三浦弘行八段、名人挑戦を決める

昨日のA級順位戦は、三浦弘行八段が郷田真隆九段に勝って、名人挑戦を決めた。

→毎日新聞記事

朝日新聞記事

三浦弘行八段は、郷田真隆九段とともに昔ながらの将棋指しの雰囲気を持つ棋士だと私は思っている。

昨年の9月18日、三浦弘行八段は当日の午前1時頃まで順位戦を戦っていたにもかかわらず(木村一基八段戦で敗れていた)、将棋ペンクラブ大賞贈呈式に顔を出してくれた。

中締めでは、三浦八段から、将棋ファンの心に響く、素晴らしいあいさつがあった。

将棋一途なイメージの三浦八段だが、人間的な暖かさに満ち溢れたキャラクターなのである。

今日は、三浦八段の名人挑戦を記念して、私が以前書いた観戦記から三浦弘行八段についての抜粋を。

NHK将棋2006年4月号、NHK杯将棋トーナメント準々決勝、森下卓九段-三浦弘行八段「森下、意表の石田流」より。

(*は追加のコメント)

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「三浦君は僕の結婚披露宴の最中、ずっと詰将棋を解いていたんですよね」と木村(*当日の解説者である木村一基八段)が言うほど、三浦は将棋一途だ。

将棋の勉強を何時間やっているか聞かれて、即座に「24時間です」と答えたという逸話も残っている。

研究も一人で行っており(*現在は違う)、その熱心さに、お母様が「受験勉強なら数年で終わるけど、将棋の勉強はずっと続くんですよね」とご心配されたこともあったようだ。           

しかし、その鍛錬こそが、羽生七冠の一角を崩す原動力になったとともに、骨太な三浦将棋を創り上げてきた。

(中略)

義理堅さと暖かさ 

昨年9月(*2005年)の将棋ペンクラブ大賞贈呈式でのこと。翌週に竜王戦挑戦者決定戦を控えた三浦が、著作技術賞を受賞した兄弟子である藤井猛九段のお祝いに駆けつけていた。(木村も同様に大賞を受賞した姉弟子の中井広恵女流六段のお祝いに駆けつけ、面白い祝辞が述べられた)

会場には女流棋士による指導対局コーナーがあり来場した将棋ファンの人気を博していたのだが、そこに三浦が飛入り参加した。予定されていなかったA級棋士から指導対局を受けたファンは感激してしまう。

「ファンの方が喜ぶ将棋を指したいんですが、プロは相手の狙いをはずし合うことが多くて …」と語る三浦。 

不器用で将棋一途なイメージの三浦だが、その根底には暖かさが流れている。          

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なお、三浦八段のお祖父さんと故・福田赳夫元首相は従兄だった。

近代将棋1996年12月号、「羽生を破った男 三浦新棋聖就位式パーティー」の親戚の女性(福田康夫元首相の妹にあたる)のあいさつより。

「私の父、福田赳夫と弘行君のお祖父さんとは従兄で、家族ぐるみの仲のいい親戚つきあいをさせていただいています。

父と三浦さん(祖父)はともに勉学のために東京へ出て、一緒の下宿で暮らした仲です。お祖父さんという人は弘行君と似て、服装などは無頓着の人でした。

晩年は父の主治医として、毎週金曜日に来ては脈をみて、お話をしていくのが日課でした…

こどものころの弘行君をよく知っていますが、まさかあの子が天下の羽生さんを倒すとは、びっくりしました。(以下略)」

近代将棋1996年12月号より。

萩本欽一さんと。近代将棋1996年12月号より。

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三浦弘行八段は、研修会、奨励会初期の頃は、振飛車穴熊を多用していた。

将棋世界1998年6月号付録「全棋士出題次の一手 子供の頃の得意戦法PART1」より、三浦弘行六段の頁。

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【ヒント】

後手陣が完成していない今が、強襲をかけるチャンスです。

(先手が三浦少年)

【解答】

▲6四歩

研修会、奨励会初期にわたって私は振飛車穴熊を多用していました。

問題図は昔の将棋マガジンに瀬戸五段が次の一手形式で使われていた問題で、当時は実戦でも現れやすかったのが気に入って、四間飛車穴熊を使っていた程です。(以下略)

▲6四歩以下は

△同歩▲同銀!!△同銀▲6三歩△同飛▲3三角成△同桂▲7二角で先手優勢。

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