将棋世界2002年1月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。
4図以下の指し手
▲9七歩△3五歩▲同角△9七香成▲同香△同角成▲同桂△9六歩▲9八歩△3四香▲4五桂△3五香▲3三桂成△同金寄▲3五銀△3四歩(5図)▲9七歩は至当だが、そこで△3五歩が升田かねてのネライであった。
▲同角と取らせ、△9七香成と突撃し角をも切って返す刀で△3四香が一連の読み筋。このような荒技で局面を自らの意志で造ってゆくのが升田将棋の特長である。だがこれは、大山にとっても読みの中で、▲4五桂の軽手で切り返す。対して△同歩もあるが、▲7一角成△3六香▲8三角△9七歩成▲同歩△4二飛▲7四角成となって、これは自玉も安全だが敵玉も見えなくなり、升田の好む行き方ではない。
派手なやり取りがあり5図。
ここが本局の流れを決める重大なポイントであった。銀の始末をどうするか。
- ▲2四銀と吶喊し△同歩▲同歩と玉頭に迫る。
- ▲3四同銀△同金▲3七香と歩切れにつけ込む。
- 駒得を生かし▲2六銀と収める。
さあ大山の次の一手は?
5図以下の指し手
▲2六銀△4七角▲2八飛△6九角成▲6八金引△4七馬▲8三角(中略)
▲2六銀は拍子抜けのようだが、これぞ大山の将棋観、ひいては人生観にもつながる一手だと思う。駒得という確実な利に絶対の信を置き、必ず相手の攻めを余して見せるという自信の表れでもあろう。本局ではそれが裏目に出たが、大山はこうした行き方で長い間、天下を平定したのであった。升田は自分ならば▲2四銀と指すと述べていた。
(以下略)
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1957年第16期名人戦第1局、大山康晴名人-升田幸三王将・九段戦。
本局は、終盤に升田王将・九段に見落としが出るものの大事には至らず、升田王将・九段が勝っている。
この七番勝負を制して、升田幸三三冠王の誕生となる。
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真部一男八段(当時)が書いている「荒技で局面を自らの意志で造ってゆくのが升田将棋の特長」が、非常に端的に升田将棋を言い表している。
1971年の名人戦第3局で指された天来の絶妙手△3五銀に至る手順などはその典型例だ。
△3五歩~△9七香成~△9七同角成~△9六歩~△3四香が、大きな構想を描いたうえでの仕掛けだと、見ているだけで感じ取れる。
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対する大山康晴名人の5図からの▲2六銀。
私なら▲2四銀も▲3四同銀も思い浮かばないので▲2六銀と下がるしかないが、プロ的には拍子抜けのように感じる手。
休日の前の夜の銀座。憧れている女性と一緒に楽しく飲んでいて、その女性から「もう一軒、六本木に飲みに行こうよ」と誘われたものの、「いや、今日はこれからブログを書かなきゃいけないから」と家に帰ってしまうような展開。
升田将棋なら「これから熱海に行って、朝日を見ながら酒を飲もう」になるだろう。
大山流の▲2六銀と升田流の▲2四銀の対比が面白い。