1990年代後半のエッセイでは、佐藤康光八段(当時)がネタになることが多かった。
先崎学八段の2001年に刊行されたエッセイ集「フフフの歩」より。
二月某日
都内某所で佐藤康光君に会う。僕はもちろんのこと、珍しく、彼も酒が入っていていい気持ちのようである。肌つやも良く、とにかく颯爽としている。一昔前の言葉でいえば、ヤン・エグ(ヤング・エグゼクティブの略)御曹司の風格がある。あまりに品がいいのでついからかいたくなる。
「いやあ佐藤モテ光君、元気かい」
「なんですか、そのモテミツってのは」
「とぼけても無駄だよ、最近、モテているらしいじゃない」
「はあ、どこでそんな噂が・・・」
「どこでもここでも、そこらじゅう君の噂でもちきりだよ」
こういうことは大ゲサにいうに限る。
「はあ、そうですか」
「いいねえ、モテミツ君」
いつもならそろそろ体じゅうで動揺して怒り出すところなのだが、今日のモテミツ君は違った。頭をポリポリ掻きながらニッコリ笑っていった一言にはおもわずのけぞった。
「はあ、たしかに、今は先チャンよりもモテるかもしれませんね」
なんでも、昔は、先崎のほうがモテたが、今ではそれが逆転して、彼の方がモテるらしいのである。
判定すんなよそんなもんと思ったが、つい謙遜の気持ちが出た。
「そうね、俺も最近そんなにモテないしなあ」
「はあ、まずは体型から変えられたらいかがですか」
「体型?」
「先チャンも、このお腹を、もう少しお引っ込めになられると、おモテになると思いますよ」
僕は口から泡こそ出さなかったもののその場に倒れた。なにかおモテにだ。からかう予定がここまで完膚なきまでにからかわれるとは。
それにしてもあの慇懃な言い方はこたえた。
帰って風呂に入っていると、どうしても視線が下にいってしまう。見るまい、意識するまいと思えば思うほど、がっくりと首はうなだれ、必然的にお腹に目がいくのである。タメ息が出る。一人の夜、風呂の中で、腹の肉をつまんでタメ息をつく二十六歳の男のなんとむなしいことよ。
後日、この話を佐藤君にすると、必死になって「書かないで下さい」といわれた。あまりに懇願するので、書くつもりはなかったのだが、つい書きたくなってしまった。佐藤君も中学生の頃は、記録で学校を休む度に「学校やすみつ君」とからかわれていたが、出世したものである。
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この年の年末、佐藤康光八段(当時)がこの仇を討つ。
それについては明日の記事で。