明日は棋王戦第2局。
今日は、挑戦者の佐藤康光九段の入門時代の話。
近代将棋1996年2月号、青野照市九段「実戦青野塾」より。
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佐藤(康光九段)が奨励会に入ったのは、昭和57年12月、中学1年の時であった。その前の二~三年、佐藤は師匠の田中魁秀八段の自宅教室に通って強くなった。
「最初はもちろん弱かったけど、しっかりした子供やなあと思うた」
田中の回想である。土曜の教室が終わった後の片付けをし、それから師匠との特訓が始まる。遅くなった日は、師匠宅に泊り込むこともあった。ちょっとした、通いの内弟子といった感じだった。
佐藤は師匠に直接教えてもらって強くなった、数少ない例の一人である。奨励会に入る直前頃は、すでにたまには平手で師匠を負かすようになっていた。無論、練習将棋でのことだが、感想もハッキリ自分の意見を言うので驚いたと言う。
奨励会に入って間もなく、佐藤一家は、父親の転勤で、関東に移ることとなった。田中がまだ中学生だった弟子を心配して、
「東京で面倒見てくれる先生を紹介するし、何やったら師匠を変えてもええよ」
と言ったのを、佐藤は大丈夫ですと言って断った。
「将棋やめたらあきまへんで」
これが田中のはなむけの言葉であった。
この子はモノになるという予感があったと言う。
後年、佐藤は私の主宰する研究会に来ていたことがある。四段になった直後くらいだったろうか。その佐藤を見た私の妻が、
「佐藤さんはいい顔をしている。目が違うのよ」
と言っていたことがあった。どう違うかというと、人と話している時でも、何か遠くを見ているような目なのだと言う。
これと同じことを、最近もう一度言った。森内俊之八段が、伊豆高原の自宅に遊びに来たときである。冗談で、霊媒師になれば良かったと言っている妻には、何か違うものが見えたのかもしれない。
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タレントで多くある例だが、写真よりも実物のほうが数倍男前なのが佐藤康光九段だ。なんらかのオーラを持っている感じがする。
それにしても、青野九段の奥様も本を書けば、かなり面白いのではないだろうか。