「彼とは何れタイトル戦で戦うことになる」と感じた谷川浩司名人(当時)。
その彼である羽生善治竜王(当時)との真っ向勝負が行われることになる。
この時、谷川名人27歳、羽生竜王19歳。
将棋マガジン1990年5月号、谷川浩司名人による全日本プロトーナメント決勝三番勝負第1局自戦記「長い戦いのスタート」より。
一年前
全日本プロトーナメント、決勝三番勝負第一局、東京羽沢ガーデン、相手は十代―。
時期は一ヵ月程遅れているが、昨年と同じ状況である。
一年前の事は、今でもはっきりと覚えている。
慌てて家を出たのでコートを忘れ空港で買った事、対局室の暖房が利き過ぎて、少々イライラした事。負かされた後、谷山浩子さんらと飲みに行って、「チャンピオン」というあまりにピッタリの曲を歌った事。飲み過ぎて、翌日朝の航空券をキャンセルした事。
あの時、東京へ発つ飛行機では、隣に少女が座っていた。
彼女が参考書を開いていた事から受験と判り、少し話をしたのだが、明日の相手が彼女と同年齢である事にあらためて気付き、愕然としたものである。
今年、私の隣に座ったのは二人の若い女性だった。
はしゃいだ様子を見ると今度は旅行のようである。
明日は、旅行気分で楽しく将棋が指せるだろうか。
彼女らの会話をぼんやり聞きながら、私はそんな事を考えていた。
気持ちの差
一年前とはどこが違うのだろうか。
まず相手の実力。これは、森内四段には悪いが、羽生竜王の方が上と言わざるを得ない。
私の調子。これは今年の方が調子が良さそうである。
一番大きなのは気持ちの差である。
昨年は名人対四段。勝たなければいけない、で縛られていた。
だが、今年は名人対竜王。結果を気にせずに伸び伸び指せる。
ただ、一つ気になっていたのは対局数の不足である。
(中略)
羽生竜王の調子
三番勝負に備えて、「竜王、羽生善治。」で彼の全棋譜をあらためて並べてみた。
いや強いこと強いこと。
並べても並べても、羽生勝ちの棋譜ばかりである。
谷川全集の棋譜を並べると三局に一局負け将棋が出てくるが、羽生全集は四局半に一局。この差は大きい。
但しその彼も、今年に入ってからつまり竜王になってからは、少々負けが込んでいる。
1月と2月の棋譜を並べて、研究の最後とした。
(以下略)
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朝日新聞の全日本プロトーナメントは1982年度に開始され、1987年度までの6回中4回、谷川浩司名人が優勝していた。
谷川名人が受験生の少女の隣の席に座った前年の1988年度(対局は1989年)は、谷川浩司名人(26歳)と森内俊之四段(18歳)による決勝三番勝負。
結果は、森内四段が2勝1敗で優勝している。
余談になるが、この時の全日本プロトーナメント決勝三番勝負第1局には有名なエピソードがある。
東公平さんの「升田幸三物語」より。
思い出すのは森内俊之四段と谷川浩司名人が決勝三番勝負をやり森内が勝った時(平成元年二月十日)のこと。だまって継ぎ盤を眺めていた升田は森内の勝ちとにらみ、「名人がC級2組に負けちゃいかん」の一言を残し帰ってしまった。対局者とは顔は合わせなかったが升田は、十八歳の新人森内が、昔親しかった京須行男八段の孫であることを知っていて、応援の気持ちで来たのだったと思う。
谷川名人は「明日は旅行気分で楽しく指せるだろうか」と書いているが、1年前の苦杯を喫した時の気分を一新して対局に臨みたいという気持ちの表れなのだろう。
この期の全日本プロトーナメントは、谷川名人が先勝したものの、その後2連敗して、羽生竜王が優勝している。
全日本プロトーナメント後の名人戦で、谷川名人は中原誠棋聖に敗れて名人を失冠するが、その年の竜王戦で、谷川王位・王座は羽生竜王から竜王位を奪取することになる。
それにしても上記の自戦記では、谷川名人の、十代棋士に対する微妙で揺れる思いが正直に描かれていると思う。