将棋世界2001年4月号、日浦一郎七段(当時)の「今月の眼 関東」より。
3年ほど前のことである。千駄ヶ谷の将棋会館にいた僕は髪の毛を切りたくなって近くの床屋を探した。見つかったのは築40年はたっていそうな古ぼけた木造の建物で僕はそこに入る事にした。
ドアを開けてびっくり。中は真っ暗、電気がついていない。一瞬今日は休みなのかと思ったのだが、よくみると中には60歳位のおじいさんが長いすに座り黙って新聞を読んでいる。入ってきた僕に気がつくと、やれやれといった表情で面倒くさそうに立ち上がり、電気をつけ黙ったまま準備を始めた。店の中も外見に劣らず古ぼけていて、掃除もしていないのかテーブルの上にほこりがたまっている。どうも全体的にやる気がなさそうなのである。僕の座った席はすぐ近くに水槽が置いてあったのだが、中の水はほとんど替えていないのか緑色に汚れていて、よおくみると熱帯魚が一匹腹を上にして浮かんでいる。結局おじいさんは最後まで何も言わず、自分の仕事が終わり僕から料金を受け取るとさっさとまた長いすに座って新聞を読み始めた。あれからその床屋には行っていないのだが今でもその店はあるのだろうか。
(以下略)
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真っ暗な店内、電気もつけずに新聞を読んでいるというのが不思議だ。
楳図かずおさんの漫画ならば、おじいさんは実は安達ヶ原の鬼婆か半魚人かへび女で、髪を切っている最中に日浦一郎七段(当時)を食べようと襲ってくる、
つのだじろうさんの漫画なら、おじいさんには古武士の霊または動物霊が取り憑いており、それを見た日浦七段はおじいさんを助けるべくカリスマ霊能者に相談をする、
能の世界ならば、おじいさんは生き別れた妻を300年待ち続ける幽霊で、翌日日浦七段が店を探すと、そこには朽ち果てた古井戸があるだけだった、
のような展開となるだろう。
普通に考えれば、、やはり不思議な話だ。
というか、千駄ヶ谷といえば村上春樹さんが行きつけの理容店(ナカ理容室…棋士もたくさん行っていたという)などがあったわけなので、そのような中、わざわざそのような店へ入っていった日浦八段もすごい。