2019年1月将棋関連新刊書籍

2019年1月の将棋関連新刊書籍。

〔2月以降の新刊〕

女流棋士同士の友情

将棋マガジン1986年5月号、中井広恵女流名人(当時)の第8期女流王将戦三番勝負・前哨戦「本音でいこう!」より。

 女流棋士といえば、林葉直子ちゃん。直子ちゃんといえば”なんちゃってアイドル”今や将棋界だけでなく、一般の人達でも知らない人はいないくらい名前がとおっている。目下現役の女流棋士は18人。そのうち10代が6人ですから、まだまだ普及が必要です。

 直子ちゃんとは大の仲良し。週刊誌などにも書かれましたが、すごく指しにくい。でもこれは”たてまえ”の部分だけ。本音をいうと今のところ一番負けたくない相手でもあります。今回はおもいきって本音の部分をお話ししてみようかナーなんて思います。

 最近はあまり感じなくなってきたんですけど、直子ちゃんが初めてタイトルを取った時、一番ライバル意識が強かったですね。取られた蛸島さんより辛かった。というのはちょっとオーバーですが、私にも一応挑戦者の目があっただけに悔しかったです。

 女流名人位も取り、日増しに強くなる直子ちゃんにくらべ日増しに弱くなっていくような気がしたひろべぇ。”絶対に負けない”という自信だけは今よりも強かったんですけどねェ…。実力が伴わなくて…。

 高校に行くのを断念したのも、一つは直子ちゃんから絶対にタイトルを取るゾ!!という気持ちがあったから。仲のいい分、かえって他の人よりも負けたくないんですよね。

 私にも一応、年ごろといわれる時がきて、悩みも増えてきますが、なにしろ女の子の友達が少ないので、相談する相手がいません。でも、直子ちゃんや久美ちゃんには相談する気になれないんですよね。何故って、勝負師ですから他人に弱みをみせたくないわけです。

 私もこの世界に入るまで信じられませんでしたね。自分では割り切ってつきあおう!と思ってるんですけど、やっぱり私情にもでてきてしまう。不思議なもんですね…。ただ心に決めているのは、うそでごまかしたりはしたくない。イヤなことはイヤとはっきり言えるような友達関係でいたいということです。

 そういう部分では本音でつきあっていきたいな。自分でいうのも変だけど、わりとハッキリした性格なんですよね。だから、おせじとかおだてとか大キライ。思ったことを素直に言えたらいいな。

 ただ、時には”自分をかくす”ということも必要なんですよね。

 局面は終盤、今、私がポカを指してしまった。けどまだ相手は考えている。こんな時、素直に顔に出してしまうと相手に見つかってしまいます、ポーカーフェイスですりぬけなければなりません。

 そう考えると、将棋ってただ優劣をあらそうだけじゃなくって、とても複雑になってきますね。

(以下略)

* * * * *

「私にも一応、年ごろといわれる時がきて、悩みも増えてきますが、なにしろ女の子の友達が少ないので、相談する相手がいません。でも、直子ちゃんや久美ちゃんには相談する気になれないんですよね。何故って、勝負師ですから他人に弱みをみせたくないわけです」

同じ会社の社員同士なら、このようなこともないだろうが、勝負師同士となると世界が変わる。

普通の職場とは違うからこそ、将棋の世界は面白い。

林葉直子さんが女流棋士をやめてからは、中井広恵女流六段と林葉さんの友情は、もう一つステージが進展しているのではないかと思う。

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先崎学九段も、棋士同士の友情について書いている。

羽生善治四段と森内俊之四段と先崎学四段の夕食休憩

 

将棋マガジン1986年4月号グラビア、撮影は弦巻勝さん。

 

将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(2019年1月26日)

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一葉の写真

将棋マガジン1986年4月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」に次の写真が掲載されている(撮影は弦巻勝さん)。

