「僕がAクラスにいようがBに落ちようが、そんなことを知らない人のほうが一億人以上です」

近代将棋1983年1月号、「新春放談 棋界よもやま話 王位 内藤國雄 VS 推理作家 斎藤栄」より。

楽しいなと自己暗示

斎藤 内藤さんや米長さんは、指しながら将棋を楽しんでいるな、という感じがするのですがいかがでしょう。

内藤 僕の場合は「将棋楽しいな」と自分に暗示をかけているところがあります。しんどい、苦しいと思えば何でも苦しいですよ。歌を歌うにしても、しんどいと思えば本当にしんどい。ライトは当たるし、後ろの楽団はやかましいし、頭下げにゃならんしね。だけど、自分は小さい頃から歌が好きだった、聞いてくれる人がいる、ありがたいな楽しいな、とこう思うようにします。将棋も同じで、明日は対局か、一日将棋だけ考えていられる、ああ楽しいなとね。

斎藤 なるほど。それはいいですね。

内藤 その道一筋ということを日本人は尊びますが、一筋であろうと何筋であろうとようするに内容が問題だと思います。一筋でやっていると、特に将棋などは、自分の世界が一番厳しいとつい思いがちなのですよね。サラリーマンや商人は楽でいい、自分のやってることがいかにも大変だと考えてしまうのです。しかし実際に他のことをやってみると、何でも大変だということが分かります。

斎藤 その意味では、他の世界に足を踏み入れるのは本当に良い経験になりますね。もっとも、その道一筋でやっている人は、他の世界も大変なのだろうな、との推量が働かなければいけないのでしょうけれど。

内藤 我々の仲間にも、一芸に秀でた者は全てに通じるなんて言う人がいて、それは自分で言ってはいかん、いうて笑ったことがあります。(笑)気がいいんですね。

普及について

斎藤 僕は本誌に「天野宗歩」を連載しているのですが、今年度は盲人棋客、石本検校の話からスタートする予定です。それにちなんで思うのですが、タイトル戦の一つに盤無し棋戦を設けたらどうでしょうか。プロなら誰だって目隠し将棋は指せる。この点は碁と違って将棋の特権です。これをやったらかなり迫力が出て面白いと思うのですが、可能性はどうでしょう。

内藤 やるとすればテレビでしょうね。別室で大盤解説をしながらね。しかしテレビの新棋戦についてはスポンサーを捉まえるのが難しいですね。僕は五年前に澤之鶴というお酒のコマーシャルを一年間やりました。その時、将棋のスポンサーになりませんかと持ち掛けたことがあります。将棋番組は区切りがあるからかけっぱなしの番組とは違う、見る人は男だからお酒の宣伝にはもってこいだ、また視聴率が低いといっても近所の将棋好きが一箇所にかたまって見ている、といった具合にね。

斎藤 なるほど、なかなかうまいですね。(笑)

内藤 しかしなかなか簡単には行きません。やはり視聴率が高くないし、将棋は男ばかりだけれど、実際に酒屋さんへ買いに行くのは奥さんであるとか言ってね。(笑)ですから斎藤さんもおっしゃっていましたが、これからの普及には女性が欠かせないでしょうね。

斎藤 まさにそうです。これまで将棋界はずいぶん隆盛してきましたが、この調子が続くわけではなく、むしろ限界にきていると思います。他の娯楽がどんどん増えているのですから。これからは女性しかありませんよ。ゴルフだって何だって女性で盛り上ってきましたし。それでその方法ですが、何といっても小学生か中学生の若い女の子を、連盟が出費しても育てる必要があると思います。特に肝腎なのは一人のヒロインを作ることです。ヒロインが居れば女性は自然に増える、それにつれて男性も増えます。百人の主婦よりも若くて強い一人のヒロインを育てることが、普及に何よりも効果的でしょう。

内藤 現在、女流プロは奨励会と別ものになっていますが、一緒にして鍛えるわけですか。

斎藤 もちろんそうです。奨励会に入ってやっていれば、朱に混じわれば赤くなる、というわけで強くなるはずです。今のやり方では伸びませんよ。普及という観点からすれば、一人の一人前の女性棋士を育てることは十人の男性棋士を誕生させることに匹敵します。今は将棋が盛んになって安心している面がある、が本当は頭打ちになっているのではないかと心配なのです。

