大親友について語る。
将棋マガジン1991年4月号、林葉直子女流王将(当時)の「私の愛する棋士達 中井広恵女流王位の巻」より。
彼女は雪国で育ったせいか、肌の色が透けるように白い。
きゃしゃな肢体は、今にも折れそうで、誰かがささえてあげなくてはいけない、そんな感じすらさせる。
黒々として艶やかな肩まで伸びた髪を白い指でかきあげるしぐさがまた色っぽい。
時折、一重だが大きくうるんだ瞳で見つめられるとドキッとする。(中井広恵相手にそんなこと思ってどうするんだっ!)
そして、私が彼女の一番好きなところは性格だ。
素直で、気さくで、やさしい。
情にもろくて、おひとよし。
ちょっと怒ると怖いけど、カラッとしているさっぱりした性格。からかうと、真剣になって怒ったりするが、それも魅力的である。
私が女流棋士になったばかりの頃従って、10年近く前になるか、はじめて彼女に会ったのは。
天然パーマで短い髪の毛。ちょっとプクプクしていて、気の強い少女だった。
「そうじゃないよ!」
ハッキリと自分の意志を主張し、なおかつ、物おじしない子。
北海道と九州の田舎モノ同士だがお互い将棋という男性社会のプロを目指した者同志ということもあり、すぐに意気投合した。
以来、彼女のダンナ様(植山五段)よりも長い年月私は付き合っているような気がする。
女同士にしか解らない苦労もたくさんあったのだ。
奨励会で修業してきた、そしてお互いに、男性に勝てる女流棋士になりたいと目標が同じだったせいかよく二人で話した。
もっと強くなりたい。
もっと将棋を指す女の子が増えないかと。
奨励会というのは、全国の県名人クラスの超天才児の男の子がプロ棋士を目指して修業する、いわば養成所のようなところだ。
将棋を勝とうとする数十人の男の子たちの中にたったひとりぼっちの女の子。
私が奨励会を断念する直前に広恵ちゃんが奨励会に入会したという形で、すれ違いだった。
女の子だということに甘えてはいけない。
けれども、大変だったろう。
私は、笑励会で4級が最高だった。
「大変だよ、がんばってネ」
「うん」
そのとき力強く答えた彼女。
将棋マガジン等に載る奨励会の成績表、いつも私はまっさきに広恵ちゃんの名前を見ていた。
あー、負けばっかり。お、今月は勝ってるな…と。しかし、一時期5、6級で低迷していたものの、すぐに、4級になった。
そして、時間をかけたものの、最終的には2級まで。
確かこの数年前に、私から女流名人位を奪っていたはずである。
周りにいた人たちには、女流名人になって広恵ちゃん偉いネ、そう言っらしい。
確かに、女流名人になるということは名誉なことである。
しかし、それを不満気に彼女が私にこう言った。
「女流名人も、すごく嬉しいけど奨励会で昇級できたときは、もっと嬉しいのにね」
と、少し悲しそうに。
「うん、うん、そうだよネ…」
私もその気持ちが痛いほどよく解った。
これは、それを経験した者同志にしか解らないことである。
ある奨励会員がボソリと、「ノイローゼになりそうです」と言っていたぐらいだ。それほど奨励会とは恐ろしいところなのだ。
女流棋界で活躍する中井広恵も素晴らしいと思う。
けれども私が思わされるのは、あの奨励会でしかも2級まで上がれたというのが、もっとスゴイことだと思う。年齢制限まで頑張りぬいた彼女に、ちょっと遅いけれども拍手を送りたい。
結婚プラス、奨励会もやめて、心の負担が、少し軽くなったのだろうか、最近の後女は、生き生きしている。
「うちのダンナ様ってやさしいのよ」
とオノロケを、私に聞かせる始末だ。
おまけに、2歳も年下なのに、結婚では先輩だということで、恋の手ほどきもしてくれる。
「それじゃだめよ」
「だってぇ」
「直子ちゃん、一生結婚できないよ」
「ダンナがいるからって、そういういい方ないんじゃない」
「でも、直子ちゃんには結婚向いてないよ」
「……あのねぇ」
私のムスッとした顔を見ながらゲラゲラと大口を開けて笑う。
私が広恵ちゃんをからかうことも多いが、私も相当広恵ちゃんにからかわれている。
将棋の対局さえなければ、ほんとうに良い友なのだ。
いや、将棋があってこそ、ここまでの仲になれたのかもしれない。
黙っていれば、美人でキュートな中井広恵なのに、しゃべると、うるさいったらありゃしない。
「ねぇ、ちょっと聞いてよ、ひどいと思わない」
と広恵ちゃんが面白そうに言う。
「だってね、みんなに、林葉直子に似てきたって言われるのよォ」
「何それーっ!」
「うるさいから、直子ちゃんみたいって」
「ちょっとぉ…ヒドイんじゃない、それって」
「そう思うでしょ」
二人で顔を見合わせて、大笑い。ほんとうに、くだらないことで二人して笑いだすのである。
おかげで、二人一緒のときは、男性陣から敬遠されてしまう。
その理由は、私と中井広恵のパワーがスゴい…と。
一人でいればまだ大人しいものの、二人一緒になると、相当うるさいらしい。なんせ二人で十人分の元気があるといわれるぐらいだ。
広恵ちゃんが結婚する前も仲がよかったが最近は特にだ。
結婚前の彼女は私と一緒のとき彼に話をよくし、彼の心配ばかりをしていた。
「今日、ちょっと待ち合わせてるの」
と、誘ってもそっけなかったし…。
