将棋マガジン1986年4月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。
1月31日
新四段・羽生の前評判はすごい。今日がデビュー戦だが、毎日グラフ、フォーカスが取り上げたのだからたいしたものだ。フォーカス誌に書いてあった。「天才は忘れたころにやってくる」
(中略)
天才羽生がどんな将棋を指しているかといえば、7図。私も近くで対局していたのでときどきのぞいたが、多少無理でもどんどん攻める棋風のようである。宮田は少年相手で指しにくそうに目をそらしている。となりを見ては雑談の相手になってもらおうとしているが、真部と沼は無口なので話がはずまない。もじもじと坐り心地がわるそうにしているが、本当は目の色を変えて戦わなければならないはずだ。宮田は常々、弟子の山内君に、「羽生だけには絶対負けるな」とハッパをかけていた手前というものがある。
話がそれてしまったが、7図の局面で宮田は「この坊やはなにをやってくるんだろう」と思った。▲9八同香と取ったら手がないじゃないか。
ところが、▲9八同香には△4五歩で一歩が手に入る。▲同桂△9七歩は先手負け。それに気がついて宮田は、「指す気がなくなったよ」と苦笑した。
しかし、口ではそう言うものの、けっこう粘って、8図まで進んだ。ここからが見所である。
8図からの指し手
▲7六歩△7九銀▲9二馬△同香▲7九金△同と▲6八玉△7八金▲5八玉△6九角▲4八玉△4六歩▲同銀△3六角成▲3三桂成△同金右▲4一銀(9図)宮田の▲7六歩が策のない手。おそらく敗着であろう。当然▲7五歩△同香▲7六歩と打つべきで、△7九銀なら▲7五歩と取れるからおおちがいだった。
羽生は△7八金と打ち、△6九角と平凡な手で攻める。だが、△3六角成が一手スキでなく、▲4一銀とかけられて逆転かと思われた。ところがここからがしぶとい。
9図からの指し手
△1二玉▲4七銀△4六馬▲同銀△3六桂▲5七玉△2八桂成▲3二銀成△同金▲3四桂(10図)△1二玉の早逃げが常用の手筋。これで先手は駒を渡さずに必至をかける手段がない。羽生は正確にそれを読み切っていた。
ちょうど10図の局面で夕食休み。羽生は外へ出ていった。宮田は対局室に残って盤面を見つめていたが、一息入れてみると、形勢が絶望的なのが判ったらしい。突然記録係を呼びつけて、「もう投げるから羽生君を呼んできてよ」と大声でいった。みんな何事かと集まって来ると、「本当だよ」とまた言った。
結局羽生が見つからず、しぶしぶ宮田は指しつづけることになった。
実はまだ難しいところもある局面なのである。それでいながら宮田があきらめたのは、羽生がしっかり読んでいる気配を感じ取ったからである。もしすこしでも自信なさげのところがあったなら、宮田も粘る気を起こしただろう。
局後の感想戦はこのあたりで終わった。ここまでを見て、なるほど強い、とは思ったが、なにかもう一つ物足りないものを感じた。だからフォーカス誌の取材に「甲子園の優勝投手みたいに完成されていて、荒けずりの魅力がない」という意味のことを言った。同じことを中村や森下がデビューしたときにも言ったような気もする。最近の若手棋士は、勝ち方をよく知っている、という点が共通しているのである。
と、ここで終わりにするつもりだったが、念のためにと終わりまで並べてみて、いっぺんに考えが変わりましたね。とりあえず10図以下の手順を見てください。
10図からの指し手
△3三銀▲7二飛△4八銀▲4七玉△4二歩▲5五歩△4五銀(11図)最後の△4五銀が絶妙。前の△4八銀との組み合わせがにくい。これをキラリと光る手という。
▲4五同銀と取れば、△2七飛▲5六玉△6七飛成▲同玉△5七金まで。
後日、島に会ったとき、「羽生君をどう思う」と訊いてみた。
「みんなたいしたことはない、と言ってますよ」
「あの△4五銀を見ただろ。凄いじゃない」
「いい手ですけどね。あのくらいは……」
プロなら読めて当然というわけか。しかし言葉のはじに対抗意識がちらちらしていておもしろい。
(以下略)
* * * * *
羽生善治四段(当時)の初対局。
「甲子園の優勝投手みたいに完成されていて、荒けずりの魅力がない」
「みんなたいしたことはない、と言ってますよ」
今から見れば非常に意外な感じがするが、当時はこのような雰囲気もあったのだろう。
藤井聡太四段デビューの時とは全く時代が違う、という感じだ。
あるいは、その後の羽生九段の実績が、このような若手棋士誕生の時の過小評価を将棋界から消し去ったのか。