「将棋界で”マッチ”といえば関西のハンサム棋士、浦野真彦六段を指す」

近代将棋1989年10月号、田辺忠幸さんの「将棋界 高みの見物」より。

近代将棋1986年4月号より。

 ”マッチ”といっても、中森明菜の自殺未遂事件で男を下げた近藤真彦のことではない。将棋界で”マッチ”といえば関西のハンサム棋士、浦野真彦六段を指す。

 このマッチの株が、このところ上昇の一途をたどっている。今年はマッチの当たり年といってもよい。

 将棋ファンなら何をさておいても、8月20日に放送されたNHK杯争奪トーナメントの谷川名人-浦野六段の一戦をご覧になったはずだ。95手で浦野快勝。谷川が自慢とする「光速の寄せ」のお株を奪う見事な寄せだった。

 これまで浦野は谷川に「奇麗に3連敗」していて、4戦目での初勝利。大相撲でいえば新入幕が横綱を倒したようなものだから、金星も金星、大金星だ。浦野はその喜びを「超ラッキー」の一言で表現した。よく感じが出ていると思う。

 今年に入ってラッキー続きの浦野。その1はB級2組・六段への昇級・昇段だろう。あの羽生をさしおいての出世だから大したもの。順位戦では初戦で前王将の中村七段に屈したものの、第2戦で東六段に勝って初日を出した。

 感想を聞いてみると、「これまでは降級点など心配したことはなかったけど、B2ではそれが心配になりますよ。強敵ばかりですからね。とにかく一つ勝ってホッとしました」といささか弱気な答えが返ってきた。確かにB2は激戦地ではある。

 ラッキーその2は、前記の打倒谷川。そしてその3は「IBM杯順位戦昇級者激突戦」での優勝だ。臨時棋戦とはいえ、森安秀九段、田中寅八段、森下五段というそうそうたるところを連破したのだから中身が濃い。

 決勝に進出したとき「相手は準優勝男の森下君だから、浦野君の優勝は決まったようなものさ」という、いい加減な声もあったが、その通りになった。この将棋の後半は東京・日比谷公園のレストランでの公開対局で、浦野は苦戦に耐え、200手もかかっての勝利。終盤で歩頭に角捨ての妙手も披露した。

 以上は将棋のうえでの連続快挙だが、実は番外でもっと大きなラッキーがあるのだ。森下との決勝の日、浦野から「東京の人にしゃべるのは初めてですが、来春結婚することになりました」と、婚約を打ち明けられた。そして「一番ショックなのは谷川さんでしょうね。なにしろ僕は30まで結婚しない、といっていましたから」とも。

 結婚に関しても、谷川顔負けの「光速の寄せ」ではないか。名人は将棋で負け、結婚で負けたわけだ。

(以下略)

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近藤真彦さんが飛ぶ鳥を落とす勢いの大人気の頃。

学年は違うけれども、浦野真彦八段と近藤真彦さんは、ともに1964年生まれ。

椎名桔平、阿部寛、内村光良、岸谷五朗、鶴見辰吾、高橋克典、温水洋一、出川哲朗、薬師丸ひろ子、キアヌ・リーブス(敬称略)なども1964年生まれ。

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「『相手は準優勝男の森下君だから、浦野君の優勝は決まったようなものさ』という、いい加減な声もあったが、その通りになった」

内容は別として、不思議な可笑しさのある文章だ。

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1988年C級1組順位戦、浦野五段(当時)は羽生善治五段(当時)に敗れているが、羽生五段を抑えて浦野五段が昇級している。

この時の羽生-浦野戦が印象深いエピソードに包まれている。

暗闇に消えた羽生善治五段

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NHK杯戦、谷川浩司名人-浦野真彦六段戦が終了した直後、谷川名人(当時)は二重の衝撃を受けることになる。

谷川浩司名人(当時)「この男、将棋で負かした上に何の話があると言うのだろう」