女の友情ってそんなもんネ、私は少し寂しく思っていたものだ。
ある時期を境に、うんと女っぽくなった広恵ちゃん。
それは今のダンナ様植山五段とお付き合いしはじめてからだ。
恋をすると女はきれいになる、その言葉通りに。
小ブタちゃんがなぜか、白鳥になった感じだった。
彼女は会うごとにキレイになっていた。
女の友情云々で、美しく変身することは決してない。
結婚したせいか、最近は性格が丸くなり大人の女に変身。
単純で明るいところは、今でも同じだが、以前はちょっとトゲがあったのだ。
物事をハッキリするという点で。
それが結婚後、消えたのである。
今は将棋も、明るい可愛いい性格もパワー全開で困ったものだ。
愛する人に愛されて、幸せそうな彼女の笑顔は、最高である。
私から見ると、広恵ちゃんが羨ましくって仕方ない。
誰からも可愛いがられて、明るく無邪気な彼女。
「広恵が羨ましいよぉ」
「何言ってんの、直子ちゃんのほうでしょ、それは」
「だって広恵、可愛いもん」
「はぁ、直子ちゃんにそんなこと言われると気持ち悪い、直子ちゃんは美人なくせに」
「ううん、広恵のほうがずっと可愛くて美人だよ」
「そんなこと誰も言ってくれないわよ。直子ちゃんは美人なんだから」
「うそ、みんな私に対して言う言葉がないからそう言ってるだけ、社交辞令よ」
「そんなことないって、直子ちゃんは美人よ」
「ううん、広恵のほうがずっと美人で可愛いいわ」
二人でお互いのことを誉めあった後に、深いタメ息…。
「けっきょくさ、私たちって誰からも言ってもらえないからって二人で慰めあってて、情けないわね」
「そりゃそうだ」
「アホらしいね」
「あーぁ、私も愛する人に、可愛いネ!って頭を撫でてほしいわ」
私のその言葉に彼女が無邪気な笑顔でほほえみながら、
「直子ちゃんは、当分無理よ」
と、あっさり言う。
私は、もうすでに❤とでも言いたげに。
そして「これ、ダンナ様が私にこっそり買ってくれたの」と。
白くほっそりした美しい彼女の中指に輝くパールリング……。
「ずるいっ!私には誰もくれないわよ」
私がブスーッとするのを見て、ガハハハハッ、と大口笑いの広恵ちゃん。
「直子ちゃんも、そのうち、誰か買ってくれるわよ」
愛された女は強し!ってことか。そして、いつだったか女流名人位の就位式で彼女が、「恋をしても将棋が強くなった、と言われるようがんばりたい」
と述べていたことを実感させられた私である。
けれど、私はまだ本当の恋をしていないから、もっと将棋が強くなるってことだと広恵ちゃんに言いたい。
私を目の前にして、ニコニコ笑いながら平然と、
「女流王将もそろそろ、私にくれたっていいんじゃない」
なんて言う彼女。
その場は、ヘヘッと笑って誤魔化した私だが、今、言わせてもらう。
せめて、たったひとりの私の恋人を取らないで!と。
アナタにはダンナ様がいるでしょ。
いくら親友といえども、これだけは、譲れないもの…。
一般的に考えて親友から恋人を奪われるというのは、辛いハズだ。
気は合うものの、将棋のタイプがまったく違う私達。
恋愛の面は、広恵ちゃんに一歩先を越されてしまったが、こと将棋に関しては、そうはいかぬ……よ。
将棋盤を挟んで対局のとき、彼女の雰囲気は迫力がある。
きゃしゃな彼女が、戦士のように仮面をつけ変身する。
細く女らしい指先から、厳しく響かせる駒音。そして、鋭い眼光を飛ばす。
彼女が、私に負けたときは、また更に色っぽい。
乱れ髪で…、色白の肌にほんのりと赤味をおびた頬。
ナハハハッ!!
広恵ちゃんが色っぽくなれるのは、私に負けたときってことだ。
そう親友だからって気を付かわずに私との対局では安心して、色っぽくなってもらいたい。
美人で可愛くって、笑顔のステキな私の愛する中井広恵❤(あー、よっこいしょと)
(以下略)
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「北海道と九州の田舎モノ同士だがお互い将棋という男性社会のプロを目指した者同志ということもあり、すぐに意気投合した」
北海道の人と九州の人は、日本の両端ということからか、仲が良くなる(気が合う)傾向がある、と九州出身の北海道の大企業に在籍する人から聞いたことがある。
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中井広恵女流名人(当時)の「恋をしても将棋が強くなった、と言われるようがんばりたい」は名言。
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「女流王将もそろそろ、私にくれたっていいんじゃない」と、中井広恵女流王位(当時)が林葉直子女流王将(当時)に言う。
現在で言えば、渡部愛女流王位が里見香奈女流王将に言うようなもので、これは今ではとても考えられないようなことだが、現実にあったらあったで、非常に盛り上がると思う。
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「女流名人も、すごく嬉しいけど奨励会で昇級できたときは、もっと嬉しいのにね」
奨励会を途中で諦めることになった二人の気持ちを思うと、とても感傷的になってくる。