「振飛車」の表記が「振り飛車」に変わった時期

昔は「振飛車」と表記されることが多かったのが、最近では「振り飛車」に統一されているように思える。

いつ頃から変わったのか、調べてみた。

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これまでブログを書いてきて、感覚的にこの辺が微妙な時期かなと思った1983年から見てみることにした。

(引用青字が振飛車、赤字が振り飛車)

将棋世界1983年12月号、加藤一二三前名人(当時)の「加藤前名人の勝つ次の一手」より。

 先月の宿題はいかがでしたでしょうか。こうした対振飛車戦の心得は、敵のさばきを押さえながら、少しずつポイントを上げていくことです。

将棋世界1983年12月号、たつの香太さん記の「女流棋士対各界将棋天狗 お手並み拝見」より。

 振飛車に対する右四間飛車はプロ棋士では小堀清一八段が得意にしているが、これは本来、超急戦を目的とする戦法なのである。

将棋世界1983年12月号、「公式棋戦の動き」より。

 初戦で中原に矢倉で快勝した森が、2戦目でも大山の振飛車を居飛車穴グマで破って連勝している。

将棋世界1983年12月号、「新年号予告」より。

 ”振飛車には急戦”故山田道美九段の遺志を継ぐ青野八段が、山田流に改良を加えた振飛車攻略法を堂々公開。

将棋世界1983年12月号、大山康晴十五世名人の「激闘!大山将棋」より。

 3手目の▲9六歩は、ニガ手を意識して私の好きな振り飛車をすべりだしからくずす意味も感じとられた。それでも私はかまわず△4四歩と、好きな振り飛車をめざした。

将棋世界1983年12月号、読売新聞の山田史生記者の「第22期十段戦七番勝負第1局 絶好調桐山、初戦に快勝」より。

 桐山は奨励会時代から四、五段ぐらいまでは居飛車党だったが、それ以降、八段になるまでは専ら振り飛車を愛用、好成績をあげていた。

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1983年は、基本(および編集部)は振飛車で、振り飛車は少数派。

1984年を見てみると、青野照市八段(当時)の新連載「現代に生きる山田流」では振り飛車が使われている。しかし、5月号と9月号は振飛車と、やや混在。それ以外の記事は振飛車中心の1983年と傾向は変わらず。

1985年は、塚田泰明六段(当時)の「ガンバレ振飛車党」の連載が開始され、振り飛車への流れにはまだなっていないことが観測できる。

将棋世界1985年12月号の「公式棋戦の動き」にも、

 1回戦で神谷に勝った武者野はシードの真部と対戦。真部の中飛車に対し、対振飛車はほとんど居飛車穴熊の武者野だが本局は普通の囲い。

とあり、1985年も振飛車が主流。

1986年になって、小林健二七段(当時)の連載「振り飛車で楽勝」が始まった。

2月発売の日本将棋連盟発刊の「必勝!鷺宮定跡」のコピーも”振り飛車破りの決定版”となっている。日本将棋連盟発行の棋書では、これまでは全て振飛車の表記だった。

将棋世界1986年3月号、スポーツニッポンの松村久記者の「王将戦 中原VS中村のNN対決」でも、

 しかし、この振り飛車採用も、変身を図っている中村にしてみれば当然の作戦で、「相手の研究範囲には入らない」と考えた結果なのだ。

と振り飛車の風が吹くかに思えたが、将棋世界1986年5月号、谷川浩司棋王(当時)の自戦記「勢いで勝ち切る」では、

 桐山棋王の局後の感想では、流れを変えるために振飛車は予定だった、とのこと。

将棋世界1986年9月号、中平邦彦さんの「痛恨の一局」では、

 同じ振飛車党で粘っこい森安は大山とよく比較されるが、二人は違っている。

と書かれており、まだ振り飛車が主流になったとは言い難い。「公式棋戦の動き」も振飛車。

とはいえ、将棋世界同じ号、西川慶二五段(当時)の「将棋相談室」では、

 それから振り飛車と将棋のスケールの関係ですが、これは大変難しい問題で一概にいえないのではないかと思います。

将棋世界同じ号、新刊紹介『森安流 力戦四間飛車』では、

 本書は振り飛車党の代表者の一人である著者が、振り飛車退治に居飛車穴熊△6四銀戦法を用いてくる相手を如何に撃退したら良いか、戦い方、勝ち方のコツをわかりやすく解説している。

など、振り飛車の表記が増えてくる。

1987年~1988年は、新しく将棋世界で書き始めた複数のライターは振り飛車の表記。また、文責が編集部の座談会でも、以前は振飛車だったものが振り飛車の表記になっている。

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将棋世界1989年3月号、中平邦彦さんの観戦記「大山振飛車に10代パワーが挑戦・第3弾 村山、会心の指し回し」より。

 この局面、振り飛車党の小阪六段が見て顔をしかめた。「(振り飛車側が)とても勝てる気がしない」という。

中平邦彦さんが振飛車→振り飛車に表記を変えている。”大山振飛車に10代パワーが挑戦”は、記事タイトルのデザイン上、ギリギリの文字数なので振り飛車ではなく振飛車になっている。