内藤 将棋連盟の観客動員力をもっとつけなくては駄目ですね。たとえば東京、大阪で月に一度将棋の催しをして、二千円ぐらいの入場券で千名分の客席が八割がた埋まるようになれば大したものですが、今は何年に一度の有料の催しで人を集めるのが大ごとですもの。

斎藤 大衆化という点で遅れをとっていますね。

内藤 僕が八年前から脱線したことの一つには、将棋に関心を持っている人が意外に少いということがあります。ノイローゼ寸前までカリカリやっていっていても、世間はどうということはない。僕がAクラスにいようがBに落ちようが、そんなことを知らない人のほうが一億人以上です。また十年前は対局料も格段と安かった。それでも頑張らねばとの使命感でやってきましたが、そこへレコード会社から声が掛かって。

斎藤 なるほど、そうでしたか。僕は内藤さんのように将棋界以外の世界を体験されたのは貴重だと思います。僕自身二足の草鞋でしたからね。これは人間としての広がりを持つうえで非常にプラスです。そしてそういうあなたがカムバックされてお目出度い。こういう人にどんどん発言して貰いたいですね。

進歩

内藤 僕は八年間ほとんど棋譜を並べませんでした。A級の座を保持しようと思ったら一日四時間のトレーニングが必要だとか言われますが、そういうことも全くしませんでした。それが去年から、よしやろうという気になって、今年の正月、地元の神戸新聞、デイリースポーツ、関西テレビ、NHKの四つの報道機関に「今年はタイトルを取ります」と宣言しました。というのは、去年の暮れ頃から人の将棋の棋譜を並べ出したのですが、八年前と較べて少しも進歩していないのです。それだけ将棋は難しいのですね。これならいける、と思いました。芸術という言葉を使うのは好きではないのですが、将棋には芸術的なところがある。科学の進歩というのは実にめざましいですね。どんどん進む一方です。ところが芸術には退歩したり止まったりするところがある。将棋にもそんな要素があるのかもしれません。

斎藤 科学は進歩しすぎて悪い、かえって人間そのものを壊しているところがある。それは別にして、将棋大辞典のようなものを連盟で作って貰えないものでしょうか。現在、将棋の本はたくさん出版されていて、定跡も多くの人によって様々な解説がほどこされています。しかし系統的なものがない。A八段はこう書いている、B九段はこう言っているといった状態にしておかずに、プロ棋士達が研究班を組み、時間を割いて、本当の意味の研究書を作って欲しい。東京と大阪に新将棋会館が開館した今、容れ物が出来上ったのだから、次はそこに入れる中味の仕事に着手しなければいけない。これにて形勢互角、一局の将棋という結論の部分があってかまわない、とにかく昭和58年なら58年現在、プロの知能を集めてこの局面はこう結論が出ている、ということを調べられる大辞典が欲しいのです。プロが驚くようなものがね。

内藤 ぶ厚いものが何冊も並ぶでしょうね。たとえば今期王位戦の二局目で、僕は横歩取りの中の一番厳しいのをやりました。これについては、アマチュアの沢田多喜男さんが「横歩取りは生きている」という本を書いています。中味の濃い読みごたえのある本ですが、それなどを見ても、あの限定された一番単純な横歩取り4五角の戦法の中にいくらでも手がある。新手の可能性がまだまだあるのです。ですから将棋大辞典はそれこそ非常な大冊になるでしょうね。

斎藤 そうなるでしょう。しかしぜひやって欲しい。言ってみれば科学的な事業ですね。

内藤 今の将棋は科学的というより勝負本意の感じです。辛くてドロドロしているような気がします。一方、詰将棋は科学的と言うのか、ずいぶん進歩していますよ。

斎藤 詰将棋は、大がかりなものは別として、五手か七手から十五手くらいの短編は限界がないものでしょうか。

内藤 それはあるでしょう。たとえば端に桂、香が配置されている実戦型などは真新しいものはほとんどなくて、変化、紛れ、誘い手の配分などでどう表現するかという問題になっています。推理小説の方でも密室殺人事件などで同じことが言えませんか。

