将棋世界1995年8月号、行方尚史四段(当時)の第14回早指し新鋭戦決勝〔対 丸山忠久六段〕自戦記「奇跡的な逆転」より。
まだ5局しか指してないけど、持ち時間の短いテレビ棋戦は行き当たりばったりな僕の将棋に向いていると思う。持ち時間の長い将棋は実力がはっきり出るので嫌いである。と言うのは全然嘘だが、運良く初出場の早指し戦で決勝戦まで勝ち進むことができた。準決勝をご覧になった方は、朝っぱらからとんだスリルと興奮を味わう羽目になったことだろう。自分でも驚くやら呆れるやらの大逆転だった。
そして本局も……。
(中略)
さて決勝までやって来たものの、丸山さんもまた僕の手に余る強敵である。氏の棋譜はよく並べて研究しているが、いつも感心させられている。一言で言えば、人間離れした精密な将棋だと思う。ひところは、入玉など粘っこい部分だけ強調されていたが、最近は殆ど中盤で優位を確立させてしまうのでハイド氏が顔を見せることはまずなくなっているようである。
振り駒で後手番になった。丸山さんの伝家の宝刀”角換わり”を体験できるのは嬉しさ3割、恐ろしさ6割だった。残りの1割はギリギリの終盤にならないとスイッチが入らないので自分でもよく分からない。
いくつか作戦を考えてはいたが、どれを使ってもうまく行く気がしなかったので、開き直って一番積極的な棒銀を選んだ。
(中略)
時間に追われ△8六歩ととりあえず突いた所でようやく41手目を迎え、封じ手休憩に入った。この局面の形勢について丸山さんは「あんまり良くなったんで驚いた」との感想を述べている。僕もその点については同感である。
2図以下の指し手
▲同歩△同飛▲7二歩△6二銀▲1六歩△8四飛▲5五角△8二歩(3図)▲7二歩を利かし激しくやって来ると見せかけておいて、じっと▲1六歩は実に心憎い落ち着き。戦いながらキズを消して行く指し口は大山流とも言えよう。▲5五角の揺さぶりもうまいタイミング。対して△7三桂で受かればいいのだが、▲7一歩成△5四歩▲6六角で次の王手飛車と▲7二とが一度には受からない。あるいは△7三角、△8六歩も考えられるが、前者は▲同角成△同桂▲7一歩成△同銀▲7四歩△同飛▲8三角、後者は▲8五歩△同飛▲9七桂△8四飛▲9一角成△8七歩成▲8五香でいずれも悪い。
しかし△8二歩と打たされるのは簡単に負かされるよりもっとつらい。駒の張り、勢いといったものが全然なくなってしまうから。
3図以下の指し手
▲2五歩△4三金右▲9七桂△2二玉▲2四歩△同銀▲7一歩成△同銀▲4五歩△3三銀▲6四歩△5四歩▲7七角△6四飛▲2五桂△6二銀▲4四歩△同金▲3三桂成△同金▲4二銀(4図)ここでは、どんな受けの達人をもってしてもすでに先手の攻めを受け切るのは容易ではないような気がする。
▲7一歩成や▲6四歩など、ところどころ散りばめられた軽やかな手筋に、僕の守備陣はなす術もなく翻弄されてしまい、いつの間にか矢倉崩しのお手本に出て来るような局面になった。
▲4四歩に対して△同金は苦し紛れ。銀で取るのは▲4五歩△3三銀▲3五歩で楽しみがなくなると判断した。
▲4二銀は次善手だったようで、▲4二歩からと金を作るのが一番速かった。
4図以下の指し手
△5五桂▲3三銀成△同桂▲6五歩△7四飛▲4六歩△5三銀▲9五角△4二銀打▲5二金△4三金▲5三金△同金▲6二角成△7六歩▲5一銀△5二金打▲4二銀不成△同金(5図)一時は7一まで退かされた銀が、形だけでも5三まで使うことが出来たので頑張る気力が湧いてきた。
しかし、▲9五角から手順に馬を作られ、自陣の居心地は更に悪化した。▲6二角成に△5二金打は▲6一馬、△5一金は▲5三馬△同銀▲4三銀で自信がない。下手に受けると、かえって敵の寄せを調子づかせると思った。
とはいえ、次の△7六歩は説明が難しい。あえて言うならば強い意味での手渡し。流れを変えるにはこの手しかない、と残り1割の脈打つ部分で直感した。
5図以下の指し手
