米長邦雄四冠(当時)「この愚かな過ちを、両対局者のどちらがより大きく犯したかによって、将棋の勝敗が決まる。これがプロ同士の試合であろう」

近代将棋1985年2月号、米長邦雄四冠(当時)の「さわやか流将棋相談」より。

Q.昔からよく言われることですが、プロ棋士はどのくらい先まで手をヨムのでしょうか。またヨミを省略できることが強いことだとも聞いたのですが、いかがでしょう?(岡山県 Kさん)

A.ヨメばヨメる

 詰将棋を例にとってみよう。

 玉を詰ますために、プロは100手でも200手でもヨムことができる。たとえば私自身、有名な古典詰将棋、伊藤看寿の611手詰を頭の中でヨミ切ったこともある。しかしながら、40過ぎの今の私に「もう一度やってみろ」と言われても、おそらく詰ますことができないだろうと思う。何故なら、近頃私は横着になって、なにも詰まさなくても必至をかけておけばいいではないか、と考えるようになってきたからである。―こうなっては芸の止まりである。

 将棋の一番のヘボは全然手がヨメない。これが少し上達してくると、先をヨムことができるようになる。さらにこの段階を越えると、ヨマずに済ませることができるようになる。この読まずに分かるという段階が一番強いのであって、プロ級の実力と言える。

 これがさらに上へ進み、全然読まずに第一感で最善手が当てられるということになれば、神技である。

 専門家は100手指すうち、80から90手までは第一感で最善手が分かる。つまり神技をこなすことができる。そして残りの10数手を指す時に、神様と人間の合いの子にまで下がって、幾つかの錯覚―悪手―に陥ることになる。この愚かな過ちを、両対局者のどちらがより大きく犯したかによって、将棋の勝敗が決まる。これがプロ同士の試合であろう。

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今では、プロ棋士が読まなくてもよい手を瞬時に判断して読みを省略していることが広く知られているが、34年前にそのことが言葉で表現されていたのだから、凄いことだと思う。

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「専門家は100手指すうち、80から90手までは第一感で最善手が分かる。つまり神技をこなすことができる。そして残りの10数手を指す時に、神様と人間の合いの子にまで下がって、幾つかの錯覚―悪手―に陥ることになる。この愚かな過ちを、両対局者のどちらがより大きく犯したかによって、将棋の勝敗が決まる。これがプロ同士の試合であろう」

このようなことが、人間対人間の勝負を面白くしている要素の一つ。

この頃の米長邦雄四冠(当時)は、四冠王の勢いとともに、盤外も特に冴えに冴えていた時期のように感じられる。