近代将棋1982年4月号、原田泰夫八段(当時)の「棋談あれこれ」より。
棋王戦は共同通信社が東京でお世話役をして、地方の有力社が支えて掲載している。地方社の中では原田の郷里の新潟日報社が、毎年第3局を新潟市で設営、立会解説役にあてて下さる。
第3局、3月5日、新潟市「室長」旅館。
4日前夜祭は大和デパートで。森安八段は大阪から、原田は羽田から飛行機で、米長棋王は月岡温泉で一泊静養の由。月岡はなつかしい、昭和19年、両雄が生れない前に原田兵卒は新発田連隊へ、月岡方面へ行軍、かけ足で鍛えられた。農村漁村の同年兵にはとてもかなわない。田舎青年は身体の出来が違う。
軍隊は強者を標準にするので、将棋四段は「アゴ出し原田」上官、戦友がかばって下さった。そんな昔しを想い出した。
米長「新潟では勝ったことがありません。明日はなんとか―」
森安「関西から棋王戦の挑戦は初めてなので、なんとか―明日の作戦ですが、7六歩なら3四歩と角道を突きます」
米長さわやか流の挨拶、話しのうまさは定評がある。森安八段も実に楽しい話しであった。原田はこの際、森安流に別名を呈したかった。とっさの思いつきで「七転八起流、だるま流」はいかがと提唱したら拍手があった。森安八段も「だるま流はいいですね」とご満悦の顔であった。達磨は愛嬌があり強い。
全棋士中、一、二の人気者の米長さわやか流のことは誰もが知っている。森安だるま流は新潟は初めて、ファンも初対面。「いい男、いい感じの先生」と好評。将棋が強くても人間を嫌われては困るが、共に皆さんに愛されていた。
将棋は7六歩 3四歩 6六歩 3五歩の出だし、後手番の森安だるま流の三間飛車、米長さわやか流の6、7筋位どり戦法。中盤では僅かながら「だるま流、さしやすし」の感じがした。飛車の小びんと、玉の小びんに手をつける面白い場面で、米長棋王が奇術の如き手順の妙を示して一挙に有利になった。七転八起の粘りがきかない局面、森安だるま流の無念を察した。何か、見落しがあったようだ。
過去、新潟場所では3戦3敗だった棋王が会心の逆襲で快勝、ご気嫌であった。大盤解説は大和デパート「出会いの広場」で、存分に弁じた。この模様を、「話かご」、「窓」欄で2回もほめていただいた。大満員の会場が浮かび好意的ファンと新潟日報社に厚くお礼を申し上げたい。棋王戦もなかなかの人気で結構である。
○「第1回アマ女流棋聖戦」は3月14日、箱根の「彫刻の森ホテル」で行なわれた。本部とサンケイ新聞社の共作、コーセー化粧品会社協賛。箱根在住ファンは善人で奉仕精神が強い。2月に「箱根名人戦」の世話をして、一ヵ月後にまたまた準備をして下さった。
将棋道の普及は有力ファンの善意で、どれほど盛んになっていることか、箱根と形は違うが各地で各種の催しが続いている。
総平手。4番戦。A、B級とも点数制。午前1時から午後4時まで。閉会は午後5時。”待ったはしないように。二歩、二手、王手を忘れた場合は、悪意なき過失とみて許しあう。淑女的、いい想い出の将棋会”を申し合わせて開始、あと味のいい、はなやかな棋会。原田、蛸島女流名人、多田二段が指導将棋、中井広恵嬢も出席。大広間で約30人が熱戦を演じた。
優勝は群馬県太田市の山田久美さん、15歳、市立宝泉中3年が優勝「アマ女流棋聖」を獲得、後日、二上棋聖と二枚落の対局がある。山田さんと平手でお相手、林葉嬢、中井嬢にも劣らない棋才を感じた。西村七段門下になるという。立派な先生に学び、近い将来の女流名人、王将も決して夢ではない。しとやか流の美少女に幸あれ。
サンケイ本社の福本担当は今秋に関西将棋会館でも「アマ女流棋聖戦」を開催して、東西決戦で盛りあげたい由、まことに結構な読み筋である。彫刻の森ホテルはサンケイグループ、将棋会の後「わたしたちは、ゆっくり泊まって温泉に入ったり、将棋を楽しんだりして行きます」人生を楽しむ令夫人たち、箱根ファンには、あの山、あの緑、鳥のさえずりが聞こえてくる。
(以下略)
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森安秀光八段(当時)が「だるま流」と呈された瞬間と山田久美アマ(当時)の将棋界デビュー直前の頃。
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将棋のアマ女流棋聖戦をネットで調べても何も出てこない。この記事を書けば、いずれはGoogleなどで検索できるようになるだろう。
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アマ女流棋聖戦に協賛のコーセー化粧品(現在の株式会社コーセー)は原田泰夫九段が稽古を行っていた会社。
株式会社コーセーに将棋ペンクラブ大賞の協賛をしていただいているが、これも将棋ペンクラブ名誉会長だった原田泰夫九段とのご縁によるもの。有り難いお話だ。
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「明日の作戦ですが、▲7六歩なら△3四歩と角道を突きます」
森安秀光八段(当時)は振り飛車党なので、後手番なら2手目は△3四歩以外考えられないのだが、作戦をこのように表現するのも面白い。