将棋世界2004年11月号、弦巻勝さんの「あの日、あの時。あの棋士と」より。
タイトル戦を撮影して30年ほどになると思う。わずかな時間の中で集中しているところを撮影するのは、場の空気と同化しなくてはならない。長い時間対局室に居ると此の空気が熔ける。
だから3分くらいが限度だろう。渓流の岩魚釣りの心境か。
初めて対局室に入るとだれでも自然に正座すると思う。正座していては写真が撮れない、だから最低限度の動きで頭の中で絵を選ぶ。
対局者に、その動きを目で追われるようではプロではない。それは目障りなのである。
大山先生に言われた。
「あんた、廊下を抜き足差し足で入ってくるけど、こっちは誰が入ってくるのか考えちゃうから困るの、すたすた来なさいよ、そうすればあんただと解るから…」だからと言って雑な動きでは対局者の頭の中にカメラマンの動きが刺さってしまい、読みに集中する姿は撮れない。自然に、全てを受け止め、場の空気を散らかさないで撮る。棋士の心模様を受け止める、口で言うのは簡単だが、今でもまだ対局室に入る前にどきどきする。
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○○さんは対局中に写真を撮っても良い、と誰かが正式に決めてくれているわけではない。
自然に、自然に、○○さんなら対局中に写真を撮っても良い、という雰囲気が棋士の間で醸成されるもの。
弦巻勝さんも最初の頃の苦労を経て、棋士からの絶大な信頼を得るようになっている。
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対局室は全くの異世界。
弦巻勝さんや中野英伴さんや炬口勝弘さんに代表される写真家は、対局室で、忍者のごとく、あるいは熊撃ちのマタギのごとく気配を消す。
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「あんた、廊下を抜き足差し足で入ってくるけど、こっちは誰が入ってくるのか考えちゃうから困るの、すたすた来なさいよ、そうすればあんただと解るから…」
対局中の棋士は、聞き慣れた音なら気にしないが、得体の知れない音には敏感になるもの。
大山康晴十五世名人の言葉は、そのことを端的に表現している。