将棋世界1999年12月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。
世間では不況のあおりでリストラの嵐が吹いているが、将棋界では奨励会の頃から、それとは違うが試練を受けている。まず入会の時点から集まってくるのは全国で有数の実力をもった少年達であり、第一次試験で受験者同士が戦い淘汰され、そこをくぐり抜けても第二次では鬼教官のごとき先輩奨励会員が、さあいらっしゃい白星を稼がせてもらいましょうと手ぐすね引いて待ち構えている。
受験日は5級以下の会員にとっての苅り入れ時なのだ。多くの受験生がここで涙をのむ羽目になる。学校と違って将棋界はひとつしかないので滑り止めを受けておくことはできず、落第すれば翌年まで浪人が確実となってしまう。
実力と運とを兼ね備えた少年だけが首尾よく入会できる。成績が一目瞭然なのだから云うまでもなく裏口入学のような不正はあり得ない。もっとも私が入会した35年前は現在の少年達と較べてレベルがいまひとつであり、奨励会員の数も少なかったので幹事のサジ加減といった趣も少々あったようだ。
(中略)
ともかくそうした難関をくぐり抜けて合格したとしても、そこで手離しで喜んではいられない。あらたなスタート地点に立ったに過ぎないのだから。奨励会員には年齢制限という退会規定が設けられているからだ。
これが時代により多少の変動はあるが現在は23歳の誕生日までに初段になれなければ退会、そして最終チェックポイントである三段リーグでは26歳までに四段に昇段できなければ退会という大変きびしいものである。細かい内規はあるものの概要はそうなっている。
しかもこの世界のユニークなところはすべての格付けが年齢は関係なく、段級位の高低による実力であるから、学校のように同年齢が同じクラスということはなく世代がバラバラになっている。
例えば前期の三段リーグでは最年少の渡邊明君は15歳、最年長の庄司俊之君は31歳、その差16歳である。或る年齢を超えればこれくらいの差は何ということもないが、少年時代ではまるで大人と子供の開きがある。
若年で出世の早い少年はどうしても遠巻きにされてしまうから孤独であろう。加藤一二三、中原誠、谷川浩司には思い当たるふしがあるのではないか、羽生善治の世代は俊英が輩出したためそれほどではなかったにせよ共通した境遇ではあったはずだ。
これらの少年達を取りまとめる役目が奨励会幹事で現在は飯野健二七段と豊川孝弘五段がその任に就いている。
今、学級崩壊が大きな社会問題として取り上げられているが、こちらも大変でこれほどの年齢差のある者達を監督、指導、教育していかなければならないのだから並大抵のことではない。
監督、指導はある程度可能でも教育となるとこれは本質的に不可能かもしれない、子供といえどもそれなりの判断力でもって大人を見ているのだから、教育する側の人格に問題があっては子供がそれに従いはしないだろう。反面教師になるだけだ。
将棋連盟を直接運営していく会長以下理事の方々の役割が重要なのは論をまたないが、将棋界といえども人間社会の一員であることは間違いないのであるから、将棋だけは強いが社会性ゼロという棋士が余り多くなっては大ごとだ。
未来の棋士を直接育てていく奨励会幹事の役割は見ようによっては役員よりもこれからの将棋界に与える影響は大きいかもしれない。あまり云って、両幹事の負担になってはいけない、ここは内藤先生の言葉を拝借して「のびのび、しみじみ」とやってください。
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今月はその豊川幹事との一局を御紹介する。豊川は声も大きく言葉もきびきびとしていて熱血教官と評判らしい。
40代以上の方なら記憶にあるかもしれない昔のテレビドラマ「青春とはなんだ」の夏木陽介や「これが青春だ」の竜雷太を御想像ください。豊川が熱血ならば、もう一人の幹事飯野は冷静で言動もソフトである。それでバランスが取れるのであろう。
私も若い頃、22歳から2年程幹事を務めた経験があるが、若さゆえの情熱が勢い余ってガミガミと頭ごなしにやっていたから奨励会員は辟易としていたようだが、正幹事の故松田茂役九段が彼らを優しく包んでいたようだ。
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「青春とはなんだ」は、1965年から1966年にかけて日本テレビ系日曜20時に放送された同名の石原慎太郎さんの小説を原作とした青春ドラマ。
アメリカ帰りの主人公(夏木陽介)が田舎町の高校の英語教師に就任し、ラグビーを通じて生徒たちと心の交流、人間教育を展開していくという展開。
「これが青春だ」は「青春とはなんだ」の後番組で1966年から1967年にかけて放送された。
ロンドンでの留学経験がある主人公(竜雷太)が田舎町の高校の英語教師に就任し、劣等生ばかりのクラス担任を務める。そしてサッカーを通じて生徒たちに人間教育を説き、心と心のふれあいを図っていくという展開。
いわゆる、海に向かって「バカヤロー」と叫んだり、不良生徒が外見は変わらないけれどもどんどんいい奴に変わっていったり、エンディングで海岸を夕陽に向かって走っていく先生と生徒、のようなフレームワークの元祖となるドラマだ。
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実は、私はこれらのドラマはリアルタイムであまり見た記憶がない。
6歳上の姉(年齢でいうと真部一男九段と同学年)は見たかったようで、私はNHKの大河ドラマ(その当時は「太閤記」、「源義経」)を見たくて、姉弟喧嘩になったものだが、母が迷わず大河ドラマを観るべしと裁定を下して、いつも望み通り大河ドラマを見ることができていた。
今思えば、姉には少し申し訳ないことをしていたような感じがする。