羽生善治四段(当時)初対局の日の昼食休憩時の写真。

「昼食休憩時の羽生四段(右)。左は元天才?の先崎初段」とキャプションが付けられている。

将棋マガジン1986年4月号掲載の写真。撮影は弦巻勝さん。

1992年の先崎学五段(当時)の著書「一葉の写真」の”一葉の写真”より。

 忘れもしない。5年前の『将棋マガジン』に一葉の写真が載った。羽生善治新四段と先崎学初段が並んで立っているだけの小さな写真だった。写真には副題がついていた。

<左は元天才?の先崎初段>

 四段と初段というのは普遍的にみても大きな差があるが、羽生と僕の場合は、まがりなりにも両名並び称された時期があっただけに、鬱屈たる思いでこの一行を味わった。

 彼はスターだった。僕にとって羽生善治という名前はスクリーンの向こうの名前だった。この写真が載る少し前から一緒に研究会をやるようになったが、まるで勝てず、盤を挟むと、スターに対する憧憬と嫉妬心から心臓が波打ち、顔をあげることすらできなかった。彼は”羽生睨み”の全盛期で一手指すたびにジロジロ睨まれた。蛇に睨まれた蛙とはこのことだ。僕は完全無欠の負け犬だった。新人王投手とバッティングピッチャー。芥川賞作家と文学ゴロ青年。栄光と悲惨。太陽とモグラ。モグラが太陽を直視できないように、僕は羽生を直視することができなかった。

 そのくせ挫折につきものの痛痒や焦りはなく、そのかわり目標も希望もないのほほんとしたフーテン生活を送っていた。

(中略)

 なぜ、15から16の間に、不良少年の典型が、闘争心あふれる明るい少年に変わったかというと、一枚の棋譜(森雞二七段)との出会い、さまざまな人との出会いなども要因なのだろうが、なんといっても最大かつほとんど唯一とさえいえるのは、一葉の写真との遭遇だった。

<左は元天才?の先崎初段>

僕はこの言葉を棋士をやめるまで忘れることはないだろう。羽生に怨みがあるわけではない。あのとき、僕が感じた感情は今の僕には微塵もない。

 だが僕は、この一行を、おそらく僕以外はだれも気にとめないであろう一行を忘れることができない。事実関係については何もいうつもりはない。

 たしかに僕は元天才だった。駄目な人間だった。千駄ヶ谷の『村さ来』で一杯230円のレモンチューハイを飲みながら、悪友に、元天才だの終了先崎だのといわれても、怒ることも、自分を鼓舞することもできなかったのである。僕のまわりにいた人間は、ほとんどこの世界から去っていった。そんな人間が、まがりなりにも、四段になり、そして今回NHK杯戦で優勝することまでできたのは、すべて一葉の写真のおかげである。僕は感謝しなければいけないのかもしれない。

 5年前の『将棋マガジン』の一行は、生まれてはじめて味わった<活字の毒>だった。それは生まれてはじめて味わう屈辱でもあった。そんな思いを味わった人間が、こうして原稿用紙のマス目を塞いでいるのだから、人生とは皮肉なものだと思わずにはいられない。

 重ねて書く。あの一葉の写真は、生まれてはじめて味わう屈辱だった。そして僕のあたらしい人生の第一歩だった。やはり人生とは皮肉なものだと思わずにはいられない。

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「昼食休憩時の羽生四段(右)。左は元天才?の先崎初段」のキャプションは、河口俊彦六段(当時)でもなく、弦巻勝さんでもなく、編集部が書いたと考えられる。

ただ、この写真の構図を狙ったのは弦巻勝さんの鋭い感性。

昨日の記事にあった、羽生善治四段(当時)の初対局の日の様子が描かれた「対局日誌」にこの写真が載っている。

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写真を見ると、たしかに初段と四段、仕方がないこととはいえ、この境遇の差に胸が締めつけられる。特に先崎学初段(当時)の寝癖のある髪型がその思いを増幅させる。

なおかつ、まだ15歳なのに「元天才?」と書かれては、衝撃が大きかったことだろう。

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佐藤康光九段も森内俊之九段もこの時は初段だった。

そもそも15歳で初段なら、十分に天才だ。

先崎九段は早くから奨励会に入っていたからということもあるが、羽生新四段の登場によって、常時なら天才と呼ばれていたのに「元天才?」と書かれるのだから、羽生台風の煽りをくらったようなものだ。

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初期値がこのような状況だったわけなので、羽生世代の切磋琢磨が自然と凄くなったことがよく理解できる

それにしても、なんとも感慨深く、胸が締めつけられる写真だ。

 

「もう投げるから羽生君を呼んできてよ」

将棋マガジン1986年4月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。

1月31日

 新四段・羽生の前評判はすごい。今日がデビュー戦だが、毎日グラフ、フォーカスが取り上げたのだからたいしたものだ。フォーカス誌に書いてあった。「天才は忘れたころにやってくる」

将棋マガジンの同じ号、フォーカスに掲載された写真。撮影は弦巻勝さん。

(中略)