「公式棋戦の動き」も、

 振り飛車を得意とする林葉だが、うまく行かないと見るや、サッと転身をはかれるところが勝負強さの一要素といえよう。

と振り飛車が定着。

一方、将棋世界1989年6月号、谷川浩司名人(当時)の「名人の読みと大局観」では、

 もっとも、振飛車にする意図ではなく、△8四歩▲6八銀△6二銀▲7八金で、やはり相矢倉のつもりであろう。

と、振飛車の表記。

この頃は振り飛車冬の時代で、また振り飛車が指されても、中飛車、四間飛車などの戦法名で書かれることが多く、振飛車あるいは振り飛車という用語が誌上に出てくることは意外なほど少なかったものの、1989年になって、明らかに振り飛車の表記のほうが多くなった印象だ。

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1990年12月号、羽生善治竜王(当時)の連載自戦記「一手の罪」より。

 最近、少しずつですが、振り飛車が増えてきたように思います。

 居飛車穴熊の出現で振り飛車党は激減してしまいました。

 それが見直されつつあるのは色々な原因があると思いますが、何と言っても相居飛車の序盤戦術の進歩でしょう。

総合的に見てみると、1986年から(振飛車→振り飛車)に流れが変わりはじめて、1987年~1988年に地固めをして、1989年には振り飛車の表記が主流になったと見て良いだろう。

ちょうど平成になった頃。羽生世代の棋士の活躍が顕著になってきた頃だ。

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谷川浩司九段は、1992年の自戦記は振飛車、1996年の自戦記では振り飛車になっている。

加藤一二三九段も1996年の自戦記では振り飛車の表記になっている。

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ところで、早い段階から「振り飛車」の表記を使っていたのが大山康晴十五世名人。

大山康晴十五世名人が、いつから「振り飛車」としていたのか、手元にある最も古い将棋世界を調べてみた。

将棋世界1971年1月号、大山康晴十段(当時)の「三転、四転、トン死負け」より。

 2連敗した。しかも錯覚したり、攻めの常識を見損じるやらで、さんざんのていたらくである。振り飛車を指しながら、2番もつづけて100手以内で負けたことは、経験がない。

ほかのページは振飛車の表記全盛の頃。

大山十五世名人のこの頃の著書を確認してみると、『快勝大山流振り飛車』(池田書店)、『よくわかる振り飛車』(東京書店)。

弘文社は『大野の振飛車』『升田の振飛車』、大泉書店は加藤一二三八段(当時)『振飛車破り』『力戦振飛車』など、ほかの棋書は振飛車の表記だった時代だ。

大山十五世名人が昔から続けてきた「振り飛車」という表記法が平成になって将棋界に浸透した形となる。

ところで、大山十五世名人は忙しかったので、いつ頃からかはわからないが、奥様にだいたいのことを話して、奥様が原稿をまとめていたという。

棋士が文章を書く時(後編)

もしかすると、振り飛車の表記は、元々は大山十五世名人の奥様流の表記だった可能性もある。

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中原誠十六世名人と米長邦雄永世棋聖と原田泰夫九段も1971年頃の将棋世界で振り飛車の表記を使っている。

同じ頃、升田幸三実力制第四代名人をはじめとする多くの棋士やライターは振飛車の表記。

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近代将棋を見てみると、なんと、手元にある最も古い1973年1月号ですでに全ての表記が振り飛車になっていた。(金子金五郎九段「金子教室」のフリ飛車を除く)

近代将棋1974年7月号、加藤一二三九段の「九段までをふりかえって」では、

 私はそこで、△7七歩と打った。振り飛車陣を攻める常用手段である。

と、かなり後期まで振飛車と表記していた加藤一二三九段までが振り飛車の表記となっている。

加藤一二三九段は原稿をライターに頼んではいないと思われるので、近代将棋編集部で振り飛車の表記に統一していた可能性が高い。

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〔まとめ〕

近代将棋では以前から振り飛車の表記だったが、将棋界全体の流れとしては、1989年、平成に入ってから振り飛車の表記が振飛車の表記よりも多くなった、1990年代半ばには、ほとんどが振り飛車の表記になっている、というのが結論になるだろう。

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「向飛車」がいつ頃から「向かい飛車」の表記になったか、

「腰掛銀」がいつ頃から「腰掛け銀」の表記になったか、

「タテ歩取り」がいつ頃から「ひねり飛車」と呼ばれることの方が多くなったか、

など、全く役に立たないけれども調べ甲斐のあるテーマがいくつかある。

しかし、元号のようにある日を境に一変するようなものでもないので、調べるのに結構手間がかかることも分かった。

今回の(振飛車→振り飛車)で十分過ぎるほど手間を体感することができたので、「向かい飛車」「腰掛け銀」「ひねり飛車」は宝くじでも当たらない限り、手を付けないのではないかと思う。