将棋世界2000年12月号、青野照市九段の第48期王座戦〔羽生善治王座-藤井猛竜王〕五番勝負第3局観戦記「七冠を阻む者」より。
ガラス張りの対局室の眼下を、中国第三の河、珠江が流れている。流れの先は、下流に向かって大きく二つに分かれていて、香港に至る大デルタ地帯を形成しているのだという。改めてここが、中国だということを実感した。
海外対局は、これまで随分行われてきたが、王座戦は初めてである。これは現地の領事館や商工会の、強い希望があって実現したもので、前夜祭には地元広州市の政治家はじめ、中国象棋(シャンチー)の関係者、日本の広州総領事、日本企業の方々等、200名近い人で賑わった。
明けて9月21日。シアヌーク殿下も泊まったというホテルの14階に、現地で作った畳を入れた部屋で対局が始まったのだが、羽生の入室の姿に驚いた。
先に羽織袴で入室し、待機している藤井の前に、何と羽生は背広姿で入ってきたのである。聞けば、どうやらタビを忘れてきたという。
急遽、ホテルの和食堂の女性のタビを借り、午後からは事なきを得たが、この忘れ物がちょっとだけ、対局に影響したのかな、と思わせるものがあった。というのも午後の再開から、いきなり局面の雲行きが怪しくなったからである。
(中略)
午後からは、私と立ち会いの中原永世十段とで、現地の将棋ファンを相手に指導将棋を始めたのだが、テレビのモニターにいきなり参考図の局面が出現した。
今、先手が角を取らせて、▲6三銀成と金を取った時に、後手が△6二金と上がった局面。
「▲6四金と打ったら千日手だね」
中原永世十段が言った。果たせるかな局面は、▲6四金△6三金▲同金△6二銀▲6四金打以下、長いサイクルを経て同一局面4回で千日手となった。
それにしても不思議な手順である。先に動いたのは、先手の羽生で、一直線に千日手になったのだから。羽生にしてみれば、朝のつまづきで、もう一つ調子が出ないから、千日手で後手番になっても、新たな気持で指し直そうと思ったのかもしれない。
(以下略)
——–
この年は、王座戦第3局(2000年9月21日)が中国・広州市で、竜王戦第1局(2000年10月19日~20日)が中国・上海市で行われており、羽生善治五冠(当時)と藤井猛竜王(当時)は共に1ヵ月のうちに2度、中国でタイトル戦を戦っている。
——–
青野照市九段が、「それにしても不思議な手順である。先に動いたのは、先手の羽生で、一直線に千日手になったのだから。羽生にしてみれば、朝のつまづきで、もう一つ調子が出ないから、千日手で後手番になっても、新たな気持で指し直そうと思ったのかもしれない」と書いているが、参考図に至る手順は次の通り。
青野九段の推理が正しいと思えるような一直線の手順だ。
1図以下の指し手
▲4六角△6三金▲5五銀△4五歩▲△(2図)
2図以下の指し手
▲6四銀△4六歩▲6三銀成△6二金(参考図)
——–
何度もタイトル戦で戦っていれば、何か忘れ物をしてしまうことが一度や二度あっても不思議ではない。
そういえば、羽生三冠がタイトル戦で何か忘れ物をしたことが別の時にもあったなと思い出し、調べてみるとあった。
なんと、同じ年の棋王戦第3局(対森内俊之八段)でも足袋を忘れて、午前中は背広で対局をしている。
羽生三冠にとっては、2000年は足袋に祟られた年だったということになるのだろう。
足袋を忘れた棋王戦第3局では羽生棋王が勝って、この王座戦第3局千日手指し直し局は羽生王座が敗れている。
——–
とはいえ、この二つのタイトル戦では防衛を果たしているので、足袋を忘れた対局が含まれるタイトル戦での防衛率は100%ということになる。
——–
羽生三冠は今から24年前に、「僕は忘れ物、落し物が多くて自分でも困っています」と書いている。
完全無欠ではないところが、羽生三冠の魅力を更に深くしているのだと思う。