原田泰夫八段(当時)「芸能部の王様は飛角金銀桂香歩をうまく活用なさればいいじゃないですか」

近代将棋1982年2月号、原田泰夫八段(当時)の「棋談あれこれ」より。

箱根、石葉亭にて(十段戦第5局)

 加藤一二三十段と挑戦者・米長邦雄棋王の七番勝負第5局の立会をさせていただいた。41歳の十段に38歳の棋王、読売棋欄の日本一に全語句地方紙棋欄の日本一が挑戦、どちらのタイトル保持者が光るか、興味満点の顔合わせ、対局当日の読売朝夕刊に眼を通す。

 第1局…10月27・28日、東京千駄ヶ谷「玉荘」米長勝ち。第2局…11月5・6日、鶴巻温泉「陣屋」加藤勝ち。第3局…11月17・18日、熱海温泉「美晴館」米長勝ち。第4局…11月26・27日、金沢「金沢ニューグランドホテル」加藤勝ち。2対2、改めて三番勝負の形で箱根強羅の決戦であった。

 持ち時間は一人9時間、二日がかり。十段が上座、棋王の先手番。対局室は最上階の特別室「暁」この部屋で各種の大きなタイトル戦が行なわれた。第5局…12月9・10日、両日とも快情、箱根山の眺めはすばらしかった。

 観戦記は山本武雄八段。副立会は11月17日「将棋の日」に贈八段、原田門下の佐藤庄平君。記録係りは権橋五段門下22歳の大野八一雄三段。読売の担当は文化部の山田史生記者。前夜に平井芸能部長、当日から対局終了まで吉村文化部長が同席された。

 お世話役は美人聡明愛嬌兼備の若旦那夫人が陣頭、中年婦人清楚なタニさん、肉感的なヒロさんがあれこれ気をつかって下さった。石葉亭で三泊、想い出の風景、今も残る声を紹介する。楽しく学んだ、感謝感謝。

声の風景

○対局開始5分前、新調紺の洋服にコゲ茶の靴下、横綱北の湖の如き「神武以来、18歳八段」の記録をもつ加藤十段が上座に着く。すぐ立ち上り広大傾斜、各種樹木の庭園を眺める。元気いっぱい、闘士発散の姿であった。

 まもなく、茶の大島に薄茶の袴、羽織の紐まで茶で統一した「さわやか流」の米長棋王が笑顔を浮かべて登場する。

米長「箱根の緑りも、よござんしょう」

加藤「――」無言。

 応接間に石葉亭の大旦那が椅子席に「箱根の緑りも、よござんしょう」が口癖、これを知っている原田はつい笑ってしまう。

○休憩前後、棋王が手洗いに立つ、或いは椅子席で盤側に不在の時、十段は米長陣の座ぶとんの背後に立ち盤上を見る。自陣から読み、敵陣から自陣を眺めれば見落しが少ない。

 へんな癖で棋士良心がとがめるのか、2分か3分で自分の席に戻ろうとする。その瞬間

米長「どうぞ、どうぞ、ご遠慮なく」

加藤「――」無言。

○朝食は対局者と関係者も一緒、この方が手数が省ける。しかし、対局者は自室で食事したいなら、それも自由のしきたりがある。

加藤「食事は自分の部屋でします。希望は、なんでも結構です」

米長「皆さんとご一緒でいいです」

○担当の山田記者は誠実善良、相手の立場に立ち、蔭で厚意的配慮の淡々流。昼食に十段が”握りずし”の注文、控え室の山田さんは世話役婦人に「私も加藤さんにおつき合いしましょう。加藤さんの方だけ、三、四個多く入れて下さい」と念を押す。

 帰りのキップはバラバラに帰るので、わざわざ出かけて確保された。対局中、東京、大阪の本部大盤解説場から「次の手をお知らせ下さい」電話の応答。読売本社に知らせ、報道記事を作り、寸暇もなし。これからは将棋連盟の本部から本部へ連絡すべきだ。第二日目の中盤後からだんだん控え室もあわただしくなるから。

○吉村文化部長、平井芸能部長、将棋界へのご理解と愛情は人一倍の感じ。性格の相違が面白い。初日の朝食後、平井さんは社へ。

原田「もうちょっと、ごゆっくしては」

平井「正月の記事を沢山作るんですよ」

原田「芸能部の王様(部長)は飛角金銀桂香歩をうまく活用なさればいいじゃないですか」

平井「いや、そうもしていられません」

 吉村さんは悠々、将棋は少々ご存知とか、謙遜型は強いから案外強豪かも知れない。何れ停年、優雅な人柄、東京の区長か市長になり将棋介発展にご尽力願いたい、将棋ファンと帰人票で政界にお出まし願いたい、ほろ酔い懇談は楽しかった。