▲5三馬△同金▲3一銀△同玉▲2三飛成△4二玉▲2二竜△3二銀▲2三金△2一銀打▲3三金△5二玉▲3一竜△2六角(6図)▲5三馬が丸山さんらしからぬ勝ちを急いだ悪手だった。一本▲3五歩の突き捨てを利かせておけば問題なかった。それから本譜の順を決行すれば、△4二玉のとき▲3四歩があるので、きれいに寄せられていたことだろう。もしかすると、僕があんまりおかしな手を指すものだから丸山さんの正確な読みのリズムが齟齬をきたしてしまったのかもしれない。
非情にも、▲5三馬の一手の過ちのみで先手の勝ち筋は消え去った。
僕はあまりに苦しい局面が続いたものだから、すぐには逆転の実感は掴めなかった。しかし、もはや先手には▲2三金のような重たい手段しか残されておらず、将棋の恐ろしさをまた実感することとなった。
前々から狙っていた△2六角の初王手で確かな手応えを感じた。
6図以下の指し手
▲3七桂△3三銀▲2一竜△2七金▲2八銀△同金▲2六竜△3九銀▲4九玉△7七歩成▲4八角△2七角(投了図)まで、114手で行方四段の勝ちまだはっきりと読み切っていた訳ではなく、▲3七桂では▲4九玉と節約されるのを気にしていたが、丸山さんの指摘通り△3三銀▲2一竜△4七桂成▲同銀△3七銀で良い。
△2七金が決め手になった。▲3八銀打ならば、△2八角がぴったりだ。そして△7七歩成。△7六歩と突き出した時は、夢にも思わなかったはっぴいえんど。
投了図以下▲5九玉には△7八と、▲同竜なら△4八銀成▲同玉△2七金で、はっきり勝ち筋である。
内容的にまずかったから、乾杯のビールもいつもと同じ味だった。僕は弱いくせに掲げる理想は高いものだから、少し納得がいかないものがあった。今度こういう機会が恵まれたら、ビールかけしちゃいたくなるようないい将棋を指したいと思う。
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「丸山さんの伝家の宝刀”角換わり”を体験できるのは嬉しさ3割、恐ろしさ6割だった。残りの1割はギリギリの終盤にならないとスイッチが入らないので自分でもよく分からない」は、とても実感がこもっている。
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「△7六歩は説明が難しい。あえて言うならば強い意味での手渡し。流れを変えるにはこの手しかない、と残り1割の脈打つ部分で直感した」
と指された△7六歩が、
「そして△7七歩成。△7六歩と突き出した時は、夢にも思わなかったはっぴいえんど」
と、極めて重要な役回りとなる。
ところで、行方尚史四段(当時)は、「夢にも思わなかったハッピーエンド」ではなく、「夢にも思わなかったはっぴいえんど」とひらがなを使っている。
1969年から1972年まで活動したバンド「はっぴいえんど」を意識してのことかどうかはわからないが、その可能性は高いと思われる。
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「はっぴいえんど」は、細野晴臣(ボーカル・ベース・ギター・キーボード)、大瀧詠一(ボーカル・ギター)、松本隆(ドラムス・パーカッション)、
鈴木茂(ギター・ボーカル)がメンバーだった。
私はリアルタイムでは「はっぴいえんど」のことは知らなかったが、その後のメンバーのそれぞれの分野での活躍は衆知の通り。
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元はっぴいえんどの松本隆さん(作詞家)のこと。
私は一度だけ、カラオケで歌っていて涙が出てきてしまい途中で歌うことができなくなったことがある。2002年のことだった。曲は、太田裕美「ドール」。
作詞:松本隆、作曲・編曲:筒美京平という超黄金コンビによる曲だ。
「苗字も変えずに暮らした部屋で」のところから、ある時期の自分の人生と重なり(私は桟橋でハモニカを吹くようなことはしないが)、それ以降は涙声になって歌うのをストップ。その後にも流れてくる歌詞を見ながら必死になって涙が出てくるのをこらえた。
松本隆さんの凄さを、身を持って感じた時だった。