2019-01

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大山康晴十五世名人「ただ、今、七つのタイトルを六人で分け合っていますよね。これは、おもしろいかもしれんけれど、あまり好ましい傾向ではないと思いますよ」

将棋マガジン1986年10月号、「大山十五世名人、米長将棋を語る」より。 最近の米長将棋 大山 全体的に見て、米長さんの調子が、自分でつけたかどうか知らないが”泥沼流”という将棋とは、ちょっと離れてますよね。  今、どっちかと言うと”清流の...
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一人取り残された大山康晴十五世名人がやっていたこと

将棋マガジン1986年2月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。  升田、大山の全盛時代、二人の対決で升田が勝ったりすると、升田の取りまきが大勢来て感想戦に口をはさみ、升田にお追従を言ってから、「さあ祝杯だ」などと叫びなが...
観戦記

「行儀のよい将棋指しやがって、ちっとも解説するところあらへん」

将棋マガジン1986年10月号、「思い出のアルバム 追悼!!高島一岐代九段」より。  高島八段は、当時「日本一の攻め将棋」という異名を奉られたほどの強烈無比な「攻めの人」。  一方、大山名人は自他ともに許す「日本一の受け将棋」であり、強靭無...
観戦記

「対局でなければ一生こなかった所だな」

将棋マガジン1986年2月号、読売新聞の山田史生さんの第24期十段戦〔米長邦雄十段-中原誠名人〕第5局観戦記「米長十段、防衛までにあと一勝!またまた夕食休憩前に終局」より。  仏法僧で有名な鳳来寺山ふもとの「雲竜荘」。対局場設営は中部「読売...
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石田和雄八段(当時)「勝浦さんが実にうまく指しているねえ」

将棋マガジン1986年3月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。  記者室で雑談していると石田が入ってきた。 「勝浦さんが実にうまく指しているねえ」と言う。こういうときは自分のことを聞いてもらいたいのだ。 「あなたはどうだ...