大山康晴永世王将・十段「51歳の私が新人を名乗ったのも、われとわが身に重い荷物を背負うことによって、大山将棋の限界を見きわめたい」

近代将棋1974年6月号、大山康晴永世王将・十段の第33期名人戦第1局自戦記「名人位奪回をめざして」より。

 こんどの名人戦は私にとって大きな試練だと思っている。中原名人を負かすのは私だ、と宣言し、雑誌にも書いた。51歳の私が新人を名乗ったのも、われとわが身に重い荷物を背負うことによって、大山将棋の限界を見きわめたい―これが私の真意である。

 主催者の朝日新聞からコメントを求められて「名人戦に臨む抱負といっても別にありません。初めて名人戦をやるわけじゃあないし、やるだけやりますよ。のんびり、神経を使わないで……」としゃべったら、「もっと派手なことを言ってください」と記者さん。

「そうねえ、もう少し派手なことをいわないとね。わたしの倉敷に入る祖母が、この2月に満100歳になったんです。わたしの各棋戦の優勝回数がこれまでに97。今年中に100にするというのはどうですか」

 この問答から将棋ファンのみなさんは、私の気持ちをくみとっていただきたい。年齢なんか気にしなくていい、自分は気力も体力も充実している。まだ大丈夫と気の持ちようが変わったのが、こんどの名人位挑戦に結びついたと思っている。

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大山康晴十五世名人が名人位を失ったのがこの2年前。その年度の3月には無冠になっている。

しかし、その後、十段位を奪還。そして名人戦挑戦。

この名人戦で大山十五世名人は3勝4敗で敗れているが、フルセットなのだから物凄い迫力だ。

大山永世王将・十段はこの後も、タイトルを複数取り続け、1992年にA級在籍のまま亡くなる。

大山将棋に限界はなかったことになる。