将棋ジャーナル1983年10月号、才谷梅太郎さんの「棋界遊歩道」より。
今回は巨匠の話をしたいと思う。
巨匠といえば、読者は何人かのつよーい棋士を思い浮かべるだろうが、まずトップバッターは鬼才升田幸三元名人。
もうだいぶ前のことだが、升田先生、某テレビ局の時代劇に、特別出演したことがあった。
役柄は将棋のめっぽう強い剣術家。その出で立ちはというと、普段の着物姿に刀の大小を腰に刺したもの。むろん頭髪は、いつものままで、何も手をつけていない。
つまり、テレビ等で見かける升田先生が刀を差しているだけ、ということになる。
これだけで、バッチリ絵になるのだから、さすがに千両役者だ。
場面は昔々の元禄時代。時の将棋名人、大橋某に対し実力では明らかに上であると、自他ともに認めている、上田ナニガシという棋客がいた。
その上田某が、チャンバラトリオ演ずるところの大道詰将棋屋を相手に、繰り出す難問を解きはなち、飄然と去っていく。
香具師が唖然と見送るところに、目付きの鋭い二本刺しが現れ、野太い声を浴びせかけた。
「あまえたちの相手ではないワ」
お待ちかね、升田先生の登場である。
ここまでは台本通りだったが、これだけでは物足りなかったのか升田先生、去り際にもうヒトコトつけ加えた。
「バカヤロウ!」
これには居並ぶ役者たちも度肝を抜かれた。ただ呆然と見送る中、升田先生は意気揚々と立ち去っていく。
またドラマの終盤で、升田先生が居酒屋の中において、五合枡になみなみと注がれた酒を、一気に呑み干すシーンがあった。
ふつうこのような場合、酒の代わりに水が入っているのが常識である。しかし、天下の升田先生の酒好きは有名だ。スタッフ一同で合議の結果、本物の酒を呑んでもらおう、ということになった。
これを聞いた升田先生、おおいに喜んだ。なにしろ日本酒とは、小学生の頃からの付き合いだから。
さて、問題の居酒屋のカットである。
狭くて薄暗い、縄暖簾の中。客は町人風の男が2、3人と、升田先生演ずるところの「吉田一歩」なる謎の武士が一人。
あとは、店の女将に小娘が一人という情景である。
それらの人々が、一歩を心の師と崇め、いろいろと質問を重ねている。やれ「先生、人生の苦しみとは何でしょう」とか、「女とはなんでしょう」などと。
こんな問いに、それぞれ簡明適切に答えていた升田先生、最後にドラマの大トリともいうべき、ワンカットに取り掛かる。
問題のシーンは、台本では次のように進むはずであった。
諸々の会話の後、一瞬ではあるが話が途切れ、静寂が流れる。やや間をおいたあと、一歩はおもむろに五合枡を手にして、こう言い放つのである。
「わしの名は一歩じゃが、呑みっぷりは王将だ」
そして、一気に五合枡を呑み干す、となるはずであった。
ところが実際に升田先生が演じたものは、これとは少し違っていた。
そのシーンを再現してみよう。
おもむろに五合枡を手にするまでは、まったく問題はおこらなかった。ところが吉田一歩は、次にこう言い放ってしまったのだ。
「ヤク(役)の名は一歩じゃが…」
むろんNGである。しかしスタッフが慌てて止めに入ったときは、時すでに遅く五合の酒はすべて升田先生の腹の中におさまっていた。
撮り直しでも、升田先生のご要望により、枡の中身は正真正銘の生酒がいっぱい。
「今度は呑めるかな」というスタッフの心配をよそに、一歩は見事な呑みっぷりを見せて、関係者をホッとさせた。
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升田幸三実力制第四代名人は、子供の頃は剣豪になることを夢見ていた。また、大人になってからも観る映画は時代劇ばかりだったという。
そういう意味でも、この時代劇には喜んで出演したのかもしれない。
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いろいろと調べてみると、この時代劇はフジテレビ系『けんか安兵衛』で松方弘樹さんが主演。
1975年4月から10月まで、火曜日の22:00から22:55まで放送されていた。
升田幸三九段(当時)が登場したのは第17話「待ったなし」で、ゲスト出演は升田九段、長門勇さん、藤岡重慶さん。
長門勇さんがいろいろと被害を受ける人のいい侍、藤岡重慶さんが悪役、と想像できるキャスティングだが、この回のあらすじは見つからない。
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この時の写真が、将棋マガジン1994年4月号、東公平さんの「升田幸三物語」で掲載されている。
升田九段がそのまま江戸時代に出てきたような雰囲気。
逆に言えば、普段の升田九段の迫力が相当なものであったことを物語っている。
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一気に五合枡の酒を飲み干す升田九段。
この番組は関西テレビ制作で、スポンサーは小西酒造の1社提供だった。
「山は富士なら酒は白雪」という井沢八郎さんの歌が流れる小西酒造のCMをを覚えておられる方も多いだろう。
Wikipediaを見てみると、小西酒造1社提供の番組では、
障子を開けると「白雪」の菰樽が現れ、「白雪劇場」のタイトル。樽酒を枡に注いで一滴。「提供 小西酒造」の文字。「この番組は“山は富士、酒は白雪”でおなじみの小西酒造の提供でお送りします」のナレーション
がオープニングであったという。
たしかに、樽の栓を抜いて枡に日本酒がトクトクトクと注がれ、栓を閉めて、そして最後に一滴だけ枡に落ちる、というのを見た記憶がある。
とすると、五合枡の酒を飲み干す升田九段のシーンは、このオープニングの枡酒を大いに連想させるものであり、制作サイドもぜひ入れたかった場面に違いない。
もちろん、枡の中の酒は「白雪」。