斎藤 密室の場合は建物の構造がどんどん変って行きますから、それに応じて新手筋が出てくるということがあります。

内藤 なるほど。私は年間、三百題ほど発表していますが、やはり本当の新題というのは無理ですね。職場で働いている人が気分転換に頭を捻ってくれればそれでいいのです。時には難しいものも出題しますが、普段はそういうふうにちょっとしたパズルを楽しんで貰えば、と思っています。

斎藤 短編詰将棋などはコンピューターに記憶させておいて、発表済みであるか否かを簡単にチェックできるようにしておくとよいでしょうね。詰将棋はミステリー小説に似ていますよ。いかがですか内藤さん、やってみたら。(笑)

内藤 やってみたいですね。完全犯罪の可能性はあると思います。しかしそれをどうやって膨らまして小説にするかが難しい。ドラマを見ていると時々結末のないのがありますが、あれはずるいですよ。あれなら僕にも書ける気がする。

斎藤 人生というのは実は終りも始まりもない。僕らが産まれた時からすでに始っているし、死んだ後もまだ続いているのですから。その意味で終りのない小説というのを提唱した作家もいましたが、やはりそういうのはうけないですね。皆が求めているのは現実ではなくてロマンですからね。まだ続きがあるかもしれませんがここで一応筆を置きます、というのはやはり感動しませんよ。

観戦記

内藤 斎藤さんは将棋の観戦記をお書きになりますが、観戦記に関してはどのような御意見をお持ちですか。

斎藤 私達作家が書く観戦記というのは観戦記者のものとちょっと違うのですが、その辺を誤解されがちですね。観戦記者というのは観戦記を専門とするそれなりのプロであって、指し手の解説を十分にするわけです。僕らは将棋には素人であるから深いヨミがない、と同時に深いヨミに触れて書こうとも思っていません。私が書こうとするのは人間のドラマの部分です。タイトル戦の中で見せる、棋士達の様々な強さ弱さなどね。感想戦での手の解説ばかり書いても仕方がないですもの。書くとすれば、実際にはこの手を指したけれども、もう一つ考えた手があった、それは何だったか、これを考えさせるようにするとか。まあいろいろ工夫するわけです。一つには、書いている本人の人柄などが出るようにもする。

内藤 新聞の観戦記を読む人の多くは棋譜を飛ばして読んでいるようですよ。プロの僕でも棋譜を飛ばして読むことがあるくらいです。簡単に言えば、敗因になった手、そして変った手などがあればその手が書いてあればそれでいいのでしょう。

斎藤 僕ら作家としては、対局者と自分との三人で雰囲気を作り上げているつもりでいる。観戦記者はどちらかと言えば将棋そのものを、それに対して作家は人間的な部分を書こうとするわけです。実際、将棋の指し手を知りたくて観戦記欄を読む人は少いですよ。ところで内藤さんは厄年ですか。

内藤 もう終りました。43歳ですから。

斎藤 ああそうですか。42歳の厄年というのは言ってみればスキーのジャンプですよ。踏み切りを失敗すると無様なことになりますが、うまくやれば非常に大きな飛躍へつながります。42、43歳というのは頑張れば大きく伸びられる時です。僕自身役所をやめたのが40歳で、すぐに厄年を迎えましたが、この辺の踏み切りが非常に良かったように思います。ですから内藤さんも、今年は大いに頑張って伸び伸びと躍進して欲しいと思います。

内藤 どうもありがとうございます。斎藤さんも一層御活躍してください。

* * * * *

「去年の暮れ頃から人の将棋の棋譜を並べ出したのですが、八年前と較べて少しも進歩していないのです。それだけ将棋は難しいのですね」

この辺が変わったのも羽生世代の登場以降。

序盤から神経を使う将棋へと世界が変わっていった。

先崎学八段(当時)「すべてはふたりが変えたのだ。あの時から将棋界は変わっていったのだった」

* * * * *

「昭和58年なら58年現在、プロの知能を集めてこの局面はこう結論が出ている、ということを調べられる大辞典が欲しいのです」

これは、あれば便利なのだが、年に一度の発刊としても、毎日読んでも1年では読み終えることができないほど膨大なページ数になることだろう。

このようなサイトができればもっと便利だけれども、更新が非常に大変になりそう。

ある戦型に絞った「定跡最前線」のような電子書籍があって、初期費用○○○○円、年間更新費用○○○円のような課金形態で、内容に変化がある都度加筆していく方法も考えられる。