○山本八段は静粛無言観戦がお好き、恩師の金易二郎名誉九段の態度に酷似されてきた。

 本局68手目、加藤十段が35分の熟慮の5三桂を1分以内で「ここは5三桂と打ったらどうでしょうか」と控え室で特別発言、先輩八段のぼけない感覚を喜んだ。

 読売将棋間の継続隆盛に、山本さんの功績を見逃すことはできない。本部、長年の理事、不言実行、威張らない人。不遇不幸な人の気持がよく分る人。いい人である。

○佐藤庄平八段は原田の一番弟子、青年時代に病気でなければ、とっくに八段に昇進していたと思う。棋才豊か、常識あり、解説指道、執筆など、40代での上位、彼は今「成増名店街将棋囲碁会館」の講師として幸福な人生を送る。囲碁は将棋棋士中では一位か二位、アマ七段ぐらいらしい。将棋もA級選手と比較しても見劣りしない。

 自己宣伝せず、ファンに慕われる佐藤君に八段、成増地区の碁将棋ファンは心から喜びの拍手、理事会の好手だった。

朝日アマ将棋名人戦

 朝日新聞社主催の「第五回朝日アマ名人戦全国大会」は12月7・8の両日、東京新宿の厚生年金会館で開催された。開会の朝、日本アマ将棋連盟の佐橋滋会長、朝日本社の中江編集局長のあいさつ、原田が千駄ヶ谷本部代表として祝辞を述べた。

 朝日新聞社の行事に出席したのは久しぶり、皆さんは好意的に迎えて下さった。昔しから朝日は将棋界の普及にご尽力、育成された。戦前から「大学将棋」を一貫して後援協力、現在、日本一の「職団戦」は原田普及部長時代の創設なので感謝感謝である。

「朝日アマ名人戦」は全国13ブロックから代表32選手が、前年度の小林純夫第四期名人(奈良)への挑戦権獲得をきめる。

 旅行続きで調査不足だが、東京代表の元奨励会二段加部康晴君(26歳)が優勝ときいた。「流石元プロ二段は―」とプロ棋士の評価を高めた。人柄のいい好青年に幸あれ。

 大会後に「アマ・プロ角落戦」が行われた。7対2、5対4、5対4、三回戦ってアマ特別強豪が2勝1敗の勝ちこし。星数はプロ15勝、アマ12勝「いい勝負」。

○12月に加藤十段と米長棋王は、12局と11局。これまで1ヵ月で最多対局は大山王将の15局「それがご自慢らしい」と米長さん談。普通の体力では入院するよりない。

 原田は対局に追われず健康的な手順、7日朝、厚生年金会館で挨拶後、大阪へ。

 8日は和歌山市農協中央会で2時間半の講演。夜の10時頃、石葉亭へ到着した。忙殺はご免、花鳥風月の気分ゼロの人は、日本人でないような感じがする。

○毎日新聞の木曜夕刊「あの店、この店」欄に快男児加古記者のご依頼で約30年在住の阿佐ヶ谷の赤ちょうちん、縄のれんを4,5軒紹介した。本誌の酒道に心得ある名記者はそれを書けというが、これにて終結、なにとぞご寛恕を。

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昭和の雰囲気を味わいたい時には原田泰夫九段の随筆が一番。

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肉感的という言葉を見たり聞いたりしたのは何年ぶりだろう。とにかくとても懐かしく感じられる言葉だ。

原田泰夫九段の日常会話には、たとえば「歌舞音曲」、今回の終わりの方にも出てくる「花鳥風月」など、やや文語体に近い言葉が出てきて、それが多くのファンが楽しみにしていた原田節だった。

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大旦那の「箱根の緑りも、よござんしょう」も含めて、石葉亭へ一度行ってみたくなるような気持ちになる。

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平井芸能部長は、山田史生さんの前の将棋担当だった平井輝章さん。

「芸能部の王様(部長)は飛角金銀桂香歩をうまく活用なさればいいじゃないですか」は、他のケースでも使える実戦的な言葉だ。

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日本アマ将棋連盟の佐橋滋会長。

佐橋滋さんは元・通産次官で、通産省(現在の経済産業省)時代は「ミスター通産省」と呼ばれていた。

城山三郎さんの『官僚たちの夏』の主人公のモデルにもなった人だ。