将棋世界1988年6月号、近況インタビュー・升田幸三実力制第四代名人「碁は聖、将棋は大名人」より。
お元気そうにお見うけしますが、最近の体の調子の方はいかがでしょう。今日は、近況のインタビューということでうかがいました。どうぞよろしくお願いします。
升田 前はよくしゃべったんですがね、この頃、疲れるんでね。
静尾夫人 そうですよ、昔は一人でしゃべっていたようですよ。大阪から東京の新幹線の中で、ずっとしゃべり続けだったって、新聞社の方がビックリされてましたですから。
升田 女房を持つとね、疲れるよ。一人養わんならん。余分にね。子供ができたりすると、また一人余分になる。
禁煙、禁酒
―先生は、お酒もたばこも相当おやりになっていたとのことですが、おやめになったのはいつ頃のことでしょうか。
升田 51年の7月にやめたですね。タバコは一日300本吸うとったがね、ピタリとやめました。ちょうどその日、田中角栄がパクられた。7月27日だったかな。お酒もね、いっしょにやめました。毎日二升から三升飲んでおったんですがね。これをやめて、焼酎を湯で割ったのね、飲んどる。
―禁酒して焼酎というのは面白いですね。
升田 量を減らしとるからね。いつだったか、斉藤栄三郎いう人がいてね。商学博士やら文学博士やら、三つ博士号を持っているんだが、この人が私の飲んだお酒を計算したことがあってね。何億という金になるそうじゃ。
―おやめになってから、体調の方は良くなられたでしょうか。
升田 良くはならないけどね。……良くはなりませんが、悪くもならない。タバコの方は、やめて、まあいいとしても、酒の方はね、やめると友人が少なくなるということがありますね。将棋界でない、政界とか財界の友人がね。その点あんまり良くないことがあるね。いっしょに行ったって私が飲まんから、向こうは面白くない言う。
―でも、先生は焼酎のお湯割りを飲まれれば……。
升田 今なら、焼酎もね、だいたいどこ行ってもありますが、昔は、焼酎くれ言うたら店がオコル。松山でも店の女将にエライおこられた。「ウチにはそんなものありませんっ!」(笑)。その時、鉄道局長がいてね、「今、東京では、焼酎が大はやりで、ホテル・オークラや帝国ホテルでもちゃんと焼酎があるんですよ」言うてね。次に行ったら「先生、焼酎ありますよっ」てね(笑)。
―ほんと、ここ数年ですからね、焼酎がよく出るようになってきましたのは。
升田 最近は、焼酎の勢いが悪くなってきましたね。いっときよりね。若いのが飲まんようになりだした。焼酎よりウイスキーがいい言うて。
―ウイスキーと言えば、サントリーの社長みたいに、ちょっと口を滑らせただけで不買運動がおきたりすると大変ですよね。
升田 そうじゃね。悪口というやつは、日本中に広がるからね。恐しいね。だから政治家がね。総理大臣が、中曽根から今度竹下になったね。あれ、ゼニがいるんです。子分のためのゼニいうのは知れとる。じゃが、愛想良うして金使ってないと悪口言われる。その悪口止めに金がいる。総理なんていうのは、大変なことなんだな。哀れだね。
―哀れですか。
升田 哀れですね。悪口言うやつは言わせておけばいいんです。
―やはり、気にするんですかね。
升田 気にする。悪口がね、日本中に広がると、もうやめなきゃならんようになる(笑)。新聞から、雑誌から、どんどん悪口書かれ出したら辞表出さなならん。政治家と称する連中はね、ま、政治家と言うんじゃなく、政治屋でしょうが、カゲがありますよ。ウラがね。平気で脱税したりね。「諸君、経済はこうあらねばいかん」とか、演説はいいんだが、自分は悪いことばっかりしてる。上手にウソをつくやつが成功するという感じやな。下手ついたらいかん。下手ついたら駄目や。バレる(笑)。悪徳商人みたいなのが多いですね。情ないことやな。
主人本意に
―この家は、東京に移られてからです
升田 20年のね、3~4年ですね。建てたのがね。
静尾夫人 檜は50年もつといいますからね。それでも、この応接の部屋は小さくてね。新聞社やテレビの方たちが写真や取材にいらしても、部屋が小さいからカメラの方がドアを開けて部屋の外から撮ったりなさっていましてね。カメラの器材なんかも入らなくてね。でも、これで持ちましたからね。
升田 (応接間のカベを指して)これをブチ抜いて広くしたいと、家内がよく言ってたが、そんな豪邸みたいなことスナとね。
静尾夫人 ”離れ”は建てたんですよ。静かにしていないといけないでしょ。神経休めなければならないでしょ、主人がね。電話の線も、差し込みを作って、主人が離れにいる時はこっちにして、こっちにいる時は向こうに移したりしましてね。時には、電話にフトンかけたりもしましたわ。ところが、建てたころは静かだったんですが、離れの方も、そのうちよその家が接近して来ましてね。アパートも建ったりして……。とにかく、主人本意にやって来たんですよ。
升田 ……。
静尾夫人 もう何十年も。40年近くもいっしょにいましてね。思うことは、この人は欲のない人ですね。「お前の世界とオレの住む世界とは違う」と言いましてね。「お前と見解が違う」とよくしかられました。お人好し過ぎるんですね。皆さんは、口が悪いということで嫌われるようですけどね。つき合ってみると、お人好しでね。私も、この人がお人好しだから、ホレたんだと思いますね。
武蔵の弱点
升田 私は剣道が好きでね。それで時々ヒョッヒョッと思うんだが、後藤又兵衛いうのがいたやろ、鉄砲で撃たれて死ぬるんだがね。これが強かった。その後藤又兵衛と、宮本武蔵とどうして試合しなかったか、とね。後藤又兵衛は負けたことがなかったが、武蔵は負けたことあるんだな。