もちろん、形勢不明の局面がたくさんあって、すっきりとした読後感にはならないだろうが。

 

「将棋で負けて困るのは端的に言って僕と女房だけです」

近代将棋1983年1月号、「新春放談 棋界よもやま話 王位 内藤國雄 VS 推理作家 斎藤栄」より。

斎藤 今月はお正月号ですので、将棋よもやま話を大いにやりたいと思います。内藤さんは現在、王位、王座と絶好調ですね。これは私とすれば嬉しいことです。ところで将棋界は今、戦国時代ですね。大山、中原の安定時代が十年ほど続いたのですが、これが崩れ、タイトル保持者が分散して群雄割拠の時代になりました。これはアマチュアの立場から見て、将棋界にとって、よいことだと思えるのですが、内藤さんはプロとしてどうお考えになりますか。

内藤 大山さん、中原さんが勝つと記事も地味になります。話題提供という意味では群雄割拠の方が面白いですね。

斎藤 見る方の立場から言えば、野次馬根性かも知れないけれど、唯かが山に登るとまた他の者が追い落すといったほうが面白い。

内藤 大山さん中原さんの時代が長かったということは、二人が強いということですね。それと、あの二人にタイトルを持たしておけばよい、という心理が仲間内にある。今の世の中は役人意識で動いていると言った人がいますが、プロの内にも、大山さん、中原さんが勝つと、まあいいや、というところがある。普通は勝った者は憎まれるのですがね。僕達が挑戦者になった時も、相手が大山さん、中原さんなら負けてもいいや。という気分がどこかにある。僕自身はこれまでダブルスコア以上に負け越していますが、このような気分も一因しているようです。

斎藤 内藤さんは現在すこぶる好調の波に乗っていますね。ある雑誌にはビッグ2などと書かれたりして。(笑)内藤さんなんかにはもっと早くナンバー1を目指して欲しかったですね。

内藤 結局やる気ですね。一般には、二十歳で基礎を作り、三十歳でタイトルを取るようでないと、超一流にはなれないとされているでしょ。続いて四十歳を過ぎればいかにして力を衰えさせず、強さを持続するかという具合にね。けれども四十になろうが五十になろうが、要はやる気だと思います。

斎藤 これまで二足の草鞋を履いてきたりもしたが、今はやる気が出ている。(笑)

内藤 そうなのです。これまでの成績はとかく歌のせいにされるのですが、芸能界というのは確かに厳しいですね。たとえば月に一度ステージに立つとすると、その一度にものすごく神経を使う。歌詞を覚えたり体の調子整えたりね。むしろ本物のプロのように、一と月、北海道廻りとか九州廻りした方が楽かもしれない。普段からそうした生活の中でリズムを作れますから。僕はこの八年間、芸能界の人との付き合いばかりで、将棋仲間と飲むことはほとんどなかったのですが、将棋関係者はとかく歌をやめろ、みっともない、と言うのです。みっともないなどと歌手の人が聞けば怒りますよ。(笑)一方、歌の関係者は将棋も頑張って下さいと言う。その方が正直言って嬉しいですね。

斎藤 僕も以前二足の草鞋を履いていました。役人と小説家です。両方できるならば本当はそうしたほうがいいと思います。しかし内藤さんが歌で出たという背景には、将棋で出たから、というところがある。つまり本質はプロ棋士なので、将棋の成績は良いものを残して欲しい。ファンとしてね。

内藤 芸能界という所はなかなか広がりがありましてね。作詞家、作曲家、編曲者、レコードの宣伝関係者、レコード店、楽団の人達といったふうにね。だから一曲ヒットした時の波及がものすごい、と同時にいい加減なことをした時に迷惑を被る人がたくさんいる。一方、将棋で負けて困るのは端的に言って僕と女房だけです。(笑)その辺を知らぬ将棋関係者はごく軽く考えている。たとえば、紅白歌合戦に出場するためには、なにもペコペコ頭下げて歌わなくてもNHK杯戦に優勝すればよいのではないかと言う。これはとんでもない暴論で、紅白歌合戦に出場すればNHK杯戦に優勝させて貰える、というようなものです。

