将棋世界1982年5月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。
その囲碁で2日制に挑んだのが、いまをときめく中原誠名人と加藤一二三十段の両タイトルホルダーだった。
ともに将棋界では、お世辞にも”打ち手”とはいえない。「まだ、見たことはないけど、いい勝負ではないの?」と予想屋よろしくヤジ馬精神を発揮したのは、大山康晴王将だった。
その夢のカードが実現したのは、そう古いことではなかった。場所が秋田市というのも、どこかノンビリしていていい。
「みちのく将棋まつり」に二人は飛んだ。普通では考えられないが、地方のこと、二人のタイトル者はホテルの同じ部屋に入れられてしまった。ともに、あまり酒を呑まない。もて余し気味の二人が思いついたのは、囲碁を打つことであった。
中原からその話を聞いたのは、王位の就位式のあとのパーティーの席だった。私だけではもの足りないと思ったのか、作家の石堂淑朗氏や、弟弟子の田中寅彦六段、大島映二四段らを誘い込んで話しはじめた。
「加藤さんは、滅多に碁を打たない人、それに”長い”のは知っていました。でも、手合いはいいところだと思っていました。だから『一局……』と誘ってみたんです」
本人の予想(?)どおりいい勝負だったらしい。しかし長考派の加藤は、囲碁でも長考を繰り返す。しんしんと冷える夜、秋田での対決はすさまじいものになっていったと考えざるをえない。
気まじめな加藤は、序盤からじっくりと考える。「将棋と同じように、長考の連続なんですよ。困っているんだけど、こっちもつられて、ついつい長考をしてしまうんです」
後輩の中原が黒石を持っていたが、いい勝負だったらしい。打っては考え、2、30分の長考は当たり前。いつの間にか深夜になっていた。眠気を覚えてきた中原が、こらえきれずに言った。
「そろそろ、打ち掛けにして、あしたまた打ち継ぎましょう」
そして、中盤を迎えたばかりの碁盤の上に「紙を乗っけて、中断したんですよ」と中原はみんなに説明するが、二人だけの部屋、誰も石をいじくる心配がないのに、どうして紙を乗せて打ち掛けにしたのか?二人の心理が私らにはよく理解できない。
翌朝も将棋まつりのはじまる前に2時間ほど打ち継いで、合わせて4時間にも及ぶ大勝負となったようだ。
(中略)
「それで結果は?」と石堂氏、中原は”よく聞いてくれました”とばかり頬をゆるめて「ほんのちょっとだけ、私が勝ちました」とみんなを見回したものだ。石堂氏は、ここでちょっとふざけて「その碁譜を見たいものですな」とからかい気味に言ったが、中原「いやいや、人に見せられるような碁ではないですよ」と逃げの一手。
(以下略)
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中原誠名人と加藤一二三十段(当時)。
二人で居酒屋へ行って、その後、興が乗ればスナックか現在でいうキャバクラのような店へ、という展開は考えられない。
二人でボウリングも考えられない。二人の共通の趣味はクラシック音楽だが、ホテルの部屋で二人でクラシック音楽を聴くのも何かが変だ。
二人で将棋を指すわけにもいかないし、二人で囲碁というのはごく自然な流れだったのだろう。
中原誠名人も加藤一二三十段も、それはそれで、結構楽しかったに違いない。
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とはいえ、やはり一般的には、このような時に酒というものは便利だと思う。