「中原もいいが、あのはにかんだ桐山の笑いもいいね」

将棋世界1986年11月号、日本経済新聞の表谷泰彦さんの第34期王座戦〔中原誠王座-桐山清澄棋聖〕第2局盤側記「名優二人」より。

 将棋や囲碁が、なぜファンを魅了するのか―の答は簡単ではない。が、少なくとも幕引きの際の過酷さ、残酷さが、その魅力の大きなポイントになっているとはいえよう。一日中競演した主役二人が終局と同時に勝者と敗者に分かれる。勝った方はその場で踊り始めたい心境だろうし、敗れた方はすぐにも席を立って自宅に帰りたいはず。だが、それでは一日がかりのせっかくのドラマは後味の悪いものになる。それほど極端でなくても、一方が勝利におごり、一方が敗戦に打ちひしがれていては、大根役者演じるところの田舎芝居になってしまう。

 勝者が喜びをおさえ、敗者が悲哀をこらえるところに、勝負の厳しさ、過酷さはドラマの名場面として昇華し、より感銘深いものになるといえよう。

 その点、王座戦は実に運が良い。中原対森安戦、中原対谷川戦と、このところ名優の出演が続いている。

 特に34期の今期、中原対桐山戦は、まさに東西のトップスターの揃い踏みとの印象すら与える。

 9月2日、東京・紀尾井町の福田家での第1局は相矢倉から急戦となり、夕食前の時点で控え室の評は”中原やや有利か”になっていた。もっとも一方が”やや有利”という場合、将棋はまだまだということが多く、たいてい終局は深夜になるもの。このときも、終局までには、まだまだ時間はあると思われた。

 夕食休みのあと対局室に戻った桐山は着席するなり「台風ですね、熱帯性低気圧が発達したそうです」と盤側に笑顔を向ける。テレビを見る余裕のなかった私は思わず「えっ!そんなことあるんですか?」。と桐山は「そうなんですよ」とニコニコ。つられるように中原「不思議なことがあるもんですね」。実になごやかな夜戦入りとなった。

 だが、その時桐山はすでに敗戦を覚悟し、気持ちの整理を終えていたのである。”中原やや有利”どころか局勢は大差になっていたらしい。再開7分後、記録係の村松二段が「終わりましたよ」と報告にくる。全員びっくり仰天して対局室におしかけると、桐山のよく響く声と中原のひかえ目な声が聞こえてくる。すでに感想戦が始まっていたのである。

 今にして思えば桐山にとって夕食の1時間は自らに敗戦を納得させるつらい時間であったはず。とても食事などはのどを通らなかったのではあるまいか。にもかかわらず、桐山は再開早々台風を話題に明るくふるまい、苦悩の時を過ごしたことはそぶりにも示さなかった。その名優ぶりに控え室の一同はすっかり幻惑される格好となったのである。

 神戸市有馬温泉の中の坊瑞苑での第2局目の前夜、中原、桐山の両雄は第1局と同様、仲良く同じ卓で麻雀を楽しんだ。とても明日激しく戦う二人と思えぬほど和気あいあいぶりで、ギスギスしたところは全くみられない。”さすがは名優二人”との思いを新たにさせられた。

 静かな男として知られる桐山もその胆力のすわり方は棋界随一といっても過言ではないようだ。知性棋士の代表二上達也九段は桐山について「どんな場合もビビることなく大胆に指してくる。実に度胸の良い将棋』と高く評価する。

 その二上の桐山評にたがわず、第2局で桐山は先手番の利を生かすべく、ひねり飛車の戦法で自ら動いて出る。第1局の敗戦など忘れたかのような小気味よい指し方に、立ち会いの有吉道夫九段も思わず「桐山君はなかなか積極ですね」。

 しかし桐山の読みには穴があったらしく、60手目に中原は角銀交換の大技を放ち、局勢はにわかに中原有利に傾き、夕食前には早くも”中原優勢か”の声も出る。

 第1局に続き今回もまた桐山にとって夕食休みは苦しい時間になったのである。だが、対局室に戻った桐山の表情に特に普段と変わるところはなかった。冷静にして沈着、いつもの桐山の姿があるだけだった。

 午後8時41分、中原の猛攻の前に桐山は支えきれずに投了、ただちに感想戦が始まった。朝刊速報の原稿を控え室に電話で送っていると、テレビモニターから桐山の声が響いてきた。どうやら2時間5分の大長考で指した手がよくなかったらしいが、敗因を語る桐山の声はあくまでも明るかった。

 感想戦が終わると二人はひと風呂あび仲良く打ち上げ宴の席に現れた。桐山は、はにかんだような笑顔を絶やさず、ゴルフや競馬談義に興じ、勝った中原も喜びをセーブして、あくまで物静かな態度に終始した。それでいて二人とも周囲に全く無理を感じさせない点は、まさに名優二人と思わせた。

 小宴のあと、二人は再び仲良く同じ卓で麻雀を楽しんだ。中原より一足先にぬけた桐山は、将棋世界や週刊将棋の編集者らと、しばし談笑していたが、その姿は敗戦の痛味を全く感じさせなかった。

 翌朝、定刻の8時半に朝食の会場に行くと、すでに桐山は有吉となにやら楽しそうに談笑していた。朝食後、ホテルの希望で両対局者に色紙をお願いすると二人とも快く引き受けてくれた。ただ、桐山はすでに家で書いた色紙を用意してあり「これでよいですか」とのことだった。ホテルの支配人が大喜びした3枚の色紙には「堅忍 棋聖 桐山清澄」と書かれていた。力強い文字も桐山らしいが「堅忍」の字句も、いかにも桐山らしいといえよう。

(中略)

 一足先に一人でホテルを出る桐山を玄関で見送り、手をふると、タクシーの中からニッコリ笑って、小さく手をふってくれた。その笑顔は”第3局では必ずやりますよ”と言っているように映った。

 帰路は観戦記担当の加藤治郎名誉九段と二人きりになった。王座の中原も一緒の列車になったが、一両前の車両であった。

 加藤先生は熱心に新聞を読んでいたがいきなり「中原もいいが、あのはにかんだ桐山の笑いもいいね」。どうやら加藤先生も敗れてわるびれず、明るく堂々とふるまう桐山に感じるところが多かったようだ。

 列車が新横浜に近づいたとき、前の車両の中原が、わざわざ別れのあいさつにきてくれて、恐縮する。勝ったあとだけに当然とはいえ、その顔は仕事を終えた満足感に光りかがやいてみえた。

(以下略)

* * * * *

中原誠十六世名人と桐山清澄九段は同年齢で、四段になったのも半年違い。

歴史的に見て、この二人のタイトル戦ほど和やかなタイトル戦は他に存在しない、と言っても過言ではないほど。

* * * * *

「台風ですね、熱帯性低気圧が発達したそうです」

普通は熱帯低気圧が発達して台風になるので、「えっ!そんなことあるんですか?」と驚くのは不可解なことだ。

表谷記者がもともと台風について全くの勘違いをしていたのか、あるいは原稿の段階で温帯低気圧を熱帯低気圧と書き間違えたのか、どちらかだと思う。