三浦弘行八段の真骨頂

週末は、将棋ペンクラブ大賞最終選考会の原稿作成作業などがあり、ブログの更新が難しいため、昨日に引き続き、私が過去に書いた観戦記を掲載したい。

二度目に書いた観戦記は、2005年度NHK杯将棋トーナメント準々決勝の森下卓九段-三浦弘行八段戦。

「森下、意表の石田流」という題で書いた。

三浦八段による独特な石田崩しが現れる。

NHK将棋講座2006年4月号より。

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森下、意表の石田流

「今日から高崎市ですね」控室に入ってきた三浦弘行八段に、制作担当者が声をかける。この対局の収録が行われた1月23日、三浦が住む群馬県群馬郡群馬町は高崎市として生まれ変わった。故・福田赳夫元首相の生地でもある群馬町だが、群馬の三並びの地名は今後見られなくなってしまう。

三浦がコートを脱ぎ終わった頃、森下卓九段が「おはようございます」と元気よく登場。そして、森下がコートを脱いで着席しようとする頃、解説の木村一基七段が「寒いですねえ」と言いながら控室へ入ってきた。

森下と木村が揃えば、控室には会話の華が咲く。森下が沖縄へ仕事で行った時に、二日間で泡盛を8合飲むことになってしまった話、懐かしのテレビCM、健康問題など森下の話題は幅広い。一方の木村も負けてはいない。

「僕と同年齢の、外見が若かった行方君や野月君も最近では年齢相応の顔しています。でも三浦君は子供の頃と顔がほとんど変わっていません。それにひきかえ僕なんか特に…」

三浦は困ったような照れくさそうな表情。

賑やかな控室も、スタジオ入りの時間が迫ると会話が止まる。2分ほどの沈黙の時間。

間もなく「スタジオへお願いします」と声がかかる。準々決勝第3局がこれから始まる。

初手からの指し手

▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀 ▲7八飛 △4二玉 ▲4八玉 △3二玉 ▲3八玉 △8四歩 ▲7五歩 △8五歩 ▲7六飛 △6四歩 ▲5八金左△6三銀 ▲9六歩 △4二銀 ▲2八玉 △5四歩 ▲3八銀 △5三銀 ▲6七金 △4二金  ▲5六歩 △1四歩 ▲1六歩 △7二飛 ▲9七角 △7四歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲7五歩 △8三銀 (1図)

皆が驚いた▲7八飛

解説の木村七段の戦型予想は、森下の初手▲7六歩は絶対として、三浦の一手損角換わりだった。木村の見立てでは、三浦は木村との竜王戦挑戦者決定戦以降、横歩取りをあまり指さなくなっているということだ。

両対局者、深々と礼をして対局が始まる。

3手目で森下が角道を止めたので、角換わりを避けて矢倉に向かうと思われたが、森下は△6二銀を見て▲7八飛と飛車を振った。

この瞬間、観戦場所である副調整室では、複数の制作スタッフから「えっ!」「おっ!」の声が同時にあがった。

「予想は大ハズレですね。森下さんが振るとは・・・今でも信じられない」(木村)

ところで、本譜の8手目までは3回戦の森内-三浦戦と同一手順。森内名人の石田流に対し、三浦は居飛車穴熊で競り勝ったが、本局では三浦は趣向を変えて△6四歩と、石田流に真っ向から立ち向かう手順を選んだ。

森下の▲6七金は後手が棒金で攻めてきた場合に▲7八飛と引いてから▲7六金と対抗し、棒金を立ち往生させようという狙い。

三浦は△7二飛と寄り、飛車先の歩を交換し銀を8三に移動させた(1図)。これは、棒金の金の代わりに、退却しやすい銀にその役目を果たさせようという工夫。8四銀-9四歩の態勢から、△9五歩▲同歩△9六歩が狙い。こうなっては石田流が崩される。

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1図からの指し手

▲7八飛 △8四銀 ▲7六金 △5二金上 ▲6八銀 △9四歩 ▲8八角 △8二飛 ▲6七銀 △7三銀 ▲7七角 △6二銀右 ▲4六歩 △6三銀 ▲9七香 △8四飛 ▲5八銀 △7三桂 ▲4七銀左 △8六歩 (2図)

三浦の本領

「三浦君は僕の結婚披露宴の最中、ずっと詰将棋を解いていたんですよね」と木村が言うほど、三浦は将棋一途だ。将棋の勉強を何時間やっているか聞かれて、即座に「24時間です」と答えたという逸話も残っている。研究も一人で行っており、その熱心さに、お母様が「受験勉強なら数年で終わるけど、将棋の勉強はずっと続くんですよね」とご心配されたこともあったようだ。

しかし、その鍛錬こそが、羽生七冠の一角を崩す原動力になったとともに、骨太な三浦将棋を創り上げてきた。

森下は想定通り飛車を引き、△8四銀には▲7六金と備える。

三浦は、森下の飛車先が重くなったのを見て△8二飛と戻し攻撃体制の再構築をはかる。8四の銀はブーメランのように6三へ戻った。

一方、森下は駒を繰り替え左翼を軽くする。

△7三桂で三浦は攻撃布陣を整え、森下は銀美濃を完成させた。

ここで三浦は△8六歩(2図)と開戦の火蓋を切る。

「放っておくと▲3六歩から▲3七桂と好形にされるので、今仕掛けるしかない」(三浦)

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2図からの指し手(○数字は考慮時間の累計)

▲同 歩⑤△8五歩 ▲6八飛 △8六歩 ▲同 角 △8一飛 ▲8七歩 △8五桂① ▲3六歩 △9七桂成②▲同 桂 △8二香 ▲8五桂打△7一飛 ▲3七桂 △8四歩 ▲7三桂成⑥△同 飛 ▲4五桂 △6二銀 ▲6五歩 (3図)

