将棋世界1986年10月号、内藤國雄九段の「自在流 スラスラ上達塾」より。
まず1図、先手次の一手を考えていただきたい。その一手で殆ど勝負が決まってしまう。
盲点は我々棋士にとっては永遠の課題だ。
これを完全に克服する事は、人間には不可能である。
一般的な盲点、つまり誰の目にも死角にあるものの他、その人だけのその時その場所だけの特殊な盲点というものがある。
盲点はある意味では創造的で、その息の根を止めてしまう事は出来ない。
盲点というと、いつも思い出す確かアラン・ポーの短編小説がある。
―夜半、刑事達は住人の留守を見込んで部屋にしのびいった。その部屋に必ず隠されている手紙を探すためである。
男達はそれこそ綿密に且つ徹底的にその部屋の隅々まで調べあげる。
しかし遂に目的物を見つける事が出来なかった。手紙は一体どこに消えたのか。
部屋に入るとすぐ目につく所に状差しがありそこによれよれになった手紙が一つ、無造作に投げ込まれていた。それが問題の品物であったのだが、誰一人としてそれを手にとって調べた者がいなかったのである。
もし隠されていたら、どんなに巧妙に隠されていても狭い部屋のこと、必ず見つけ出されたに違いない。
あるべき所に無造作にあるという事が、プロフェッショナル達の目を盲点に導いてしまったのだ。
盲点イコール死角とする考え方ではこういう出来事を説明出来ない。
手紙は死角に入っていたのではない。
明らかに誰の視覚にも映っていた。見えすぎる程見えていたのである。
ただ視覚には映っていたけれど、誰の注意もひかなかった。
心の視覚から消えてしまったのだ。
第1期名人戦
▲八段 土居市太郎
△八段 木村義雄(中略)
名人も挑戦者もいない名人戦、そういうものがあり得るか―というとそれがあった。
第1期名人戦である。
関根名人の引退で名人はいない。
従って挑戦者もない。”八段特別リーグ戦”を行い最も成績のいい者が名人となる。これが第1期名人戦であった。
途中、分裂騒動がおきたりしてこの名人戦は足掛け3年を要している。
結果は1位が木村八段(12勝2敗)、2位が花田八段(12勝2敗)、3位が土居八段であった。
本局は、当時実力的にトップと目されていた両者にとって極めて重要な一局に違いなかった。しかし結果は70手という第1期名人戦中、最短手数で木村八段の一方的勝利に終わったのであった。
さて2図は相掛かり戦である。
△5四歩▲5六歩と突き合った所が、わずかに”時代”を感じさせる。
中央の位を重視した時代の表れであるが、歴史は繰り返すでまたこの戦型が流行らないとも限らない。
2図以下の指し手
△8六歩▲同歩△同飛▲8七歩△8二飛▲6九玉△4一玉▲3六歩△5三銀▲5七銀△7四歩▲1六歩(3図)5筋の歩を突かない場合は浮飛車が常道で、奥まで引くことは問題を残す。
5筋の歩を突いた場合は、それが異なってくる。浮飛車がいいか、下段飛車が優れるか一概にはいえない。一長一短である。
▲2六飛は桂跳び(▲3七桂)を可能にするが△4四角の傷を残す。
▲1六歩(3図)は作戦上、重要な一手でこの後に影響を与えた。
ほぼ同形の時の端歩突きは一瞬相手に主導権を許す。わざとそうして相手の動きを見るという高等戦術もあるが、それがうまくいくかどうかは時と場合と、その人の力量による。ここでの▲1六歩はどうであったか。
3図以下の指し手
△6四銀▲6六銀△1四歩(4図)▲1六歩に△1四歩と受けてくれれば、先手が描いていた構想通りに進んだであろう。しかし後手は不急の一手を見逃さず、△6四銀と銀を繰り出した。
△7五歩から角頭を狙われると先手陣は弱い。そこで▲6六銀と銀を出して対抗させたが、これで守勢に立たされる事になった。
これで棋勢が傾いたというわけではないが、▲2六飛と構えた攻撃的姿勢とは矛盾した動きを強要された事は否めない。
先手のこのぎこちなさが将来の大事件につながっていったとみる事もできる。
後手、相手に▲6六銀とさせておいてから△1四歩と受ける。きめる所はきめておいてじっくり受ける。心憎い指し口である。
4図以下の指し手
▲6八銀△4二銀▲5七銀上△5三銀上▲3七桂(5図)続いて双方の左銀が繰り出されていく。
先手がもし▲4六銀と出れば後手も△4四銀と出ざるを得なくなる。
当時は、この銀4枚が中央で対峙する形がはやり、縁台将棋でもこの形が主役であった時期がある。
アマの流行はプロのそれにならうという図式は昔も今も変わらないらしい。
先手はしかし▲4六銀と出なかった。
▲4六銀△4四銀とすれば相手の角道も閉じさせて対等の条件になる。
先手はこの道をとらず、浮飛車を生かす事になる▲3七桂の方を選んだ。
積極的な気構えを堅持しているわけだが、そのために足許に対する注意が疎かになった感がある。
本局は今を遡る約60年前の棋譜であるが序盤感覚に多少違いがあるにしても、追求している棋理は少しも変わらない。
70手という短手数で終わったため、本局は当時の新聞に指し手と土居八段(当時)の簡単な感想が掲載されただけで埋没してしまった。
しかしいま並べ直してみると、流れている棋理だけではなく対局者の息吹き、精神的なかけひきや意地といったものも感じられるのである。