 天才羽生がどんな将棋を指しているかといえば、7図。私も近くで対局していたのでときどきのぞいたが、多少無理でもどんどん攻める棋風のようである。宮田は少年相手で指しにくそうに目をそらしている。となりを見ては雑談の相手になってもらおうとしているが、真部と沼は無口なので話がはずまない。もじもじと坐り心地がわるそうにしているが、本当は目の色を変えて戦わなければならないはずだ。宮田は常々、弟子の山内君に、「羽生だけには絶対負けるな」とハッパをかけていた手前というものがある。

 話がそれてしまったが、7図の局面で宮田は「この坊やはなにをやってくるんだろう」と思った。▲9八同香と取ったら手がないじゃないか。

 ところが、▲9八同香には△4五歩で一歩が手に入る。▲同桂△9七歩は先手負け。それに気がついて宮田は、「指す気がなくなったよ」と苦笑した。

 しかし、口ではそう言うものの、けっこう粘って、8図まで進んだ。ここからが見所である。

8図からの指し手
▲7六歩△7九銀▲9二馬△同香▲7九金△同と▲6八玉△7八金▲5八玉△6九角▲4八玉△4六歩▲同銀△3六角成▲3三桂成△同金右▲4一銀(9図)

 宮田の▲7六歩が策のない手。おそらく敗着であろう。当然▲7五歩△同香▲7六歩と打つべきで、△7九銀なら▲7五歩と取れるからおおちがいだった。

 羽生は△7八金と打ち、△6九角と平凡な手で攻める。だが、△3六角成が一手スキでなく、▲4一銀とかけられて逆転かと思われた。ところがここからがしぶとい。

9図からの指し手
△1二玉▲4七銀△4六馬▲同銀△3六桂▲5七玉△2八桂成▲3二銀成△同金▲3四桂(10図)

 △1二玉の早逃げが常用の手筋。これで先手は駒を渡さずに必至をかける手段がない。羽生は正確にそれを読み切っていた。

 ちょうど10図の局面で夕食休み。羽生は外へ出ていった。宮田は対局室に残って盤面を見つめていたが、一息入れてみると、形勢が絶望的なのが判ったらしい。突然記録係を呼びつけて、「もう投げるから羽生君を呼んできてよ」と大声でいった。みんな何事かと集まって来ると、「本当だよ」とまた言った。

 結局羽生が見つからず、しぶしぶ宮田は指しつづけることになった。

 実はまだ難しいところもある局面なのである。それでいながら宮田があきらめたのは、羽生がしっかり読んでいる気配を感じ取ったからである。もしすこしでも自信なさげのところがあったなら、宮田も粘る気を起こしただろう。

 局後の感想戦はこのあたりで終わった。ここまでを見て、なるほど強い、とは思ったが、なにかもう一つ物足りないものを感じた。だからフォーカス誌の取材に「甲子園の優勝投手みたいに完成されていて、荒けずりの魅力がない」という意味のことを言った。同じことを中村や森下がデビューしたときにも言ったような気もする。最近の若手棋士は、勝ち方をよく知っている、という点が共通しているのである。

 と、ここで終わりにするつもりだったが、念のためにと終わりまで並べてみて、いっぺんに考えが変わりましたね。とりあえず10図以下の手順を見てください。

10図からの指し手
△3三銀▲7二飛△4八銀▲4七玉△4二歩▲5五歩△4五銀(11図)

 最後の△4五銀が絶妙。前の△4八銀との組み合わせがにくい。これをキラリと光る手という。

 ▲4五同銀と取れば、△2七飛▲5六玉△6七飛成▲同玉△5七金まで。

 後日、島に会ったとき、「羽生君をどう思う」と訊いてみた。

「みんなたいしたことはない、と言ってますよ」

「あの△4五銀を見ただろ。凄いじゃない」

「いい手ですけどね。あのくらいは……」

 プロなら読めて当然というわけか。しかし言葉のはじに対抗意識がちらちらしていておもしろい。

(以下略)

* * * * *

羽生善治四段(当時)の初対局。

「甲子園の優勝投手みたいに完成されていて、荒けずりの魅力がない」

「みんなたいしたことはない、と言ってますよ」

今から見れば非常に意外な感じがするが、当時はこのような雰囲気もあったのだろう。

藤井聡太四段デビューの時とは全く時代が違う、という感じだ。

あるいは、その後の羽生九段の実績が、このような若手棋士誕生の時の過小評価を将棋界から消し去ったのか。