斎藤 以前僕のテレビドラマ「殺人の棋譜」で、内藤さんに名人の役で出て貰いましたね、この間あれをもう一度見なおしたのですが、あなたはカッコいいですよ。(笑)あれをファンとして、実現して欲しいと思うのです。「名人」というのは、率直に言って他のタイトルと違います。やはり歴史と伝統がありますから。将棋を知らぬ人でも、王位とか十段とかは分からなくても名人といえばすぐにピンとくる。

内藤 確かにそうですね。もっとも辞書によると名人というのは大したことがない、王位とか聖(ひじり)が最高で、名人の方は、居眠りの名人とかね。(笑)でもやはり「名人」というのは別格ですね。特に碁に較べれば将棋の名人はね。

斎藤 とにかくタイトルが分散している現状はいいですね。これがすぐに誰かに統一されずに、戦国時代が続いたほうがいい。名人戦といえば一定の人が出てきて一定の将棋、矢倉なら矢倉ばかりするというよりも、内藤さんの空中戦だの横歩取りだのと、様々な人によって様々な将棋が指されるほうが興味深い。そういう時期が来ているように思います。

アマプロ戦

斎藤 アマプロ戦の話題が大きくなってきましたね。最近ではアマ名人がA級八段を角、香、平と三連覇したりしてね。これは僕は好ましいことだと思う。こうした舞台にプロが登場することが大切、というよりそういうことがあって普通ではないでしょうか。アマプロの一体感が生まれる機縁にも、普及のためにもなりますし。

内藤 将棋人口が増えていると言われる割には一般世間での反響は少ないですよね。たとえばスナックへ入れば、野球だのボクシングだのの話題は盛んですが、将棋の話はほとんど聞きません。我々の仲間は付き合いが狭いからいつも将棋の話を耳にしていますが、外へ出ればそういうわけではありません。これは一つには、アマチュアのファンの批評の有無によると思います。テレビ将棋を見て「何だあんな手指して」といった具合に、勝手に批評するファンが出てくるほうが盛んになるでしょう。アマとプロの差が最も大きいのが将棋なのだ、と言われ続けて長いのですが、これは自慢になりません。むしろ層が薄いということの現れでしょう。実際、アマチュアは随分強くなっていますね。僕は仲間と一杯やる時にこんな話をするのです。仮にプロ側がアマ名人戦に毎年一人のプロ棋士を派遣するとします。たとえば僕でしたら神戸地区から出場するわけです。勝ち抜いて神戸代表になれば次は兵庫県大会です。これで県名人になって、全国大会に出てくる。こうした過程を経てアマ名人になれるかということです。もしアマ名人になれたら賞金五千万円出そう、そのかわりアマチュアに負けるようなら即退会だ、ということにする。そうするとプロは誰も出ませんよ。アマチュア名人になかなかなれるものではありません。プロのトップになれば、アマチュアのどの歴代名人を呼んで来ても負けはしませんが、しかしアマ名人になってみろということになれば、これは大変です。ですから沖さんだの小池さんだのというのは、あれだけの成績を残して立派だと思います。

斎藤 一番勝負となると別問題ですものね。

内藤 アマチュアのトップはこの間までプロの初段と言われ、今は五段ぐらいあるのではないかと言われています。僕はこれはどちらも正しいと思います。アマの超一流なら、プロの五、六段、あるいは七、八段と指してもいい勝負ですよ。しかしそれなら、初段で奨励会へ入って五段になってみなさいと言われたら、これは容易ではない。

斎藤 プロとアマの違いを言う時に。アマチュアなんか将棋が分かっていないと言う某八段がいます。俺達だって分からんような難しいものをアマが分かるかというわけですが、僕はこれは将棋をスポイルするものだと思います。将棋は結局は大衆娯楽でしょ、大衆がなきゃ意味がないのですよ。仮りに僕なりが自分の小説は難しくて大衆なんかには理解できないと広言するとすれば、こんなナンセンスなことはない。分かるということの意味が違うのです。深い手をヨミあえばそれはプロが優るに決まっています。けれどもだからといって、アマチュアには分からないということではない。アマも楽しめるということが大切なのでしょう。これはアマのほうにも責任がある。なにかというとプロの将棋は難しくて分からない、という言い方がよくないと思います。ところでプロもアマも参加できる棋戦は無理でしょうか。