5図以下の指し手
△5二金▲9六歩△9四歩▲5八金(6図)9筋を突き合ったあと、先手は▲5八金と上がる。この一手で勝負がついてしまった。
この時の心境はどうであったろう。
もし指した瞬間に気がついたら、それは大いにあり得ることだが全身に冷や汗が一気に流れ出したに違いない。
▲5八金では▲7九玉と寄るべきであった。そうすれば「敵は手段に窮しおそらく私の作戦勝ちであったろう」と土居八段は述べている。
▲7九玉で作戦勝ちといえるかどうか、とにかくそう主張する所に負けた悔しさや意地のようなものが感じられる。
さて冒頭にかかげた1図は6図の先手後手を逆にしたものである。次の一手は既にお分かりであろう。
6図以下の指し手
△6五銀(7図)△6五銀は▲同銀に△8八角成▲同金△4四角と打つ狙いで、先手これを喫してはたまらない。▲5八金がなければ△4四角の時▲2八飛と引く手が▲8八金につながるのでこの攻撃は成立しなくなる。
尚、△6五銀で△7五歩▲同歩△同銀▲としても同じようだが、それには▲2五飛がある。以下△7六銀なら▲7五飛と廻って先手必勝である。
△6五銀或いは△7五歩の攻撃が見えなかったのであろうか。いや逆である。
▲6六銀と指した瞬間から先手はその手のあることを知っていた。
手紙は当初から見える所にあった。そしてずっと見える所にあり続けた。それにもかかわらず、いやそれ故にこそ見えなくなってしまったのだ。
7図以下の指し手
▲7七金△7三桂▲7八玉△6四銀▲4六銀△7五歩(8図)後は”おまけ”であるが、後手の伸し掛かるような攻め方は読者の参考になると思う。
次に投了までの棋譜をあげておくので熱心な向きは並べていただきたい。
さて短編小説は読み切ってほしいものである。最後に土居八段の言葉を引用させていただく。
「この大切な将棋を一手で敗北するような大悪手を指した事は専門家として天下の好棋家諸氏に対して申し訳なく、ここに深く謝罪する次第である」
8図以下の指し手
▲同歩△8五桂▲8六金△7七歩▲同銀△同桂成▲同角△同角成▲同桂△4四角▲2九飛△7六銀打▲5五歩△7五銀▲6五桂△8六銀▲同歩△同飛▲5三桂打△同金▲同桂不成△同角
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1図の問題についてまとめると、
正解は▲4五銀で、
△同銀なら▲2二角成△同金▲6六角
△5五歩なら▲3四銀
△3三金なら▲3七桂△3二玉▲4六銀△6四▲3五歩の本譜のような展開
ということになる。
1図の▲4五銀、言われてみればその筋に気が付くが、言われなければ見過ごしてしまいそうな手だ。
1図の後手の陣形がしっかりしているように見えるから、この段階で後手陣に大きな欠陥があるとは考えもしないという流れ。
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内藤國雄九段が書いている「アラン・ポーの短編小説」とは『盗まれた手紙』。
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一昨日、今年初めての飲み会があった。
1軒目、生ビール、田舎風パテ、アイスバイン、ポテトのチーズ焼き
2軒目、カルピスハイ、生ぶどうハイ、すいとん
3軒目、日本茶サワー、餃子
という展開。
非常に楽しい飲み会だったのだが、1軒目は生ビール1杯、2軒目はカルピスハイ2杯、生ぶどうハイ1杯、日本茶サワー1/4杯と、ほとんど酒が進んでいなかった。
たしかに2013年に鼻を手術して以降、酒量が減っているが、ここまで飲めないというのは少しショックだった。
まあ、酒に弱くなったといっても、少し飲んでベロベロになるとか眠ってしまうとかではなく、酔う前にもう飲みたくなくなるという状態。誰にも迷惑がかからないので、まあこれでもいいか、と思いながら最寄り駅を降りると、猛烈な寒さ。
家まで徒歩15分だが、あまりにも寒く感じるので、タクシーに乗りたい気分だった。
結局は家まで歩いて帰ったが、もしやと思い体温を測ってみると38.1度。
体調は朝から変わっていないので、朝から風邪をひいていたことになる。
酒が進まなかったのもこれでは当然だ。
10年に1度の割合でしか風邪をひかない私にとっては、全く考えもしなかった盲点。
良く言えば、風邪を風邪とも感じない強靭さ、あるいは最強の鈍感力。
悪く言えばバカだ。
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それはともかく、昨日の朝は37.5度(夜は38.2度に上がっていたが)。風邪をひいた時に将棋を指すとどうなるのだろうと、ネット対局をやってみた。
すると、不利な局面でも逆転の勝負手が見つかったり、落ち着いた手が次々と出たりで、勝つことができた。
今朝は36.9度。今朝も12連勝中の相手に勝つことができた。
もともと勝てれば御の字と思っている謙虚さが良かったのか、雑念が入らないニヒルな雰囲気で考えられることが良いのか、風邪をひいている時の方が手がよく見える。