2016-08

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昭和の雰囲気濃厚な対局室

将棋世界1979年9月号、日刊ゲンダイの大石征史さんの「第2回オールスター戦終わる」より。 7月20日  雨は対局開始の午前10時を過ぎると間もなく降りはじめた。雨脚は繁く、対局室の硝子戸越しにいつも見えている新宿の高層ビルが、今朝は雨中に...
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「しかし、形は変わっても、哀歓を感じさせる場面はまだ残っているのである」

将棋世界1999年9月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。  将棋界の勝負には因縁がからむからおもしろく、それはどの棋士にもある。  今期竜王戦で活躍している木下(浩)五段は、次に井上八段と対戦するが、この二人にも、ちょっとした...
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「名人が丸山君に兄貴分らしく振るまうなど、この二人が気の合う仲間だとはじめて知った」

将棋世界1999年9月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。  さて、この日は注目の対戦が2局ある。一つは、佐藤名人対丸山八段戦(王座戦)で、名人位を防衛して気をよくしている名人に、今が絶好調、今期(4月)になって負けなしの10連...
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森信雄六段(当時)「南口先生の想い出」

将棋世界1984年7月号、森信雄四段(当時)の「棋士近況」より。  私はここ数年、春先になるとなぜか体調を崩していました。今年は特に注意して”疲れたら休む”ことを心がけています。  ところが、私の師匠の南口先生が、突然3月18日に脳内出血で...
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名棋士の死

1982年の奨励会試験で十分な成績をあげながら入会ができなかった村山聖少年だが、村山少年のこの時の入会にクレームをつけたのが灘蓮照九段だった。 村山聖九段のお父さんが最初にプロ入りの相談をもちかけたのが篠崎教室の篠崎瑞夫さんで、篠崎さんは「...