内藤 近い将来できると思います。新聞は無理としても、週刊誌などで可能でしょう。プロの内には、アマチュアの方が得ではないかなどとやきもちを焼く人がいますが、それなら自分も出ればよい。アマの大会に賞金はよくないという声もありますが、賞品に冷蔵庫だミシンだといったって、今の世の中はもう品があまっていますしね。

(つづく)

* * * * *

「とにかくタイトルが分散している現状はいいですね。これがすぐに誰かに統一されずに、戦国時代が続いたほうがいい」

これは意見の分かれるところで、少なくとも1995年以降の羽生善治七冠フィーバー以降は時代が変わったと思う。

* * * * *

「相手が大山さん、中原さんなら負けてもいいや。という気分がどこかにある」

こう思われるようになれば歴史に名を残す棋士。

将棋の強さという信用力のみならず、人格的な要素も加わってくる。

 

大山康晴十五世名人「ずいぶん方々へ旅するけど、自由で気儘な旅をしたことがないね。気のおけない棋士仲間で一年に二度か三度旅をしたいね。何かいい案を考えてよ」

近代将棋1995年1月号、広津久雄九段の「亥年会の誕生」より。

 『亥年会』。実に楽しい会だった。二十数年経った今でも懐かしく思い出される。

 あれは、昭和四十六年八月九日、福岡県の二日市温泉(大丸別荘)で第十二期王位戦が行われた時のことである。

 対局者は大山康晴王位に中原誠棋聖(挑戦者)で、立会人は正が大野源一八段、副が広津久雄八段。大丸別荘の庭園の記念写真には、扇子を握っている四人の姿が四十七年度版の将棋年鑑のグラビアにある。

 その日の夕食の時だった。

 大山さんが「ずいぶん方々へ旅するけど、自由で気儘な旅をしたことがないね。どう、広津さん、気のおけない棋士仲間で一年に二度か三度旅をしたいね。何かいい案を考えてよ」と言い出した。

 大山さんは、気易く「仲のいい棋士仲間で」と言ったが、「勝った」「負けた」と過している棋士たちだけに、上辺はともかく心底から仲のいいと思える者はいない。

「仲々難しいね、でも、きょうここにいる四人は干支が亥年だから賛成してくれると思うけど、あと二、三人集まるといいんだけど」

「原田さんと加藤(博)さんはわれわれと同じ大正十二年生まれだったよね。広津さんから二人に話してくれない。そういえば有吉も 昭和十年生まれの亥年だった。有吉には自分から話をするよ」

 これで亥年会のメンバーが決まり、会長には明治四十四年生まれの大野源一、会員は大正十二年生まれの(生まれ順)広津久雄、原田泰夫、大山康晴、加藤博二、昭和十年生まれの有吉道夫、二十二年生まれの中原誠の七人。

 調べると亥年生まれは多い。あんまり多くなるといろいろ煩わしくなるだろうということから、会員の資格を八段以上とし、会費は(雑費も含め)割り勘、そして自分勝手な言動はつつしみ、幹事は旅行先によって決めるとし、主として大山と広津が担当と決まった。

 亥年会の結成には慎重を期した。どうせ知れ渡ることだから隠す必要はないのだが、大野さんは関西の実力者だし、大山さんは並らぶ者もいない不世出の名人で、原田さんは長く会長職を務め、加藤さんも長く理事を務め誠実の人といわれており、有吉さんは関西若手棋士の筆頭であり、中原さんは次期名人の呼び声が高く、私は現職の専務理事だったので、いらざる臆測が飛びかうことを懸念したからである。

 或る中堅棋士は、「中原潰しの陰謀じゃあないんですか」と言っていたが、見当違いもはなはだしい。

 亥年会のメンバーは、中原を次期名人候補として気を遣い、あのマージャン好きな大山さんも、自分の方から「マージャンを」と誘ったこともないし。皆んなと一緒に酒を飲み歌を唱っていた。

