将棋世界2001年3月号、加藤昌彦さんの「あほんだら、アウトロー 〔いつか会えたなら 羽生善治五冠〕」より。
人はいつも困難から逃げ出したくなるが、羽生という男は正面から向き合い、結果を残そうとする。棋界の頂点へ君臨するにふさわしい棋士だ。そんな羽生を蔭からそっと支えている、理恵夫人の存在も忘れてはならない。
私は羽生に出会いのきっかけを聞いた。その出会いは当時、女優をしていた理恵さんが、雑誌の対談コーナーを持っていて、そこへ最終回のゲストとして羽生が呼ばれたのが最初。
実は当初のゲスト予定は畑正憲氏であった。動物好きの理恵さんは、最終回ゲストに熱望していたらしいが、急に畑正憲氏サイドから中止の申し入れがあり、羽生に白羽の矢が立った訳である。もし、このゲスト交代はなければ、羽生と理恵さんは出会わないのだから、運命とは分からないものだ。そして、その後に理恵さんの舞台を見る機会が縁で、付き合いはスタート。ふたりは時を重ねるにつれ、互いにどちらからともなく、愛を育みながら結ばれていく。結婚も自然な流れであったという。理恵さんは羽生の仕事には、口を出さず内助の功に努めている。その理恵さんは大阪府の出身で、祖父は将棋が好きだった。関西将棋会館の近くに理恵さんの祖父は住んでいて、連盟道場にも通っていたらしい。将棋のルールを知らない理恵さんが、将棋に違和感を持っていないのは、少なからず祖父の影響はあったと思う。
(以下略)
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羽生善治三冠が奥様の理恵さんと知り合ったのは、「はつらつ」(保健同人社)という雑誌で1994年9月に行われた対談でのこと。
その対談が最終回でのことで、当初は畑正憲さんがゲストの予定だったと、加藤昌彦さんの記事を読んで初めて知る。
最終回でなければ、いずれ羽生五冠(当時)との対談が組まれる可能性もあったかもしれないが、最終回。
運命的な出会いは偶然の上に成り立つ、という見方ができるわけだが、出会いは畑正憲さんのスケジュールを変更させてしまうほどのエネルギーを持った必然的かつ運命的なものだった、と考えることもできる。
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現在はうさぎとアヒルを特に愛する理恵さんが、この頃から動物好きと言われているのは、当然といえば当然のことだけれども、とても微笑ましい。
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対談の1ヵ月後、羽生五冠(当時)は森下卓八段(当時)を誘って、畠田理恵さんの舞台「向島物語」(芸術座)を見に行っている。
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今日発売される週刊文春の記事について、今日の午前0時、羽生三冠が理恵さんのTwitterアカウントを通して発言をしている。
非常に心が救われる思い。
多くの将棋ファンの方も同じ思いだっただろう。
羽生ご夫妻にノーベル平和賞を受賞してほしいと思ったほどだ。
タイミング的なものも含め、本当に頭が下がる。
①こんばんは。突然にお騒がさせてしまい申し訳ありません。本日、一部報道で誤解を招くような表現がありましたのでこの場をお借りして説明をさせて頂きます。まず、灰色に近いと発言をしたのは事実です。 〜②に続く pic.twitter.com/MtqWrfZbpv
— 羽生 理恵????? (@yuzutapioka) October 19, 2016
②そして、今回の件は白の証明も黒の証明も難しいと考えています。疑わしきは
罰せずが大原則と思っていますので誤解
無きようにお願いを致します。羽生善治 pic.twitter.com/Op1fHZDhaR— 羽生 理恵????? (@yuzutapioka) October 19, 2016