森下の本領

森下は昨年の6月から日本将棋連盟の理事となった。出版担当理事として、また瀬川四段のプロ編入試験プロジェクト担当として実績をあげてきた。激務の理事職と将棋の両立は難しいものだが、森下の今期の勝率は6割5分と、むしろ例年よりも高くなっている。将棋にも理事職にも、それぞれ真摯に取り組む森下の姿勢が相乗効果となって結果に表れているのだろう。

昨年の夏、アマチュア団体が主催する大規模な将棋大会の会場に森下の姿があった。会場内に連盟発行の書籍販売コーナーが設けられ、森下は連盟職員とともに販売活動にあたっていたのだった。月刊誌の年間購読申込者には森下自らが指導対局をする特典付きだ。午前中から夕方まで森下は指導対局をしていた。その姿には本当に頭が下がる思いがした。

2図の△8六歩の決戦に対して森下は▲同歩と応じる。▲同角と取ると△6五歩からの攻め筋が厄介だ。

△8五歩の継ぎ歩に▲同歩△同桂▲8八飛は△7七桂成以下二枚換えで先手不利。

△8二香に対する防ぎで打った▲8五桂はすぐに取られる運命にあるが、7三桂成で飛車を呼び寄せ、▲6五歩(3図)からの攻撃の当たりを強くする意味合いを持っている。

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3図からの指し手

△4四歩 ▲6四歩 △7二銀 ▲6五金 △4五歩 ▲7四歩 △9三飛 ▲4五歩 △1三角 ▲6七飛⑦△2二玉④ (4図)

厚みVS駒得

三浦は△4四歩と右桂も殺しにいく。これで桂香の駒得となるが、7二銀と8二香が働いていないことと歩切れが痛い。逆に森下は7筋と6筋を圧倒し、のびのびした陣形になっている。

△1三角では△9九角成から△3三馬と引き付ける手も有力だったようだが、その後の△2二玉(4図)に副調整室のスタッフから再び驚きの声があがった。

「解説不能です・・・」(木村)

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4図からの指し手

▲5四金 △3三金⑤▲4四歩⑧△4五桂 ▲4八金 △7九角成▲5五金 △5三桂 (5図)

△2二玉の意味

△2二玉(4図)の意味について三浦は次のように語ってくれた。第一には、いずれ桂を渡すような攻撃を仕掛けるので▲4四桂を今のうちに回避する、第二には▲5四金からの攻めが見えているので当たりから遠ざかる、第三には角を7七に引いてもらった方が負担が少ない。今のうちに逃げておいて損はないという判断だ。その効果は徐々に表れてくる。

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5図からの指し手

▲4三歩成⑩△同金上 ▲4六歩 △7八馬⑥ ▲7七飛 △同 馬 ▲同 角 △6七飛

(6図)

形勢開く

森下は▲4三歩成から桂を奪いにいく。△5四歩と打たれても▲4五金以下桂2枚と交換する算段だが、ここでは、感想戦で木村が指摘した▲5四金と戻るのが本筋だったようだ。後手の飛車の横利きが遮断されているのが大きい。

また、森下が悔やんだのは△7八馬に対する▲7七飛。△6七飛(6図)を見落としていたのだった。

「飛車を取られた後の形は悪いですが▲5八金と指すべきでした」(森下)

ここから形勢は急速に三浦に傾いていく。

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6図からの指し手

▲6八角打△7六歩 ▲8六角 △8五歩 ▲5八金 △6六飛成▲6三歩成△8六歩 ▲5三と △同 飛⑧▲4五歩 △7七歩成 ▲4六角 △6九竜 ▲2五桂 △3九角 ▲3七玉 △6七と ▲4八金 △2四歩 ▲3三桂成△同 桂⑨▲4九金打△4八角成 (7図)

隠居した飛車の復活

角取りと△5七桂成を同時に見せられているので▲6八角打の一手だが△7六歩以下、角は取られてしまう。▲5三とのところ▲7二とや▲6二とは手抜きをされる。しかし▲5三とも隠居していた飛車を復活させるので痛し痒し。

▲2五桂からの攻めも△2四歩と催促され△3三桂までが攻撃に参加してきた。こうなってみると△2二玉には妙な安定感がある。

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7図からの指し手

▲同 玉 △5七金 ▲同 角 △同 と ▲同 玉 △5五飛 ▲同 歩 △4五桂 (投了図)

まで、134手で三浦八段の勝ち

三浦、準決勝へ進出

△4八角成(7図)を▲同金は△1九竜がある。投了図以下は▲5六玉なら△7八角▲4六玉△5四桂▲同歩△6六竜▲5六金△5五金まで。▲4六玉なら△6六竜▲5六桂△5七角▲4五玉△3三桂まで。

「森下さんの大局観が素晴らしかったが、最後は三浦さんが勝ちきった」(木村)

ファンへの想い

昨年9月の将棋ペンクラブ大賞贈呈式でのこと。翌週に竜王戦挑戦者決定戦を控えた三浦が、著作技術賞を受賞した兄弟子である藤井猛九段のお祝いに駆けつけていた。(木村も同様に大賞を受賞した姉弟子の中井広恵女流六段のお祝いに駆けつけ、面白い祝辞が述べられた)

会場には女流棋士による指導対局コーナーがあり来場した将棋ファンの人気を博していたのだが、そこに三浦が飛入り参加した。予定されていなかったA級棋士から指導対局を受けたファンは感激してしまう。

「ファンの方が喜ぶ将棋を指したいんですが、プロは相手の狙いをはずし合うことが多くて……」と終局後に語る三浦。

不器用で将棋一途なイメージの三浦だが、その根底には暖かさが流れている。

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