっているが、散会は20:00頃だったか20:30頃だったと思う。
その後、ホテルにチェックイン。
チェックインの時に、「東横INNクラブカード」を作ることを勧められた。
費用は無料で、宿泊費も割引されるという。
「お願いします」と言うと、「それでは写真を撮らせていただきますね」。
東横INNクラブカードに写真が、埋め込まれる。
「ありがとうございます」と言って受け取ると、写真の私はいかにも酔っぱらいの赤くなった顔……
これも思い出だ、記念にしよう。
(翌朝、カードの写真を再び見て結構落ち込んだが)