―武蔵は天下無敵で、負けたことがあるというのは初めて聞きましたが。
升田 あるんだ。言わないんだな、負けたのは(笑)。大山が名人の時、私にヤリ引かれて負けたが、いわん。それとおんなじや。
―武蔵についての本は何冊も読んでいますが、負けたということは一行も出ていないと思いました。
升田 あれね。千葉の方でウロチョロしとってね。なんとか言う山伏に半殺しに合っているんだな。名古屋では、ヤリ使いにやられとる。だから長い物、持った人とはしないんだないんだ。賢いんだな、ちょっと見たらアホかと思うけどね。
―アホですか。先生にかかっては武蔵もカタなしですね。
升田 武蔵はね、長崎の方でキリシタン信者が興した一揆があっただろう。
―島原の乱ですね。
升田 あれにも、武蔵はね、幕府から傭われて行ってるんだが、百姓に石ぶつけられて足ケガしとる。そういうのに弱いんだな武蔵はね。賢いから二度目は行かない。
囲碁は聖
―先生は囲碁が趣味とのことです。失礼ですが、棋力と申しますか、段位の力はどの位なのでしょうか。
升田 そうか。君だったな。碁が強いのは。そこに盤があるから出してくれ。
―(二寸のカヤの平盤で、オモテとウラにそれぞれ将棋と囲碁のマス目が引いてある。桐箱には「昭和32年、大名人升田幸三」の書名がある))
升田 そこに暮石がある。打って見ればよく分かる。君は、大野八一雄とかいうのと打ったことがあるか。
―はい。互先の手合いです。
升田 それなら五子というところじゃな
―私は、自称ですが三段の棋力ですが五子というのは将棋でいうとどのくらいの差になるのでしょうか。
升田 一つおくと三段。五三、十五で十五段違ういうことやな。将棋でいうと角が九段、飛車が十一段違いだから……。
―飛車香落ちというところですか。十五段違いというと、先生の段位は大変な数字になってしまいますが……。
升田 聖(ひじり)と呼ばれておる。将棋では大名人じゃ。32年からね。何や長い名をもらったが、将棋の方は30年前から大名人じゃ。
―恐れ入りました。(30手程進んで、早くも左上隅で事件となり、下手苦戦に陥る)
大学は友を得る
升田 今は、皆、大学へ行くような時代になっておるようだがね。行かんでも済むようなところが多いですね。済むようなところが多いが、行って良いところはね、友人が出来るいうことだな。友人ができるとね、本人がペイペイのうちはダメですが、大きくなっていざ何かやろうという時に、力になる。
―と申しますと。
升田 息子を慶応にやりましたがね、何かと言うとすぐ寄付を取るんですねこれが、大学にもピンからキリまでありますが、金持ちの集まっているところだと金がすぐ集まる。こういうところで、友人を作っておけばね、会社の社長か重役になってね、ここ一番の勝負をかける時にね、必ず力になるいうことです。ウチの子ね、私が入院してウンウンうなってても見舞いにも来んが、友人が結婚式挙げるいうたら、九州でも北海道でも飛んで行きよる(笑)。ま、友をたくさん持てるいうことが、人生を大きくするいうことですね。
(昭和63年4月6日、升田邸にて)
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升田幸三実力制第四代名人が亡くなる3年前のインタビュー。
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升田実力制第四代名人は、1971年に名人戦(7局中5局が升田式石田流だった伝説的な名人戦)で挑戦して以降、体調の関係から休場の年が多くなった。
- 1971年度 順位戦 5勝3敗(2位)
- 1972年度 順位戦休場
- 1973年度 順位戦休場
- 1974年度 順位戦 7勝3敗(3位)
- 1975年度 順位戦 4勝5敗(5位)
- 1976年度 順位戦休場
- 1977年度 順位戦休場
- 1978年度 順位戦休場
順位戦休場とあるのは、その年度の4月、5月の対局は行い、6月からの順位戦以降を休場したような形態。
引退は1979年、61歳の時だった。
「51年(1976年)の7月にやめたですね。タバコは一日300本吸うとったがね、ピタリとやめました。ちょうどその日、田中角栄がパクられた。7月27日だったかな。お酒もね、いっしょにやめました。毎日二升から三升飲んでおったんですがね。これをやめて、焼酎を湯で割ったのね、飲んどる」
やはり、升田実力制第四代名人は、煙草を1日300本、日本酒を毎日二升から三升飲んでいた時代が、現役としての升田幸三らしかった時代なのだと思う。
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「昔は、焼酎くれ言うたら店が怒る」
昔は、焼酎はかなりランクが落ちる酒と見られていたようだ。
居酒屋などでの焼酎が一般的になってきたのは1980年代初頭からだったと思う。
実際に、消費量の推移を見てみると、焼酎の甲類、乙類とも、1985年度の消費量は1980年度の2.5倍となっている。
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「”離れ”は建てたんですよ。静かにしていないといけないでしょ。神経休めなければならないでしょ、主人がね。電話の線も、差し込みを作って、主人が離れにいる時はこっちにして、こっちにいる時は向こうに移したりしましてね。時には、電話にフトンかけたりもしましたわ」
豪放な升田実力制第四代名人だったが、当然のことながら、このような一面も持っていた。