将棋世界2001年5月号、沼春雄六段(当時)のB級2組順位戦最終局「勢いと自信」より。
第59期B級2組順位戦の最終局は3月9日に行われたが、昇級争いの方は1敗の塚田と久保、2敗の阿部と鈴木大の4人に絞られていた。
私は当日昼頃、対局室に上がって行ったのだが対局者の神経は鋭く、早速土佐に”見届人ですか”と声をかけられた。
また有森には「私には関係ないですよね」と言われたので「いえ大事な一局ですよ」と答えたが「通行人ぐらいの役でしょう」とそっけなくかわされた。
共に対局相手が候補者だから、という会話なのだが、あるいは、戦いにくいなあ、とでも思っていたかもしれない。
(中略)
しかしそれでも行くしかない、という気迫が土佐を誤らせたのだ。これが勢いといえるのだろう。
9時34分、阿部辛勝。
これで鈴木の目は消えた。
阿部は感想戦を終えると控え室の検討には加わらず、そそくさと自室に消えた。
(中略)
午前0時48分、久保1敗堅持。
見事な連続昇級だった。
(中略)
西川-久保戦と同じ0時48分、塚田負けで終了した。
(中略)
阿部は嬉しい逆転昇級となった。
しかし誰かその時、阿部にこの結果を伝えたのだろうか。でも果報は寝て待て、とはこういうことなのかと思った。
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将棋世界2001年5月号、阿部隆七段(当時)の昇級者喜びの声〔B級2組→B級1組〕「楽しみながら苦しみながら」より。
当日―。
最終局、私にしては早く9時半頃に終了。感想戦をして席を立つ。
「やることは全て終わった、後はもう結果だ」
なんの未練もなく、その時そう思えた。
しばらくして夜の町へ出、とあるバーで軽い食事をしていた。
3時間後くらいか、親友の森内八段から携帯に着信音が鳴る。
その時、確信に近い感情がわいた。
「昇級した」
あわてて携帯をとると、開口一番「おめでとうございます」と言ってくれた。
「ありがとう」そう言ってグラスを静かに合わせた。
(以下略)
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「阿部は感想戦を終えると控え室の検討には加わらず、そそくさと自室に消えた」とあるので、阿部隆七段(当時)は将棋会館5階に宿泊していたのだろう。
21:34に対局終了、
感想戦を1時間やったとして22:34、
「しばらくして夜の町へ出」がきっと23:00頃、
森内俊之八段(当時)からの電話が2:00頃(0:48に終了した対局の感想戦が終わった頃)、
と思われる。
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阿部七段は、いずれは将棋会館に戻らなければならないのだから、あまり早く眠らない限り、寝る前には自分が昇級できたかどうかの結果を知ることができる。
しかし、0時や1時頃には結果が出ているかもしれないけれども、酒が入ってしまったので控え室には入りにくいし、そもそも当事者である自分が控え室に戻るのも味が悪い、ということもあったのだろう。
いったん将棋会館の外に出てしまったからには、皆が帰る前には戻れない、の方針だったのだと思う。
そこに飛び込んできたのが森内八段からの電話。
その後、森内八段が阿部七段のいる店に向かって、二人で乾杯をした、という展開。
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ネット中継がなかった時代だからこのようなエピソードも生まれるが、現在ならばスマホでほぼリアルタイムで結果を確認できてしまう。
逆に携帯電話が普及する前の時代にもこのようなエピソードは現れない。
そういった意味では、この時のような流れは、長い将棋の歴史の中で10年間程しか起き得ないことだったわけで、将棋史的に貴重な出来事なのではないかと思えてくる。