1992年の先崎学五段(当時)の著書「一葉の写真」より。
11月30日、待ち合わせの場所である羽田空港に行く。
時刻は朝10時。この業界の常として朝寝坊の人が多いが、ただ一人、森下さんはいたって元気である。
「おはようございます」
「あっ、これはこれは先崎さん、相変わらずお元気そうですね」
森下さんの挨拶はいつも丁寧だ。
僕にとっての森下さんという人は、”とんでもなく不思議な人間”である。
森下さんの地元の博多弁でいうと、
「まっこと不思議な人間バイ」
となる。
たとえば、僕は本誌12月号に、森下さんが悲願の初優勝をとげた新人王戦の観戦記を書いたのだが、後日会ったその折にその文の感想を求めると、
「いやいや、先崎さんの名文には、いつもいつも感服いたします。お釈迦様のご説法とまではまいりませんが、生涯の座右の書として、日々拝読させていただきます」
とくる!
普通の人がこんなことをいったら、頭がおかしいか、あるいはなんて嫌味な奴だと思われて、疎んじられるだろうが、森下さんに限ってそんなことはなく、だれからも好かれるのである。これには、不思議を通りこして、尊敬の念すら覚える。
二年前の春、今日の対局者の二人に、羽生、森内、それに僕を加えたメンバーで、十日間ほど四国に旅行をしたことがある。朝と夜だけ旅館に集合という原則で、日中は、各自、気ままなたびを楽しんだ。羽生や阿部は、観光が主で、僕は公営ギャンブル場などを見て回り、森内は各駅停車の旅を楽しんだ。どれも、二十ぐらいの青年としては普通の行動だろうが森下さんは違った。
一人森下さんは、朝早く起きるやいなや宿を出て、”四国巡礼の旅”に出かけるのである。
そう、例の四国八十八ヵ所巡りというやつです。しかしですよ、べつに信仰心が深いわけでもない二十二歳の人間が、お寺まいり、ですよ。
それで、夜の食事の席では、嬉々として、今日はどこの金毘羅さんに行った、どこの霊場がよかったとカン高い声でまくしたてる。しかし宴たけなわになって、みんなで外に飲みに行こうか、それともトランプでもやろうかと相談するころには、もう明日に備えて寝てしまうのである。
—–
早寝早起き、毎朝5時に起きて、水垢離をやっているのではないかと言われていた森下卓九段。
先崎学八段の著書「フフフの歩」より。
森下卓といえば、お辞儀の達人としても知られる。ここに有力な証言がある。
-連盟販売部、課長H・S女史の証言。
「私達の部署って会館に入ってまず見えるでしょ。自動ドアが開いて先生方が挨拶するとき、だいたいの先生は、その場に居る四、五人まとめて挨拶するんですけど、森下先生だけは何人いても必ず一人一人声を掛けてくださるんです。それもあのビシッとした姿勢で、腰を四十五度に曲げて。それで挨拶だけではなく、なにか一言おっしゃるんです。私になんかいつも綺麗ですねなんて、ああ素敵、私ももうちょっと若かったら・・・」(以下長くなるので略)
—–
明日は、森下九段の合コンの時の話。