 第一回目の亥年回は、東・西から集りいいようにと西浦の銀波荘で行った。銀波荘のオカミさんが有吉さんと同年の亥年というので、急遽準会員として参加してもらった。

 長野県の諏訪湖へ行った時は、「地元だから」と加藤さんがホテルその他の設営をしてくれた。その時は、マージャンの出来ない原田さんが「広津さん後ろから教えてよ」とマージャンの仲間に入った。書き落とすところだったが、大野さんより一まわり年長の三谷水平さん(毎日新聞社の将棋担当)が参加し、「楽しい会ですね」と言っていた。

「一ぺん猪を食べて見ようか」という話になり、甲府の隣の石和へ行った。料理屋の軒先にぶら下げてある猪を、口をあけ、皆んなで見上げている写真が翌朝の山梨日日新聞に掲載されていたこともある。

 サンケイの文化部長に誘われ(私と同年の亥年)、淡路島へ行ったことがある。その日は風が強く、連絡船が揺れに揺れ、あの気の強い大野さんが「おい、大山、広津、大丈夫か」と、色黒の顔を黄色くしていた。そこへ「広津さん食べない、上でオハギを売っていたよ」と大山さんが、オハギを持って来た。「うまそうだね」と二人で食べだすと、「このバカ、殺すぞ」と、大野さんが本気で怒り出した。「バカ、殺すぞ」と言うのは大野さんの口癖だが、その時ばかりは本気のようだった。

 楽しくて愉快な亥年会だった。しかし数年後、将棋会館の建て直しが始まり、名人戦問題などでいつの間にか亥年会は解散になってしまった。

「また、そのうちに」と、大山さんは言っていたが、それぞれ多忙になり、亥年会の再編はならなかった。

 猪突猛進というが、動物記によると、猪は実に用心深い動物だそうである。今年の干支は亥年。猪のように、慎重に、用心深く過したいと考えている。

* * * * *

十五世名人と十六世名人をはじめ、強力な棋士が揃った亥年会。

* * * * *

大山康晴十五世名人が「ずいぶん方々へ旅するけど、自由で気儘な旅をしたことがないね。どう、広津さん、気のおけない棋士仲間で一年に二度か三度旅をしたいね。何かいい案を考えてよ」と言った第12期王位戦七番勝負第2局、この時は別の出来事もあった。

タイトル戦対局開始寸前に起こった珍事

* * * * *

船酔いをしそうな船上でおはぎを食べるとは凄い。

おはぎを船上で売っていることも驚きだ。

* * * * *

現在の亥年生まれの棋士は次の通り。

(1935年生まれ)
木村義徳九段
有吉道夫九段
(1947年生まれ)
田中魁秀九段
石田和雄九段
森安正幸七段
中原誠十六世名人
桐山清澄九段
(1959年生まれ)
神吉宏充七段
大野八一雄七段
室岡克彦七段
福崎文吾九段
(1971年生まれ)
増田裕司六段
郷田真隆九段
近藤正和六段
山本真也六段
松本佳介六段
高群佐知子女流四段
大庭美樹女流初段
(1983年生まれ)
橋本崇載八段
甲斐智美女流五段
(1995年生まれ)
青嶋未来五段
佐々木大地四段
梶浦宏孝四段
古森悠太四段
北村桂香女流初段
長谷川優貴女流二段

2019年将棋ペンクラブ年間スケジュール

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

元旦の今日は、将棋ペンクラブの今年の予定をお知らせ致します(それぞれの予定は1~2週間ほど変更になる場合があります)。

1月19日(土) 新年会(会長、幹事、最終選考委員など)

3月16日(土) 会報(春号)発送

4月21日(日) 東北交流会

5月上旬  将棋ペンクラブ大賞一次選考会

5月~6月 関東交流会

※東京・将棋会館の貸室利用について予約が3ヵ月前からとなりましたので、日程が確定次第ご案内いたします。

6月15日(土)または22日(土) 将棋ペンクラブ大賞二次選考会および会報(夏号)発送

7月20日(土) 将棋ペンクラブ大賞最終選考会

9月7日(土) 会報(秋号)発送

9月20日(金) 将棋ペンクラブ大賞贈呈式

12月14日(土) 会報(冬号)発送